【特集】北京五輪銀メダリストもやった快挙! 北村公平(京都八幡)が2年生で高校五冠王者へ【2008年9月30日】







 京都八幡から2年連続で2年生の三冠王者が誕生した。「チャレンジ! おおいた国体」のレスリング少年の部フリースタイル74s級で北村公平(京都・京都八幡)がアクシデントを乗り越えて偉業を達成。4月のJOC杯カデット選手権、8月の全国高校グレコローマン選手権をあわせると五冠制覇という金字塔だった。
 
 今年春、同郷のライバル、”タックル王子”こと高谷惣亮(網野高〜拓大)が高校を卒業したあと、同級では無敵の存在。優勝は当たり前で、インターハイでは失点したことを悔やむほどで、試合の内容を意識するようになった。国体では第1シードに名を連ね、あとは強さを見せるだけという状況だった。

■準々決勝で首を負傷! 五冠王に黄色信号が灯った!

 しかし、栄光は一筋縄ではやってこなかった。準々決勝の松本岬(長崎・島原)戦の第1ピリオドだった。得意の高速タックルに入ったところ、首がちょうど相手の足に激突。左首から肩にかけて激痛が走った。北村が「タイトルをあきらめかけました」と振り返るように、試合中にもかかわらず顔をゆがめて手を肩に当てた
(右写真)

 北村がインターバル中に肩に手を当ててうずくまり、他県の監督は心配したようだが、藤元愼平コーチは「北村は同階級ではずば抜けています。けがしたくらいがハンディになるくらい」と語り、このくらいのアクシデントはさほど心配することではないと思われた。体は動いていたので、同コーチのみならず京都府関係者はけががそこまで重傷だとは思わなかった。事実、試合は無失点のストレート勝ちで切り抜けた
(左写真)

 ところが、負傷はは予想以上に悪かった。浅井努監督は「試合中、本人は『左肩に電気が走った』と言いましたが、大丈夫かなと思い、試合を続行させました。しかし、控え室に戻るころには『首が動きません』という状況でしたので焦りました」と振り返る。

 それでも勝利の女神は北村を見捨てていなかった。この日は、初日にけがを負って満身創いで60s級に出場していた同校の昨年の三冠王者、田中幸太郎の具合を心配して、京都府のドクターが会場に待機していた。チームドクターたちによって服用可能な痛み止めなどが処方され、決勝までになんとか痛みをひかせることに成功。五冠のタイトルがかかった大切な決勝戦は、無事“いつもの北村”で臨めることになった。

■高谷惣亮に続く京都からの高校生スターになれるか

 痛みさえ引いてしまえば、決勝は北村ワールド全開。倨V謙(青森・光星学院)相手に持ち前のスピードあるタックルで1点。第2ピリオドも中盤で両足タックルから豪快に相手をかつぎ上げて得点を重ね
(右写真)、会場を魅せた。「とにかくタイトルが取れてうれしい。それだけ」と話した北村。「首はムチウチ症のようだった。でも最後のタイトルだからしっかりと思って」と、最後は気持ちがけがの痛みに勝ったようだ。

 高校2年生での五冠王者は、北京五輪銀メダリストの1997年の松永共広(静岡・沼津学園=現飛龍)らが達成している記録(クリック)。高校時代に三冠王や五冠王になることがレスリングのトップ選手としてやっていく一つの指標となるが、北村は「オリンピックを目指すことが見えてきた」とうれしそう。

 8月の北京五輪はテレビで観戦し、松永らの活躍を見て今回の大会へのモチベーションにつなげたそうだ。「松永さんは可憐なレスリングをする。僕はダイナミックなレスリングをしたい」と、今後も豪快な両足3点タックルにこだわることを宣言した。

 今年の活躍によって、北村には12月の天皇杯全日本選手権への出場が認められる。浅井監督は「去年は高谷が初出場で2位と活躍した。北村はどうかな。あのスピードある両足タックルがどこまで大学生と社会人に通用するか、今年の冬が楽しみですね」と喜びを隠せない。

 北京五輪は終了した。2012年のロンドン五輪に向けて、新たなスターが全日本選手権のマットで誕生するか−。

(文・撮影=増渕由気子)



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