【特集】全日本王者は逃したが、欧州遠征に抜てきされた“高校8冠王者”松本真也(日大)





 学生選手が5人(フリー3人、グレコ2人)も王者に輝いた昨年12月の天皇杯全日本選手権。今年1月23日からの全日本合宿(東京・国立スポーツ科学センター)では若手の姿が目立ち、将来へ向けた頼もしさを感じさせるが、京都・網野高時代の2002年に前人未到の8冠(全国高校選抜2回、インターハイ3回、国体3回)を制した松本真也(日大2年=写真右)の姿がないのは寂しい。全日本選手権(フリー84kg級)は準決勝で山本悟(岡山聾学教)に0−2(0−1、0−1)で負けてしまったため3位どまり。いわゆるナショナルチーム入りを逃したからだ。

 しかし今年度は学生の二大大会(全日本学生選手権84kg級、全日本大学選手権96kg級)を制覇している。決して伸び悩んでいるわけではない。「体調がよくなかったです。減量する必要がないほど細くなっていて…」。言い訳になると思ったのか多くを語らないが、「2分間では相手を仕留め切れなかったですね」と、新ルールへの対応ができなかったことも敗因のひとつとしてあるようだ。「最後がダメだったので悔しい1年になりました」と振り返る。

 この階級のチャンピオンに同期の磯川孝生(拓大)が輝いたことも悔しさのひとつだろう。だが、「磯川には勝つ自信があります」ときっぱり。磯川は大分・日本文理大付高時代、松本の1階級上の85kg級で高校四冠王を達成した強豪。階級は違ったが、ライバルとして競った選手だ。ともに大学へ進み、松本が階級を上げて戦うことになって、最初の試合はアップしたばかりの松本がフォール負けを喫している。

  【大学進学後の松本真也(日大)−磯川孝生(拓大)の対戦成績】

 2003年5月 東日本学生リーグ戦 磯川○[フォール、5:50]●松本
 2004年4月 全日本選抜選手権  磯川○[1-1=9:00]●松本
 2004年8月 全日本学生選手権  松本○[4−0]●磯川

 しかし昨夏のインカレ決勝で勝ち、ひとつの壁を越えた。「高校時代に8冠取ったといっても、大学へ進んで階級を上げたので、高校チャンピオンとして進学したという気持ちはありませんでした。0からのスタートでした。そんな状況から始めて、磯川に勝てたのは大きかったですね」。階級差を縮めた分だけ成長の度合いは大きいわけで、その勢いを全日本選手権に持ち込めなかったのだから無念だっただろう。

 高校時代はフリースタイルでは負けなしだった。当然、周囲の期待も大きかった。日大の重量級となれば、団体戦では優勝がかかる試合に出場することもある。大きなプレッシャーに襲われることもあるだろう。だが松本は言う。「高校のレスリングと大学のレスリングは全くレベルが違います。まして階級をアップしたわけですし、8冠王なんて考えたことはありません」。すべては0からのスタートだった。

 それでも、全日本選手権で5人の学生選手が優勝した現実を見せられると、「悔しい」という気持ちが湧いてきたという。飛躍するには謙虚さが必要だが、プライドも欠かせない要素。前人未到の偉業を達成した男のプライドは、常に心の片隅に持ち続けてほしいものだ。
(写真左は全日本大学選手権)

 日大のある指導者が、昨夏にインカレで優勝するまでの松本を「負けたけどフルタイム戦えた、接戦はできた、という満足感が出る選手だった。それじゃあ伸びない。リードされて終盤にもつれたら、カウンター技を受けてフォール負けすることがあってもいいから、勝ちにいかなければダメなんだ」と厳しく評したことがあった。このことを松本本人にぶつけてみると、「横山さん(秀和=アテネ五輪代表)との試合のことですかね。あの人は別格という気持ちがありましたね」と、そうした気持ちがなきにしもあらずだったことを認めた。

 しかし「今回の全日本選手権は、(負けた試合は)0−1、0−1でしたけど、満足感なんてありません。悔しさでいっぱいです」と語気を強めた。アテネ五輪前に全日本の練習に参加させてもらって横山と手合わせすることも多く、最初の頃に感じた恐怖心がなくなったことで、「意識が変わったと思います」と言う。

 「そろそろ世界にも目を向けなければならないでしょう」と話す松本に朗報だが入った。全日本チームの冬の欧州遠征へ84kg級は2選手を派遣することになり、磯川のほかに松本が選ばれたのだ。2月13日からトルコとブルガリアへ向かい、大会出場と練習をこなしてくる。

 2000・01年に2年連続でアジア・カデット王者になっている松本だが、全日本チームのメンバーとしての遠征、そしてシニアの世界の強豪との手合わせは違ったものになるはず。「ことしはユニバーシアードもあります。出る以上は優勝を目指します」。世界のレスリングを肌で感じ、世界で勝てるだけの練習に取り組んでほしいものだ。

 磯川に先を越されたことで焦ることはない。しかし前進をやめてしまえば置いてきぼりにされるのがこの世界。高校時代の強豪が、そのまま世界で通じる選手になっていないことは、これまでの歴史が証明している。高校時代の実績におごることなく、一歩一歩、世界のトップへの道を歩んでほしい。
(写真右は、今年1月9日の日大もちつき大会。向こう側で裸で踊っているのが松本)

(取材・文=樋口郁夫)





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