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【特集】多くのクラブの支援を受けて大会に参加…岩手・山田クラブ
【2011年8月1日】

(文=増渕由気子)




 3・11東日本大震災から、間もなく5ヶ月が経とうとしている。震災直後のジュニアクイーンズカップやJOC杯ジュニアオリンピック(ともに4月)には、参加を見合わせる被災地のクラブが多かったが、今大会は例年どおりの参加人数で、東日本からも通常通りのエントリー数があった。

 甚大な被害を受けた岩手県の山田クラブや宮古ジュニアも元気いっぱいに大会に参加した
(右写真=紺色シャツが山田クラブ、赤色が宮古ジュニア。支援してくれたゴールドキッズとともに)。山田クラブ代表で岩手県協会の上野三郎会長は「先が見えない時期もありましたが、今では、ごく普通の生活になりました」と、確実に復興していることを報告。散乱していた瓦礫やゴミは、多くのボランティアの手によりおおむね片付いたそうだ。

 震災でチームが一度は解散状態になったことも事実。山田クラブは、道場こそ無事だったものの、町全体が津波と火災の被害を受け、すべてを失った人も多かった。部員とその家族は長期的に避難や移転を余儀なくされ、チームはバラバラになってしまった。だが、上野会長が「宮古に転校していた子供が戻ってきたんです」と話すように、町が落ち着きを取り戻すと、徐々に人が戻ってきた。

■今年は遠慮しないで支援を受ける! 今後の課題は自立!

 復興の兆しが見えてきた6月上旬になると、全国少年少女大会の締め切りが近づいてきた。上野会長は「出場は考えていなかった」と振り返るが、全国から予想外のエールが届いた。「支援しますから、ぜひ一緒に全国に行きましょう!」と、ゴールドキッズ(東京)をはじめ、多くのクラブからの支援の申し出があった。

 震災後、衣食住すべてにおいて全国の支援を受けて乗り越えてきた。その分、「甘えてばかりではいけない」と、全国大会出場の支援に躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもあったそうだが、「今年だけは遠慮しないで、ゴールドキッズさんに、おんぶにだっこでお願いしよう」と出場を決心。いつもどおりのメンバーで新潟に乗り込んできた。

 会場に着くと、上野会長は今まで悩んでいた心の霧が晴れたという。「多くの方たちと交流できましたし、全国大会に来て本当に良かった」。優勝選手を出すことはできなかったが、2人が銅メダルを取り、全選手が楽しそうに試合をしているのを目を細めながら応援した。
(左写真:銅メダルを取った倉本大輝選手=左=と箱石友貴選手)

 今後の課題は明確だ。「支援を受けずに、どうやって自分たちでクラブ活動を運営していくかですね。山田町民の多くは仕事を失い、生計を立てるのも大変な家庭がありますから」と話し、さらなる復興に向けて前を向いた。



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