【特集】日体大出げいこでメンタル強化! 早大レスリング部復活の理由−【2008年9月20日】



 2001年にアトランタ五輪銅メダリストの太田拓弥氏をコーチに迎え、2007年の早大創立125周年での優勝を目指して強化に取り組んできた早大。2005年には東日本学生リーグ戦で日体大を撃破。グループ優勝を飾って決勝に進出し、早大復活ののろしをあげた。

 その2005年に入学してきたのが現在の4年生だ。大月葵斐、浅見哲郎、そして主将の安沢薫。今大会活躍した4年生トリオの入学時には、すでに強豪の一角を占めており、優勝することが早大選手の使命だった。太田コーチが「優勝できるチームになったというか、去年も今年も優勝しなくてはいけないチームになった」と目標のハードルを上げていたように、選手たちも「優勝したい」気持ちよりも、「優勝する」という強い意思を持って戦ってきた(右写真=乗り越えられなかった壁を乗り越え、優勝を遂げた早大)

 だが、今春まで団体戦で安沢らが表彰台の真ん中に立つことはなかった。3年生で全日本選手権を制した佐藤吏(現ALSOK綜合警備保障)のように、この数年は個人で奮闘するも、団体タイトルに手が届かずに学生生活を終える選手が続出。当初の目的であった2007年の大学125周年での団体優勝の夢もかなわずに終わった。

■今年のチームは大学一のチームワークが持ち味

 「オレらの代でこそやってやる!」「強化をはかってくれた伊江監督を絶対に胴上げする!」−。強い気持ちで今シーズンを迎えた安沢ら4年生。安沢は主将として絶大な信頼感があり、6月の全日本選抜選手権準優勝の小田裕之に対しても相性がいい。大月は昨秋、3年生で大学王者になり、早大中量級の不動のエース。浅見は84s級が専門ながら、計量直前まで飲み食いして120s級までこなす器用さを持っていた(左写真=チームスコア1−2から2−2へ追い上げた大月)

 この3人が格となって最後の東日本学生リーグ戦に臨んだが、またも優勝に届かず。“優勝”への挑戦は全日本学生王座決定戦に持ち越しとなっていた。

 10月には全日本大学グレコローマン選手権、11月には全日本大学選手権と主要大会が続くが、団体戦形式で戦うのは今回の王座決定戦が最後。ワンデー・トーナメントの団体戦のため、最もチームワークが要求されるこの大会で、「チームワークならどこにも負けない」(安沢主将)と自負する早大が、21世紀4度目の決勝の舞台に立った。

 なんどもはね返されてきた日体大との決勝戦。ポイントゲッターだった55kg級の藤元洋平が2−1で惜敗すると、安沢主将も逆転負け。一瞬にして敗戦ムードが漂ったが、その悪い空気を取り払ったのが、スーパールーキーの石田智嗣と山口剛だ。日体大相手に物おじすることなくひょうひょうと勝利。特に山口は開始早々の巻き投げでフォールを奪い(右写真)、最高の形でチームスコアを3−3のタイにして“大将”の浅見につなげた。

 相手のしんがりは96kg級学生王者の下屋敷圭貴。浅見は本来の階級ではないものの、120s級での豊富な経験を生かしてタックルを決め、第1ピリオドを奪うと、第2ピリオドはタックル返しで鮮やかな2点。早大初優勝の白星へつなげた。「団体優勝は初めて。本当に気持ちがいいですね」と、生涯初の団体優勝を果たした浅見からは安堵の声を発した。

■わずか3週間で別チームに変貌

 安沢主将は「本当にうれしいかった。チームが成長してくれたから優勝できた」と、真っ先にチームメイトをねぎらった。8月下旬の全日本学生選手権(インカレ)で優勝なしの惨敗からわずか3週間。一番取り組んできたことはメンタル面の強化だった。

 インカレ直後の9月上旬。練習のオフがあけたばかりの時に太田コーチが思い切った練習を提案した。それが「敵地・日体大への出げいこ」だった。インカレの疲れも残っている状態で、太田コーチ発案の特別メニューに「意味があるのか…」と疑問を持ちながら日体大に出向く学生もいたほど。だが、実際に日体大のマットに立ったことが早大レスリング部員のメンタルを確実に変えた。浅見が「追い込んだ状態での(技術の)差はなかったし、練習雰囲気も負けていなかった」と話すとおり、全員が自分の強さに気づくきっかけになった
(左写真=MVPに輝いた浅見。左は全日本学生連盟の伴義孝会長)

 「オレは強い!」という自信に、どこにも負けないチームワークが加われば鬼に金棒。今大会での早大復活は必然の出来事だったのかもしれない。8月初めのインターハイでは、霞ヶ浦が関東大会の惨敗をバネにわずか2ヵ月後に復活Vを飾った。大学レスリング界でも、気持ちを切り替えることによって、わずか3週間で早大が底に落ちた状態から這い上がってきた。

 「一番大切なのは気持ち。この勢いで内閣(全日本大学選手権=11月、新潟市)も取ります!」(安沢主将)。今大会の初優勝をきっかけに、早大のビクトリーロードの第2章が幕を開けた。

(文・撮影=増渕由気子)


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