ロンドン五輪への通過点としては満足の銅メダル…60kg級・湯元健一(日体大助手)【2008年8月20日】



 「攻撃が僕の最大のディフェンス。全力を尽くしてきます」。男子フリースタイル60s級で銅メダルを獲得した湯元健一(日体大助手)は、3位決定戦前にあらためて北京五輪の目標を思い出した(右写真=銅メダル獲得直前、応援席を見た湯元)

 試合はフリースタイル55s級決勝戦の直後。その舞台には、日体大の先輩の松永共広(ALSOK綜合警備保障)が立っていた。松永は厳しい予選ブロックに入ったが、世界チャンピオンを2人も倒して決勝戦に進出。優勝を目の前にしていたが、攻撃が後手に回って0−2のストレートで敗戦。銀メダルに終わった。

 誰もが認める“天才”松永が負けたことで、「攻めないとやられると思った」という湯元は、3位決定戦で全力を尽くして前に出た。佐藤満コーチ(専大教)が「五輪への仕上げはよかったけど、まだ海外の経験が足りない。自分のレスリングスタイルが分かっていない」と語るように、今日の湯元の動きは本来の姿ではなかったが、気持ちだけは恐怖心に打ち勝っていた。

■弟・進一のアドバイスでアンクルホールドを狙う

 第1ピリオドは結局攻めあぐねてボールピックアップの優先権を得て獲得したが、第2ピリオド、国内予選を勝ち抜いた湯元の高速タックルが鮮やかに決まった。すぐさま体勢整えるとアンクルホールドに移行。数ある中でアンクルホールドをチョイスした理由は、双子の弟・進一(自衛隊)の助言があったからだ。「進一がアンクルで行けと言ってくれた」と、完全ではなかったが強引に技を決めて見せた。

 進一がアンクルにこだわったのには理由がある。試合前の調整は完全だったが、試合のマットでは重たそうな足で試合をこなす兄の姿を見があった。気持ちで3回戦を勝ち抜いたが、準決勝で湯元のライバル・高塚紀行(日大)やアテネ五輪銅メダリストの井上謙二(自衛隊)も勝利を収めている相手に、湯元はまさかのストレート負け。

 「このまま3位決定戦に上がったら負ける」。そう思った進一はいてもたってもいられず健一を励ましに行った。進一は湯元の一番の理解者。「健一の得意、不得意は一番分かっている。だからこそアンクルで行けと言った」(左写真=日体大・安達巧監督、両親とともに銅メダル獲得を喜ぶ弟・進一)

 湯元も進一の言葉を受け入れて3位決定戦に臨んだ。得意のタックルで第2ピリオド中盤に1点を奪うとすかさず相手の足をからませてアンクルホールドでダメ押しの1点で勝利を確実にした。「進一のアドバイスがなかったら、アンクルは出さなかったかもしれない」。双子の進一だからこそできたアドバイスが銅メダルへのアシストとなった。

■「通過点としてはよくやったと思う」と合格点の銅メダル

 国内では最強だったものの、海外での成績を残せず苦しんだ3年間。世界選手権初戦敗退をしてしまった昨年のアゼルバイジャン。再起を計った昨年12月の全日本選手権で敗れてアジア選手権の代表落ち。そこから這い上がっての銅メダルは「(ロンドン五輪への)通過点としては良くやったと思う」と本人も満足げだ。

 2大会連続、この階級で銅メダルを獲得した日本。「この階級は日本でたくさん強い選手がいるから、メダルを取らなくてはいけないと思った」と金メダルには届かなかったが、最低限の仕事はしたつもり。24歳の湯元はまだまだこれからの選手。「次のロンドン五輪は(進一と)2人で出たい。2人で喜びをわかちあいたい。2人で金メダルをとりたい」−
(右写真=サイン入り日の丸を広げる湯元)

 進一も「五輪に出られなかったのは悔しかったけど、今日までは割り切ってサポート役に回った。明日からは違う」とキッパリ。銅メダルの喜びも束の間、明日から湯元兄弟が“日本のベログラゾフ兄弟(旧ソ連の強豪双子選手)”を目指して走り出す−。

(文=増渕由気子、撮影=増渕由気子、樋口郁夫)


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