【特集】世界選手権へかける(15)…男子フリースタイル55kg級・田岡秀規【2006年9月19日】






 「私達が現役のころは、学生で世界に飛び出すのが当たり前だった。やっぱり学生の時から世界に出なくちゃ」――。世界で活躍する選手の条件として、こう力説する84年ロサンゼルス五輪フリースタイル57kg級金メダリストの富山英明・日本協会強化委員長(日大教)。

 そんな富山委員長が9月13日に東京・国立スポーツ科学センター行われた男子合宿の公開練習で、メダリストにもっとも近い選手と報道陣に紹介したのは、社会人4年目、25歳で初めて世界の舞台に立つフリースタイル55kg級の田岡秀規(自衛隊)だ。

 25歳で世界に飛び出す――。しかし田岡は、いわゆる“雑草”として努力を積み重ね、ようやくトップまで上り詰めた選手ではない。北海道・岩見沢農高時代は、松永共広(昨年度世界選手権フリー55kg級代表=当事静岡・沼津学園高、現ALSOK綜合警備保障)、小幡邦彦(世界選手権フリー74kg級代表=当事茨城・霞ヶ浦高、現ALSOK綜合警備保障)とともに、56kg級の高校三冠王者(全国高校選抜大会、インターハイ、国体)として注目を浴びた。

 しかし、山梨学院大へ進んだあと、けがの連続。歩けないほどに腰を痛め、次世代のホープから一転、選手生命の危機に立たされていた(参考記事=クリック)。

 けがと根気よく付き合った結果、手術から約3年たった2005年に復活を遂げる。2つの社会人大会(全日本社会人選手権・全国社会人オープン選手権)とサンキスト・オープン(米国)で優勝。そして12月の天皇杯全日本選手権で3位に食い込み、ようやく高校時と同じ地位が手元に見えてきた。

 2006年冬の国際大会では、ナショナルチームの遠征に帯同を許され、昨年の世界王者のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)と大接戦
(右写真)。海外での経験を積み、トップスターの輝きを取り戻していった。

 勝負勘を取り戻した田岡の勢いは止まらない。6月の明治乳業杯全日本選抜選手権で、アテネ五輪銅メダリストの田南部力(警視庁)の引退後、日本軽量級のエースとして絶対的な地位を築こうとしていた松永共広に本戦、プレーオフと勝利し、アップセットで世界選手権の代表の座を手に入れた。

 「選抜で勝ったのは、綿密に練った松永対策が功を奏したから」「世界では松永のほうが勝てる」――。こんな雑音もあったが、8月の「ベログラゾフ国際大会」(ロシア)で松永以上の成績である金メダル(松永は3位)を獲ることで、その雑音をかき消し、富山強化委員長が真っ先に「メダルに最も近い」と太鼓判を押すほどに成長を遂げた。

 だが、本人は「ロシア遠征はタックルが取れずに、守って運良く勝っただけで、あんな内容ではだめ」と反省しきり。自衛隊にがい旋した時も、「勝ったと思っていません」と国際大会金メダルを祝福する仲間の前で笑顔なくあいさつをしたそうだ。世界選手権での課題は“自分からタックルを仕掛けること”だ。

 もともと田岡は「受けと足腰の強さがすごい」と周囲をうならせるほどディフェンスが強いタイプ。柔道経験があるからか、相手の動きを受け止めてからの攻撃力は抜群だ。実際、6月の全日本選抜選手権で松永との死闘にピリオドを打ったのは、攻撃を仕掛けてきた松永をブロックし、そこからの足払いだった。

 だが、そのスタイルに頼ってしまい、オフェンス力には疑問が残る。8月の合宿では自分のレスリングを根本的に見直し、主にタックルの練習に時間を割いた。「前に出て、相手が反発してきたところでタックルにいきたい」。猛練習で磨き上げた田岡式タックルは世界の舞台で試すのみの段階まで来ている。

 初めての世界選手権。未知なる世界だが25歳の田岡に焦りはない。高校で頂点を極め、大学ではけがでどん底まで経験した。天国と地獄を味わった田岡には、精神的な強さも魅力の一つ。「不安? 国際大会の経験もあるし、世界1、2位とも試合をしているのでありません」と不安のかけらもうかがわせない。

 昨年、「90%、メダルが取れる」と期待されて世界へ飛び出した同期生でライバルの松永は、初の世界選手権を5位で終えた。6月の世界選手権代表獲得直後は、「松永君が去年5位だったので、それ以上の成績を残したい」と遠慮気味にコメントしていたが、世界選手権まで2週間となった13日の公開練習では、「金メダルしか狙っていないんで」とキッパリ。

 その言葉どおりに金メダルを取り、松永との北京五輪代表レースを一歩リードできるか!?

(文・撮影=増渕由気子) 


 ◎田岡秀規の最近の国際大会

 【2005年11月:サンキスト・オープン(米国)】


1回戦  ○[2−0(3-0,2-0)] Carlos Restrepo(米国)
2回戦  ○[2−0(4-0,4-0)] Matt Azevedo(米国)
準決勝 ○[2−0(2-0,4-0)] Alex Contreras(米国)
決  勝 ○[2−0(3-0,3-1)] Luke Eustice(米国)
           
 【2006年3月:ウズベキスタン・カップ(ウズベキスタン)】

1  回  戦 ○[2−0(1-0,1-0=2:04)] Besarion Gochashvili(グルジア)
2  回  戦 ○[2−0(3-0,5-0)] Vagan Simonyan(アルメニア)
準  決 勝 ●[1−2(0-1,6-2,0-2)] Dilshod Mansurov(ウズベキスタン)
3位決定戦 ●[0−2(0-3,0-1)] 稲葉泰弘(専大)

 【2006年3月:ダン・コロフ国際大会(ブルガリア)】

1  回  戦 ●[1−2(0-3,1-0,0-2)] 松永共広(ALSOK綜合警備保障)
3位決定戦 ○[フォール2P1:53(1-0,F6-0=1:53)] Erdinc Kirbiyik(トルコ)

 
【2006年8月:ベログラゾフ国際大会(ロシア)】

1回戦  ○[2−1(0-3,5-0,6-0)] Railian Vitaliy(ドイツ)
2回戦  ○[2−1(2-3,1-0,4-0)] Dolmnganov Dains(ロシア)
準決勝 ○[2−0(2-0,2-1)] Salihov Shamil(ロシア)
決  勝 ○[2−0(1-0,2-1)] Velikov Radoslav(ブルガリア)



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