【特集】北京オリンピックにかける(8)…男子フリースタイル60kg級・湯元健一(日体大助手)【2008年8月7日】






 日本のお家芸・フリースタイルからは北京五輪に3選手が出場する。60s級に出場する湯元健一(日体大助手=左写真)は、北京五輪男子代表の中で23歳と最年少だ。21歳で全日本の頂点に立ってから3年。日本ならではの高速タックルを中心とした正攻法で世界のトップを狙う。

 湯元の階級はアテネ五輪後の世界選手権フリースタイルで唯一メダルを獲得している階級。日本では、本命不在の激戦階級だった。もっとも、2006年中国・広州でメダルを獲得したのは、湯元が「最大のライバルだった」と認めた高塚紀行(日大コーチ)だ。

 そして、湯元、高塚のほかにも国内さえ勝ち抜けば世界で花開きそうな選手がこの階級にはたくさんいた。湯元はそのライバルたちと切磋琢磨したからこそ日々進化できたのだ。

■カウンターなんて怖くない! 普段どおりの”日体大スタイル”を

 アテネ五輪後の4年間、湯元は常にフリースタイル60s級の中心にいた。高塚が世界3位に輝いた時も、高塚に分がいい湯元は「世界3位より強い選手」という冠をつけられたほど。ところが、2007年に2度目の世界選手権で初戦敗退に終わると、屈辱の汚名をつけられた−。「国内最強。でも世界では勝てない」−。

 世界で勝ち抜く力は2005年の世界選手権から十分にあった。前年のアテネ五輪王者のヤンドロ・キンタナ(キューバ)と互角近くに闘ったほどで、五輪王者の背中が見える位置にいたといっても過言ではない。

 しかし、極度の緊張が湯元本来の力を奪ってしまう。負けた時の敗因は「攻めずに相手を見てしまった」。そこで、今年5月の北京五輪最終予選(ポーランド)では、ディフェンスする暇がないほど攻め続けた。攻め続けるのが湯元にとって一番の“ディフェンス”。北京五輪を目の前にしても、「自分のディフェンスは強くない」と公言する。

 「全力を出し切りたい」―。湯元はメダル獲得の前にまず、ベストを尽くすことにこだわっている。湯元が五輪で力を出し切るには、「練習どおりにやれば金メダルが取れる」と福田富昭会長の言葉どおり、日体大でスパーリングをするような試合展開をすることだ
(右写真=チーム最年少として北京へ向かう湯元)

 「守っていたら0かマイナス1。カウンターを恐れずに、自分が常に先手を取って攻めていきたい」。攻めのレスリングで五輪最終予選を勝ち抜いた湯元に、レスリング・スタイルの迷いはない。五輪で平常心でいられるかどうかがカギとなりそうだ。

■何かと注目されたフリースタイル60s級。そのプレッシャーの影響は?

 練習パートナーには双子の弟・進一(自衛隊)を指名。北京にも同行する。進一も6月の明治乳業杯全日本選抜選手権で優勝し、名実ともに“最強双子レスラー”となった。

 一番の理解者と常に一緒にいられることで精神的にも安定して試合に臨めそうだ。「僕はタックルが得意。進一は天性のバランス感覚がある」と互いに尊敬しあっている。進一からもらったアドバイスは「トライアルのときのような緊張した試合をやってこい」。北京五輪は湯元兄弟の夢の途中にすぎない。湯元の活躍でロンドン五輪双子同時出場への糧にするつもりだ(左写真:全日本選抜王者になった進一=右=と五輪代表を決めた健一)

 「アテネ五輪後、フリースタイルで唯一メダルを取った階級」

 「群雄割拠、日本屈指の激戦区」

 「カリスマ格闘家・山本”KID”徳郁が参戦した階級」

 アテネ五輪後、この階級はマスコミから最も注目を浴びてきた階級。だからこそ、代表の湯元にはプレッシャーがかかる。「高校からそうでしたけど、いつも勝っている時は大きなプレッシャーがかかっている時だった」。3度目の世界のマットで、湯元が世界のライバルたちに進化の証を見せ付ける!

(文=増渕由気子)


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