【特集】宿敵ナザリアンを撃破! 頼むぞ金メダル、笹本睦





 2004年8月26日、日本陣営にとって許しがたい誤審でオリンピックのメダル獲得を逃し、涙にくれた男子グレコローマン60kg級の笹本睦(ALSOK綜合警備保障)。あれから約1年。笹本はその因縁の敵、アルメン・ナザリアン(ブルガリア=
写真右)を撃破し、世界一に匹敵する実力を証明した。

 ナザリアンは96年アトランタ五輪52kg級で優勝し、00年シドニー五輪58kg級でも勝った強豪。ほかに世界選手権で2度(02・03年)優勝している。笹本はシドニー五輪の初戦で対戦し、日本では経験したことのないリフト技で宙を舞わされ
(写真下)、実力差を骨の髄まで味わされた選手だ。翌01年の世界選手権では、宙を舞わされることはなかったものの2−8で敗れ、依然として大きな差を感じた相手。笹本が「いつか投げてやる」と闘志を燃やした相手だ。

 アテネ五輪では約3年ぶりに対戦が実現。2−3のあと、逆転をかけた俵返しでスタミナの切れたナザリアンの体を胸まで持ち上げた。しかしナザリアンは腕で笹本の脚をほんの一瞬だがタッチ。笹本はバランスを崩し、自らの背中からマットへ。レフェリーはすぐにナザリアンの反則をとったが、ビデオをチェックした審判長が最終的にそれを認めず、痛恨の2失点。試合後、日本陣営が撮影していたビデオを見せられた審判長は、自らのミスを認めるような発言をしたほどで、悔やまれる一戦となった。(記事 → ここをクリック

 笹本がいかにナザリアンを追い詰めたかは、ナザリアン自身が今年3月、「笹本は本当に強い相手だった。あの試合のため、次の試合(準決勝=同じ午前セッションに実施)で力が出なかったよ」と口にしたことでうかがえる。(記事 → ここをクリック

 そんな因縁のある両者。笹本のリベンジの機会は、笹本の予想していなかった今回、実現した。ヨーロッパの選手は五輪後、次の五輪を目指すにしても1年くらい休養することがよくある。31歳という年齢からして、今年は試合出場を休むとばかり思っていたという。だが計量会場でナザリアンの姿を見て60kg級に出てくることが分かった時、眠っていた闘志がメラメラと燃え上がった。

 「闘いたい!」。この遠征でのテーマはグラウンドの防御だった。「ナザリアンのグラウンド技を耐えられれば、誰のグラウンド技をも耐えられる」という思いもあり、対戦を熱望。その思いが通じたのか、1回戦(2試合目)で顔を合わせることになり、ピリオドスコア2−1で悲願の打倒ナザリアンを達成した。五輪での試合と同じく、がぶり返しで4点を失い第2ピリオドを落としてしまったが、ナザリアンのグラウンド技はすべて防ぐことができた。「大きな自信になります」−。

 シドニー五輪で豪快に投げられた屈辱から約4年。あの時の実力差を「100と50」としたなら、今は「100と100くらい。いや、今回マット上で顔を合わせた時、負ける気はしなかったんですよ」というから、実質的な勝利を挙げた昨年の段階で追い越していたのかもしれない。今回の勝利により、完全に優位な立場に立てたことだろう。大きな意味を持つ勝利だった。

 もちろん、決勝でアテネ五輪4位、過去2戦2勝のアレクセイ・シェフショフ(ロシア)に敗れてしまったのだから、満足してはならない。第2ピリオド、あと5秒を耐え抜けば勝てていた試合。それを落としたことは大きな反省材料だ。「油断? う〜ん。やっぱり油断があったんでしょうね」と、ちょっぴり照れ笑いを浮かべながら振り返るが、他にも世界トップ選手がいた今回の出場メンバーの中で銀メダルを獲得したことは、世界選手権を前に大きな収穫だったと言えるだろう。

 1日で1回戦(予備戦)から決勝までをやるようになったのもルールの変更点。今回の大会でも1日5試合という過去にない試合数をこなした。しかし「終わったあとはぐったりきましたけど、思ったほどきつくなかったですよ。外国選手の方がバテていました」と、日本選手に有利なルールであることも分かった。パーテールポジションでの体勢、試合再開のタイミングなど、多くの面で得るものが多かった遠征。それらをしっかりと消化し、新たなエネルギーをつくって世界選手権へ臨めそうだ。

 成田空港で約3週間ぶりに家族に会った笹本は、夫と父親の顔に戻り、伊藤広道コーチ(自衛隊)の「合宿の時以外は、家族との時間をしっかり持てよ」という声ににっこりとうなずいた。しかし、宿敵を5年ごしに撃破し、心の中は世界王者への野望が燃えたぎっているに違いない。
(写真右=成田空港で千恵夫人、長男・泰樹<たいじゅ>君、二男・昴鳴<こうめい>君と再会した笹本)

 今秋、ほんの少しの時間だけ、再び家族のもとを離れ、戦いの場へ向かわせてほしい。そこでの快挙こそが、日本レスリング界が22年間待っている悲願であり、誰よりも本人が望んでいる栄光なのだから。

(取材・文=樋口郁夫)




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