プロ選手の参加(1)

山本“KID”徳郁(KILLER BEE=山梨学院大OB)


 プロ修斗を経て、K−1、HERO'Sで活躍。中量級ファイターとして圧倒的な人気を持つ山本“KID”徳郁(KILLLER BEE=山梨学院大OB)が、約7年2ヶ月ぶりにレスリングのマットへ戻ってくる。

 大学卒業と同時にプロの世界に身を投じ、苦労の末にスター街道を歩んだものの、たったひとつの心残りが、オリンピック出場の夢。「次のオリンピックの時にはできない。今しかできない挑戦」と、プロの多額のファイトマネーを捨て、夢に挑んできた。

山本“KID”徳郁のレスリング時代の成績 ⇒ クリック

関連記事 ⇒ レスリング復帰会見 / 公開練習


小学生時代 中学生時代 高校生時代 大学時代 最後の全日本選手権

◎小学生時代

 1982年全国少年選手権・幼児18kg級で初出場初優勝。

 翌83年は体重が規定に達しなかったため出場できなかったが、84年に小学校1〜2年20kg級で優勝して以来、88年まで5年連続で全国大会を制覇した。

 87年には姉の山本美憂さんが13歳で全日本選手権を制覇。弟としても動向が注目された。
1988年7月、新潟市で行われた全国少年選手権・5〜6年30kg級で5年連続6度目の優勝を飾る。左写真の左は、妹の山本聖子さん。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

◎中学生時代

 3学年一緒に行う全国中学生選手権。さすがに1年生の時はきつかったが、2年生の90年に40kg級で、3年生の91年に47kg級で優勝した。

 90年の優勝の時は、5階級上の60kg級で宮田和幸が優勝。また、プロ格闘家だった今村雄介(現在は引退)も、90・91年の83kg級で優勝していた。

 優勝選手には世界カデット選手権出場のご褒美があったが、KIDは2年連続で6位入賞という好成績を残した。
90年優勝のKID

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

◎高校時代

 神奈川・桐蔭学院高校へ進学したKIDだが、途中で米国アリゾナ州のマルコス・デ・ニーザン高校へ進学。同州の高校チャンピオンに輝くなど活躍した。

 米国の高校でやっているレスリングはカレッジ・スタイルといって、フリースタイルとはやや違う。フリースタイルも忘れてはならないとばかりに国内の大会も視野に入れ、94年4月のJOC杯ジュニア選手権に帰国参戦。年上の大学生選手相手に奮戦し、敗れたとはいえ、将来性を見せた。

 同年11月には全日本選手権出場を目指して帰国し、予選会に出場。当時の全日本選手権は各階級8選手という厳選で行われており、大学生の壁があって勝ち抜くことはできなかったが、米国仕込みの積極果敢なファイトはレスリング界の注目を集めた。
↑1994年JOC杯ジュニア選手権で、森分透(日体大)に挑んだ。
↑1994年全日本選手権予選会。初戦で全日本学生選手権4位の選手を破る殊勲を挙げたが(左写真)、2回戦で同2位の渡辺博文(山梨学院大)に敗れ(右写真)、本戦へは出場できず。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

◎大学時代

 帰国し、山梨学院大へ進学したKIDは、大学のOBでもある同級(フリー58kg級)全日本王者の石嶋勇次らに鍛えられ、東日本学生新人戦の優勝を経て、団体戦の中心選手として活躍する。

 99年にはアレキサンドリア国際大会(ギリシャ)で3位に入賞するなど国際舞台でも頭角を現す一方、学生二冠(全日本学生選手権・全日本大学選手権)を制覇。その間、母・憲子さんが亡くなった約1週間後に行われた全日本学生王座決定戦(団体)でもレギュラーとして活躍し、リーグ戦の覇者・日体大を破る原動力となって山梨学院大の優勝に貢献した。
 1999年5月の東日本学生リーグ戦の日体大戦では、同じ木口道場門下生だった笹本睦と対戦。4−6で無念の黒星。昨年のアジア大会王者の笹本は、この大会のあとグレコローマンに専念しているので、残念ながらリベンジのチャンスはない。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

◎最後の全日本選手権

 学生二冠王者となったKIDの次の目標は、全日本制覇 → シドニー五輪出場だった。大学4年生の99年12月に行われたシドニー五輪代表選考会を兼ねた全日本選手権では、準決勝で2年前の王者の石嶋勇次を3−2で撃破。あと1勝をかけて、前年王者の関川博紀に挑み、3−0とリードしたものの、後半息切れ。3−7で無念の敗戦。これがKIDの最後のレスリングの試合になった。(注=当時は現在と違い、3分2ピリオドのトータルポイントで判定)
↑開始早々にタックルを決めたKID。すぐにローリングを仕掛け、いわゆる“ワン・ツー攻撃”で3−0とリード。
↑3点を奪われた関川が反撃。タックルからのローリングでお返しし、第1ピリオドは関川が4−3でリードを奪う。
↑1点を追わねばならないKIDだが、関川は粘って1点ずつポイントを加え、最後は7−3へ。表彰式の時、KIDは目をつぶりつつ天を仰ぎ続けた。


《前ページへ戻る》