【特集】ショックだった姉・千春の敗戦を乗り越えて五輪連覇…63kg級・伊調馨(ALSOK綜合警備保障)【2008年8月18日】






 いつもは弾けるようなカオリン・スマイルが、あふれる涙でくしゃくしゃだった。女子63s級の伊調馨(ALSOK綜合警備保障)は2大会連続の金メダル獲得を告げるブザーと同時に手で顔を覆った。うれし涙があふれすぎて、顔は泣き顔そのものだった(左写真=金メダルを決め、栄和人監督と木名瀬重夫コーチに抱きかかえられる伊調)

■姉の敗戦でモチベーションの生命線が切れた!

 2004年アテネ五輪に初の公式種目となったレスリング女子。初参加した伊調は”姉妹優勝”よりも、まずは自分が勝つことに集中した。惜しくも千春が銀メダルに終わったことで、北京五輪への道は“姉妹で五輪チャンピオン”という目標が馨のすべてだった。

 “姉妹で五輪金メダル”は決して大それた目標ではない。2006・07年の世界選手権ではともに姉妹優勝を達成しており、伊調姉妹はまさに最強姉妹。2年続けた姉妹優勝を、今年もやればいいだけだ。姉・千春が2回戦で最強のライバル、イリーナ・メルレニ(ウクライナ)を倒したことで夢は現実味を帯びてきた。

 ところが決勝でカナダの伏兵キャロル・ヒュンに不覚。千春の試合をすべて生観戦した馨は、モチベーションの生命線がぷつりと切れてしまった。兄の寿行さんの「馨は相当落ち込んでいました。気にするなと言ってもね…」という心配どおり、馨は「千春が金を取れなかったので、戦う意味がないと思い、闘うのをやめようと思った」と、なんと試合放棄まで考えていたという。

 押しとどめたのは、千春の「私の歩んできた道は金メダル」という言葉。千春と両親からの言葉。「金メダルを取って」とハッパをかけてもらったおかげで、気持ちを立て直し、マットの上に上がった。初戦(2回戦)と3回戦はカウンター攻撃からバックを取ってフォールを奪った。

■準決勝のピンチは千春に救われた

 それでも、一度切れてしまった気持ちを100パーセントまで戻すことはできなかったのだろう。準決勝は馨自身も「負けると思った」と振り返るように苦しい戦いだった。カナダのダグレニエに足を何度も取られてピンチの連続
(右写真)。天性のバランスで足を取られながら、返し技に移行したことで失点を最小限にとどめて薄氷の勝利をつかんだが、”絶対女王”馨本来の姿ではなかった。

 敗戦を覚悟した馨が負けなかった理由はやはり千春だった。「第3ピリオドの最後、足が動いてくれた。千春が力を貸してくれたのだと思う」。姉妹で金の目標を、「千春のために金」にシフトチェンジした馨は、やっぱり強かった。

 現行ルールは「運が勝負を左右する」と揶揄(やゆ)されることがあるが、馨にはまったく関係ない。ボールピックアップが4試合中2度も不利に出たが、天性のバランスでしのいで見せた。苦しみながらつかんだ2大会連続の金メダルに、今までのプレッシャーから開放されて涙がとめどなくほほを伝った。

■シングレット姿では大粒の涙 表彰式では会心の笑顔

 「このメダルは千春ととも2人でつかんだもの」。自分が取った金メダルの意味をこう解釈した馨は、表彰式でいつもどおりのカオリン・スマイルを振りまいた。女子代表では最年少の23歳。一足先に金メダルを獲得した吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)は、2012年ロンドン五輪での3連覇宣言をしたばかり。だが、馨は「(引退が濃厚な)千春がいないなら、(レスリングを)やる意味がない」と現役続行を保留した。兄・寿行さんも「少し休んでほしい」と“姉妹優勝”という重圧に4年間縛り続けられてきた妹2人に休息をうながした。「特に馨はポッと止めてもおかしくない性格ですし」−。

 10月には東京で世界女子選手権も開催される。姉妹で2大会連続五輪メダリストになった伊調姉妹が、再びそろって“姉妹金”を目指す日はやってくるか?

(文=増渕由気子、撮影=樋口郁夫)



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