【特集】“最強”の北朝鮮レスリングを彷彿(ほうふつ)!…55kg級・小田裕之




 そのファイトを見たナショナルチームのコーチが、口をそろえて「北朝鮮のレスリングだ!」と驚嘆した。1年生(新2年生)にして全国高校選抜大会55kg級を制した小田裕之(青森・光星学院)。01〜03年に全国中学生選手権を3連覇。昨年のインターハイは、3回戦で前田翔吾(愛知・星城)に敗れて1年生王者はならなかったが、今回、その前田に10−2でリベンジ。すごい勢いで成長している。

 “北朝鮮のレスリング”とは、1980年から90年代前半まで軽量級でずば抜けた強さを発揮した驚異のレスリング。1992年バルセロナ五輪では、48kg級と52kg級で金メダルを取り、57kg級で銅メダル。がっちりとした構えで攻撃を許さず、ちょっとでもすきを見せれば一気の速攻でたたみこんでくる。ソウル五輪で金メダルを取った佐藤満も、1986・87年の世界選手権では、キム・ヨンシクの速攻の前に前半で大量ポイントを失い、後半の追い上げも及ばずに敗れている。

 バルセロナ五輪の予選となった92年アジア選手権(イラン・テヘラン)では、48kg級から62kg級の4階級の決勝がいずれも北朝鮮とイランの対戦となり、約1万5000人のイランの観客を前にして4戦全勝。四方八方から津波のように押し寄せてきた大声援にも負けない精神力も驚嘆に値する強さで、東京五輪の頃の“軽量級王国ニッポン”に勝るとも劣らない強さがあった。

 国の事情もあって96年アトランタ五輪48kg級で金メダルを取ったあと、急速に衰えてしまったが、現在の富山英明強化委員長以下、全日本コーチの脳裏には、その強さがしっかりと植えつけられている。富山強化委員長は当時、北朝鮮の選手を「レストランなどでも他国の選手をきっとにらみつけ、ふだんから勝負をかけている。マットを降りたところでも、威圧感がある」と話しており、あらゆる面で“最強のレスリング”だった。

 小田には、そんな北朝鮮選手の強さを感じさせる雰囲気があった。全国中学選手権3連覇ということで、そう見るからかもしれないが、その事実を知らない人が見ても、小田の試合に挑む面構えや、スピードある力強いファイト、勝負どころで仕掛ける強烈なタックルには、引きつけられるものがあるだろう。
(写真左は強烈なタックルを決める小田=赤)

 小田の優勝後の第一声は、「ポイントを取られた試合があった。特に、決勝はやらなくてもいいポイント。それをなくしたい」だ。取られたといっても、準々決勝の入江淳史(足利工大=国体王者)に1点、準決勝の前田翔吾(星城)に2点、決勝の藤元洋平(三井)に2点であり、十分に及第点と思える失点だ。だが納得できない。この欲の深さも、これからの成長を支えてくれそうだ。(注・全国高校選抜大会は旧ルールで実施)

       今 大 会 の 小 田 裕 之 の 成 績

 2 回 戦  ○[Tフォール、2:52=10-0] 和田太一(高知・高知東)
 3 回 戦  ○[Tフォール、1:27=10-0] 木村大樹(京都・網野)
 準々決勝  ○[3−1] 入江淳史(栃木・足利工大付)
 準 決 勝 ○[10−2] 前田翔吾(愛知・星城)
 決    勝 ○[9−2] 藤元洋平(福岡・三井)

 昨夏のインターハイでは、さすがに高校レスリングの壁を感じた。技術では、全国中学選手権3連覇(写真左は03年全国中学生選手権)の選手だけに引けを取らなかったようだが、「基礎体力がかなわなかった。精神的にも負けていた」という。1年間でその壁を克服して全国制覇。「インターハイは無失点で優勝する」と目標を明確に定め、さらに一段高い壁に挑もうとしている。

 その前の4月23〜24日にJOC杯ジュニアオリンピックがあり、カデット55kg級に出場。勝てばアジア・カデット選手権(7月27〜30日、茨城・大洗町)が待っている。今年は国内で強固な地位を築くとともに、世界へ飛躍する年にもなりそうだ。

 幸い、全日本2位の金渕清文が光星学院高校に教員として赴任することになり、ふだんの練習から全日本トップレベルの技術を学ぶことができるようになった。「金渕先生に積極的にぶつかって、強さを学びたい」。環境にも恵まれ、“世界のオダ・ヒロユキ”へ向けて、力強い一歩が踏み出されたことは間違いない。

 日本協会の高田裕司専務理事は「体がしっかりしているし、タックルができる。地元開催のアジア・カデット選手権では優勝を目指し、日本チームを支えてほしい。支えられる選手」と話し、将来の日本レスリング界を背負える人材と期待している。今回の全国一におごることなく、一歩一歩着実に世界一への階段を歩んでほしい。

(取材・文=樋口郁夫)


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