【特集】霞ヶ浦の意地を見せるとともに、親子優勝を達成…50kg級・森下史崇(茨城・霞ヶ浦)【2008年8月5日】






 インターハイ最軽量級の50s級で優勝した森下史崇(茨城・霞ヶ浦=左写真)は根っからの“霞ヶ浦っ子”。小さいころから霞ヶ浦のちびっこ教室に通い、強いお兄さんレスラーたちの影響を受けてきた。その頃の霞ヶ浦は“全国で勝って当たり前”の常勝軍団。学校には常に優勝旗と優勝カップがすべてそろっていた。そんな“強い”霞ヶ浦にあこがれて、自らも霞ヶ浦に進学を希望した。

 だが森下が入学した途端、霞ヶ浦の常勝伝説が崩れ始める。一つ一つタイトルを失うと、今年6月の関東大会では、74kg級の1階級しか優勝できず、ついに学校に優勝カップがひとつもなくなってしまった。「1つしか取れないなんて、今まででなかったことだよ」と大沢監督はうなだれたが、全国高校選抜で2位に入っていながら、関東でも2位に甘んじた森下もA級戦犯の一人と考えられた。

 しかし森下は「タイトルが全部なくなっちゃったので、インターハイから1つずつ取り戻そうとした」と王座奪回に燃えた。団体戦ではチームの切り込み体長として全勝をマーク。復活Vに大きく貢献した。個人戦でも、連続減量をものともせずに出場。5試合を勝ち抜き、4日間で10戦10勝の負けなし。団体優勝と個人優勝のW優勝の喜びを味わった。

■来年は連覇、そしてインカレ親子優勝への弾み!

 「勝因はタックル。タックルが取れずクリンチに持ち込まれたのが、ずっと2位に終わっていた原因でした」と、今大会は規定の2分間で切れのいいタックルを次々と決め、ポイントが取れない課題を克服した。

 インターハイで個人と団体を制し、唯一の喜びを味わった森下は、もうひとつ特別な喜びを味わった。父・敏清さんに続いて親子2代でインターハイ王者になったことだ
(右写真=父・敏清さんとともに)。「お父さんが強かったことで、自分もそうなりたいと思った」と森下の目指すところはいつも親父の背中だった。

 全国中学校選手権でもそうだった。敏清さんは2連覇し、その肩書きをひっさげて霞ヶ浦に鳴り物入りで進学した。森下も中学2・3年と連覇し、初の「全中親子チャンピオン」として注目された。そしてこの日、高校2年でインターハイを制したことで、高校3年でインターハイ王者となった父を超えた。

 だが、その喜びもつかの間に過ぎない。森下には2世レスラーとしての試練がまだまだ続く。敏清さんは高校チャンピオンになった後、日体大に進学し3、4年でインカレ2連覇を達成した超エリート選手。「次は親子でインカレチャンピオン?」の問いに恐縮する敏清さんの横で、森下は目を輝かせながら笑顔を見せた。

 2年生で高校チャンピオンになった森下。来年はインターハイを連覇して、大学親子チャンピオンに弾みをつける!

(文・撮影=増渕由気子)


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