【特集】北京オリンピックへかける(4)…女子48kg級・伊調千春(ALSOK綜合警備保障)【2008年7月31日】






 2−2の同点ながら内容差で敗れて銀メダルに終わったアテネ五輪のリベンジ−。達成できなかった姉妹優勝の実現−。女子48kg級の伊調千春(ALSOK綜合警備保障=左写真)にとって、北京五輪は4年間待った思いを実現させる場。4年間のすべてをぶつけて、ライバルに、そして自分の人生にリベンジする場だ。

 だが、それだけではない。心の中にはもうひとつ、ある選手に金メダルを捧げたいという思いが渦巻いている。「姉妹優勝という気持ち以上かもしれません」。伊調をしてそう言わしめるのは、国内で最大のライバルだった坂本真喜子選手(自衛隊)だ。

■最大のライバルは、最大の恩人! その恩人に金メダルを捧げたい

 アテネ五輪、そして今回と、わずかの差で勝利をものにし、オリンピックの舞台に立つことになった伊調。2006・07年とも決して楽に世界選手権の代表になったわけではない。コイントス次第では負けていたかもしれない試合もあった。紙一重の差でオリンピックへの道を断たれた真喜子の気持ちは痛いほど分かる
(右写真=闘う度に大接戦だった坂本真喜子との試合)

 それだけなら「真喜子のために金メダルを取る」という気持ちにはならなかったかもしれない。伊調の気持ちを動かしたのは、自分が五輪代表に決まったあとでも、坂本が必死になって向かってきてくれ、自らの実力アップに最大限の協力をしてくれているからだ(坂本にとっては協力ということではなく、自分の実力アップのためなのだろうが…)。

 「アテネ五輪を逃がし、北京五輪も逃がし、一時はレスリングを辞めようと思ったとも聞いています。でも、それを乗り越えたみたいでマットに戻ってきてくれました。合宿の時でもよく話しかけてきてくれます」。マットの上では蹴落とさねばならないライバルだが、マットを降りればかわいい後輩。いや、自分を世界一に押し上げてくれた“恩人”である。

 「真喜子がいなかったら、世界一にはなれなかったと思います」。対戦成績では圧勝しており(伊調の7勝1敗)、吉田沙保里と山本聖子のような五分の成績を残していたライバル関係ではない。結果だけからすれば「好敵手」と思われない面があるが、伊調は坂本の実力をしっかりと認めており、坂本なくして伊調の実力アップはなかった。

■「メルレニや黎笑媚よりも、真喜子の方が強い!」−

 その恩人は、伊調が北京五輪の代表に決まったあとも、無念さを乗り越えて伊調に向かってきてくれる。全日本チームのコーチであり、自衛隊では坂本を指導している藤川健治コーチが、全日本合宿で展開されている伊調と坂本との実戦さながらのスパーリングに舌を巻く。「すごいですよ。まだオリンピックの代表を争っているかのような熱の入り方。あれだけの練習を積んでいれば、オリンピックへ向けて気がゆるむことはないでしょう」。

 どのスポーツでも、五輪代表決定の時期をいつにするかは難しいところだ。とことん競わせて五輪の数ヶ月前に決めれば、激しくいい練習はできるだろうが、代表が決まったあと燃え尽き、けがが治らず疲労が抜けない場合が出てくる。早くに代表を決めてしまうと、気持ちにゆとりを持って調整でき、外国選手をしっかり研究できる反面、五輪までの練習に今ひとつ身が入らない可能性が出てくる。

 本番の4ヶ月前に代表が決まったアテネ五輪に比べ、11ヶ月前に日本代表となった今回、伊調は後者の罠に陥る危険を持っていた。しかし、必死に向かってくる坂本の存在が、その心配を吹き飛ばしたと言っていい
(左写真=北京五輪での最大のライバルとなるか、イリーナ・メルレニ)

 「私の心の中では、イリーナ(メルレニ=ウクライナ、アテネ五輪金メダリスト)や中国(黎笑媚)よりも、真喜子の方が強いと思っています」と伊調。その選手と全日本合宿の度に壮絶なスパーリング。メルレニや黎笑媚が絶対に経験していなハイレベルの練習は、伊調に大きな自信をもたらしてくれていることだろう。

 昨年までは、全日本を離れればライバル陣営だった藤川コーチの献身的な指導も、伊調の発奮材料だ。こちらも、教え子の五輪行きを阻まれたことの遺恨は全くない。それどころか、これ以上はないといった献身的な指導をしてくれている。打倒千春を目指していただけに、伊調の欠点は知り尽くしていた。今はその欠点をずばりと指摘。その指摘に伊調はうなずくしかなかったという
(右写真=全日本合宿で藤川コーチの指導を受ける伊調)

■真喜子にロンドン五輪で金メダルを取らせるために、北京で金メダルを取る!

 全日本の栄和人監督は、踏み込む勇気を欠いてしまって銀メダルに終わったアテネ五輪をふまえ、「先に1点を取ることの大事さ考えるとともに、1点を取られてもすぐに取り返しにいく勇気を持ってほしい」と注文する。その勇気を支えるのは、メルレニへのリベンジの思い、姉妹優勝の思いとともに、ライバルだった選手とコーチへの恩返しの気持ちだ。

 自らは今回で一線を退こうと思っているのか、それとも48kg級では最後と思っているのか、「ロンドン五輪は真喜子の時代になると思います」と言う。「真喜子に『ロンドンで金メダルを取る』と思ってもらうためには、今回、私が金メダルを取らなければならないと思っています」。北京のマットで、金色に輝くメダルを手にし、かけがえのないライバルへ熱きラブコールをおくる伊調の姿を見せてほしい。

(文=樋口郁夫)


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