【特集】「心配をかけてごめんなさい」。両親への思いを手紙に託した池松和彦【2008年8月21日】



 日本選手の最後にマットに上がった男子フリースタイル66kg級の池松和彦(K-POWERS)の応援に、観客席には両親、兄弟、妻、親族、知人の方々12名で結成された池松応援団がつめかけた(左写真=試合後、応援団にあいさつする池松)

 池松は試合の前日に妻・由紀さんと電話で話をし、「調子がいい」と伝えていた。だが、その際、両親とは直接話をしなかったという。電話で話す代わり、宛名に「池松家のみな様へ」と記された一通の葉書を北京への出発直前に家族に向けて送っていた。

 アテネ五輪後、燃え尽き症候群になった池松。両親も「一年前から比べたら北京のマットに上がれるとは思っていなかった。このマットに上がれただけでもよかった」と当時を振り返る。

 「心配をかけてごめんなさい」。手紙の中には謝罪の一文が含まれていた。そして、オリンピックに2度出場を果たした身体を授けてくれた両親に対する感謝の気持ちも。「健康な体に生まれて有難いです」。手紙の最後は「北京五輪を楽しんでください。僕も頑張ります。いってきます」という言葉でしめられていた。

 惜しくも初戦敗退という結果にはなってしまったが、一度は離れそうになったマットに再び立ち、オリンピックの舞台へとかけのぼった池松。「おつかれさま―」。父・和義さんは息子にそう言葉をかけるつもりだ。

(文=藤田絢子)


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