【特集】太田拓弥体制で初の戴冠! 早大が日体大を破って団体戦で初優勝!【2008年9月19日】



 8月の全日本学生選手権(インカレ)で入賞者が2人と惨敗を喫した早大が、たった3週間で立て直してきた。インカレ8階級を制覇し難攻不落の日体大を決勝戦で4−3で撃破。1951(昭和26)年から続く全日本学生王座決定戦で初優勝を成し遂げた。

 120s級の“大将”浅見哲郎が2−0で勝利を決めると、エンジの一群がマットになだれ込んで勝利を喜んだ。チームを率いた太田拓弥コーチほか、選手全員の目には涙がキラリ。インカレからわずか3週間で別チームのように、生まれ変わっていた。

 初戦の国士大戦と2回戦の日大戦には6−1で快勝した。準決勝では専大に4−3と苦戦したが、決勝戦で本来の力を十二分に発揮した結果だった。

■21世紀から始まった早大のビクトリーロード

 レスリングの父・八田一朗氏の母校である早大は、日本でレスリングが根づいた頃こそ強豪チームだったが、やがて中大と明大に押され、日大、専大の台頭、新興の国士大や日体大が強化を始めると、その強さは陰をひそめ、ついには”古豪”となってしまった。

 強い早大を望んだOBたちが一念発起したのは2000年。監督に就任した伊江邦男氏が早大に新しい血を入れることを決断し、翌年、コーチに日体大卒でアトランタ五輪銅メダリストの太田拓弥氏を招へい。スカウトにも力を入れて強化に取り組んできた。その前年に入学した長島和幸(現クリナップ)は太田氏の熱血指導でメキメキ頭角を発揮。インカレ3連覇を達成し、全日本選手権でも2位になった(右写真=優勝を決め涙を流す太田コーチと、伊江邦男監督)

 長島が卒業してコーチに就任すると、早大の指導体制も本格的に整ってきた。2003年に入学した佐藤吏(現ALSOK綜合警備保障)は、学生選手権3連覇、大学選手権4連覇を達成し、大学3年生の時には早大で25年ぶりの学生での全日本王者に輝いた。佐藤のがんばりに触発されたチームはメキメキ上達。この4年間、早大は“強豪”チームに再び名前を連ねるようになった。

■高かった母校・日体大の壁

 “強豪”の肩書きは簡単に手に入った早大だったが、“チャンピオン”の称号はなかなか手が届かなかった。東日本学生リーグ戦には決勝戦まで進むものの、日体大や拓大に阻まれた。「オレの指導が悪いからだ…」と太田コーチのぼやきは日常茶飯事。

 この4年間、優勝する力を擁しながら、経験の差で日体大のが城を崩せなかった。今年も十分な戦力があるにもかかわらず、インカレではグレコローマンで入賞者なし。フリーでも優勝はなく、60kg級の松本桂の2位が最高だった。

 太田コーチは「相当怒りました。フリー王座は4年生抜きで闘う、と最初言ったくらいです」とインカレ直後のことを振り返る。「それでもよく切り替えてくれた。(決勝は)1年生の山口がフォールで流れを持ってきてくれて、勝利を確信した。一番活躍したのは“全員”です。」と、目を真っ赤にしながら選手たちをねぎらった(左写真=選手からの胴上げで宙に舞った太田コーチ)

 伊江監督が就任して9年、太田コーチが入って8年の歳月が流れていた。「レスリングの父である八田先生に『早稲田を強くしました』と報告できました。チームを誇りに思う」と、日体大卒業ながら伝統ある早大で指導を続けた太田コーチも感無量。”強い早大”が再び頂点に立った。

(文・撮影=増渕由気子)


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