「絶対に負けない気持ち」で日本の伝統を死守…55kg級・松永共広(ALSOK綜合警備保障)【2008年8月20日】



 表彰式のためアリーナに入場してきた55kg級銀メダリスト、松永共広(ALSOK綜合警備保障)は、観客席をちらりと見たあと、わずかの時間だが両手で顔を覆った。やはり銀メダルでは胸を張れないのだろう。だが、現元の2人の世界チャンピオンを含めて激戦を勝ち抜いた松永を、だれが責めようか(右写真=最後まで笑顔のなかった表彰式)

 7月に縫合した右耳のつけ根からは、出血していた。右目周辺はバッティング(かみつかれた、との情報もあり)で紫色に腫れあがっていた。強豪が集ってしまった過酷な組み合わせの中で、すさまじい闘いを演じ、戦後のオリンピックで続けてきた日本男子レスリングのメダル獲得の伝統を守った。

 「悔しい気持ちもあるけれ、メダルを取れてよかった。(3回戦の)マンスロフを破れたことはうれしい」。ならば、もっと胸を張ってほしい。だが、「世界(五輪)チャンピオンになりたかったので…」という気持ちが、その表情に笑みが浮かぶことを阻止していた。

■大きな壁だった2003・05年世界王者のマンスロフを撃破

 シード制を採用していないレスリングでは、強豪が片方のブロックに固まってしまうことがよくある。フリースタイル初日では、湯元健一の60kg級は強豪の多くが反対側に固まったのに対し、55kg級は強豪が集まってしまった。

 「やるしかない」と抽選後の松永。強豪が集まったものの、松永の場合はその合間をうまく縫い、3回戦のディルショド・マンスロフ(2003・05年世界王者=ウズベキスタン)戦が最初の大きなヤマになった。過去3戦3敗。アテネ五輪銅メダリストの田南部力をはじめ、田岡秀規、稲葉泰弘と日本選手は誰も勝ったことのない大きな壁だ。

 しかし松永は攻撃し、粘りに粘った。ピリオドスコア1−1のあとの第3ピリオド、34秒に1点を先行され、試合巧者のマンスロフの逃げ切りのパターンだった。だが1分24秒、執念のタックルで1−1。このままのスコアでもラストポイントによって勝つことができたが、松永は守りに入らなかった。

 そして1分54秒、タックルで1ポイントを追加(左写真)。マンスロフへの勝因を問われた松永は「絶対に負けない気持ちだと思います」と答えたが、この“必要のない1点”を取りにいったのは、その気持ちの表れにほかなるまい。

■日本の伝統死守に、ちょっぴり表情がなごんだ

 レスリングは守っては勝てない。守ってしまっては逆転されてしまったかもしれない。この1点は“必要のない1点”ではなく“勝つために絶対に必要な1点”だった。それは勝利への壮絶な執念。この気持ちがあったからこそ、最大のライバルの撃破へとつながった。

 さらに、「たまたまだ」とは言ったものの、昨年の世界王者ベシク・クドゥコフ(ロシア)にフォール勝ちしての決勝進出。それだけに、勝ちたい気持ちは強かっただろう。敗因は「脚をさわらせてしまったこと」と振り返った。

 「22年間やってきて、(金メダルでなくて)辛い面もあるけど、うれしいことかもしれない」。悔しさとうれしさの間を、気持ちが何度も揺れ動いているのだろう、同じような言葉を何度か繰り返した松永。

 最後まで笑みは浮かばなかったが、日本レスリング界の伝統を守ったことに話が及ぶと、「やはり日本は軽量級ですね」と、ちょっぴり誇らしげになった。「こんなことを言ってはいけないのかな?」と、中重量級の選手たちに気を遣うことを忘れなかったが、伝統死守の価値をしっかりと感じた時、喜びがあらためて湧いてくることだろう(右写真=日本からの応援団。松永の銀メダルを祝福した)

■福田富昭会長も高評価「金メダル復活の道をつくってくれた」

 日本協会の福田富昭会長は、湯元健一の銅メダル獲得とともに激闘を称えた。「オリンピックは苦しい練習に耐え抜いた選手が勝ち上がる。2人の世界チャンピオンを破ったことはすごい。そこで燃え尽きて決勝は攻撃せきなかったのかもしれない。しかし、よく頑張ってくれた」と、手放しの喜びよう。

 「アテネ五輪は銅2個だったが、今回はすでに銀1、銅1。前進してくれた。金メダル復活の道をつくってくれた」と続け、価値ある銀メダルと評価した。やはり価値ある銀メダルだ。今後の進退については明言しなかったが、この銀メダルを機に来年の世界チャンピオンを目指して奮戦してほしい。

(文・撮影=樋口郁夫)


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