【特集】初戦敗退だが、ドーハの悲劇を乗り越えてつかんだ五輪の舞台に誇り…96kg級・加藤賢三(自衛隊)【2008年8月15日】






 得意の首投げも不発に終わり、初戦で敗退(右写真)。「ローリング(実際はリフト)も回されたし、負けは仕方ない。一生懸命にやった」。夢の舞台に立てた男子グレコローマン96s級の加藤賢三(自衛隊)にはレスリングをやり切った感があった。「13年間レスリングをやってきて、これが自分の限界」と現役引退宣言をした。

 13年間のレスリング生活を振り返ると、ターニングポイントとなった事件がある。2年前のドーハ・アジア大会の重量級派遣が取りやめになったことだ。自衛隊には全日本チャンピオンがたくさんいる。アジア大会の出陣式に、全日本チャンピオンながら加藤は代表選手たちを見送った。「悔しいというより、恥ずかしかった。それをバネにしてやってきた。あんな思いをするのはオレだけで十分だ」と、温和な加藤が語気を強めた。

 オリンピック、アジア大会、世界選手権に出場することは選手にとって名誉なこと。加藤は「出られるのに日本の協会が派遣をカットしたことで、その時点でレスリングを辞めようと思った」と本音を吐露した。加藤はそれでもマットに残った。自分が体を張って耐えないと、本当に重量級の未来がないと思ったからだ。

■重量級はお荷物…その偏見を変えた加藤

 お家芸としてマスコミから注目されているレスリングだが、それはかつての男子軽量級、今は女子が中心。“勝てない”重量級は常に肩身の狭い思いを強いられてきた。「強くなりたいのに、いつも重量級は“お荷物”扱いだった。体が大きいやつはレスリングやっちゃいけないのか?」という自問自答の日々。

 確かに結果だけを並べて強化費の分配を決めるなら、女子やフリースタイル軽量級を優遇したいところ。だが加藤は言う。「海外で経験を積まなければ、強くなれない」。ただでさえ重量級はコマ不足で、フリースタイル60s級に象徴されるような群雄割拠の階級は皆無。チャンピオンは国内敵なしの状態で、自分の腕を磨くには、海外に出るしかない。

 レスリングは技を掛け合う格闘技なのに、一時はマットにほとんど上がらずウエイトトレーニングばかりやって肉体改造にも取り組んだ。強くなるためには“レスリング”をも捨てたのだ。また、「軽量級と同じメニューをこなしたし、インターバルもやった」。重量級だからという偏見を少しでもなくそうと必死に努力もした。

 その努力が実って、フリースタイル軽量級より五輪代表の座を真っ先に射止めたことで、“お荷物”から急に“重鎮扱い”へ。加藤は「時の人」となった
(左写真=五輪の舞台で外国選手と真っ向から闘った加藤)

■後輩たちのシンボルになった加藤。「僕の技、教えます」

 「後輩たちががんばろうと思える試合をしたい」―。加藤が言い続けてきた北京五輪の目標。結果は出なかったが、グレコローマン96s級に加藤がエントリーした意味は大きい。先月終わりの世界ジュニア選手権(トルコ)では、フリー&グレコの軽量級は惨敗。唯一メダルを獲得したのが両スタイルの120s級だった。

 加藤が五輪に立つことが若手の勇気につながっているのは事実。現役生活は今回までと決めている加藤は「下の世代に技術指導をしてみたい」と、機会があれば重量級専門で“加藤の首投げ講座”などの開講も希望した。それ以外でも「首投げならいくらでも教えたい。重量級のみなさん、自衛隊にどうぞ来てください」とのメッセージも。

 “世界5位”の加藤語る「世界で勝ち抜く秘訣」とは、「少しお金はかかるけど、世界に出て外国人と肌を合わせること」。経験を積むことが一番だと主張した。やはり現役生活で悔いが残るのはアジア大会の派遣カット。貴重な海外経験を積むことができなかったことは今でも悔しさがにじみ出る。

 レスリングは個人競技だが、チームジャパン体制で臨んでいる。「チーム一丸となることが重要なのに、派遣カットとかしていては、重量級はいつまでたっても強くなれないし、全体的にも強くなれない」。世界5位でかつオリンピアンの加藤だからこそ、声を大にして言える言葉。この課題はロンドンで克服されるだろうか−。
(右写真=妻・智恵さん、長女・結依ちゃんとともに)

(文=増渕由気子、撮影=樋口郁夫)



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