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【特集】目標は“第2の石田智嗣”! キッズ王国で台頭できるか…三重・鳥羽クラブ
【2011年8月1日】

(文=樋口郁夫)




 三重県のキッズ・チームと言えば、強豪の輩出で一志ジュニア(吉田沙保里選手や小田裕之選手の出身クラブ)、人数で四日市ジュニア(全国大会で毎年のように最多出場=今年も最多の38選手)が有名。他に、1年生インターハイ王者を育てた桑名クラブもあり、最近では「いなべクラブ」も台頭。キッズ王国と言える県だが、鳥羽ジュニアの存在も忘れてはならない。

 今大会は7選手の出場で、銅1個という成績。出身選手の中には、昨年世界学生王者に輝き、来年のロンドン五輪のフリースタイル60kg級の代表候補の石田智嗣(現早大)が全国大会で7連覇を達成しており、強豪を輩出したクラブでもある。

 現在、指揮をとっているのは日体大時代の1995年にグレコローマン48kg級で全日本王者に輝いた中村吉元代表。翌年のアトランタ五輪出場はあと一歩で逃し、4年後のシドニー五輪を目指そうとした矢先に48kg級が廃止され、やむなく現役を引退した強豪だ。
(右写真=セコンドで選手の闘いを見守る中村代表)

 今大会を「チーム全体としては、気持ちもしっかり出ていたし、よくやったかなあ、と思います」と振り返る一方、「3人くらいは最終日(準決勝)に残ってくれたらなあ」という気持ちだったそうで、予想を下回ってちょっぴり残念そう。

■監督就任直後は、厳しすぎる練習で失敗!

 自分の闘っていた階級がなくなり、傷心の思いで地元・鳥羽市に帰った中村代表は、鳥羽高校の講師を経て市の職員へ。当初は鳥羽市の中の出生地、人口約3000人の答志島でキッズ・チームを見ていた。7年前、鳥羽高〜日体大の先輩の植村久弥さんから兄弟クラブと言える鳥羽ジュニア代表のバトンを受け、指揮することになった。

 「キッズ・レスリングをやる子のすべてが、運動神経のいい子ではありません。消極的な性格を直したいと親が連れてくるケースもあります。だから、勝つことにこだわった指導はしていません」と中村代表。もし大学までも続ける選手がいれば、「その基礎をつくってやれる指導を目指しています」と言う。

 もっとも、監督就任直後はそうではなかった。「当初は、けっこう厳しくやってしまいました」と苦笑い。全国から強豪が集まる日体大の感覚でいた面があったそうで、「厳しすぎる」と言う苦情もきたとか。そのうちに、「これでは駄目かな。厳しくることがすべてじゃない」と思い、“日体大流”から脱皮。前述の指導方針に転換した。
(左写真=試合をい終えた選手にアドバイスを送る中村代表。その左は植村・前代表)

 それでも、強い選手を育てたいという気持ちは持っている。6月には石田選手が教育実習で鳥羽高校に来てくれ、ジュニアの練習も見てくれたという。「選手の中には、『ああいうふうに強くなりたい』と思ってくれた選手もいました。いずれ、石田選手のような選手を育ててみたいですね」と言う。

■自分の階級を奪われた悔しさを、選手育成で晴らす!

 それは、自身が階級変更によって五輪を断念せざるをえなかった悔しさを晴らしたいという気持ちからくる。最軽量級が54kg級に上がってしまい、「6kg上の階級で勝ち抜くのはきつかった」と当時を振り返る。「48kg級が続いていたら、シドニー五輪に出場できた?」との問いに、「出られたかもしれませんね。何とでも言えますけど…」と笑うが、日本がボイコットした1980年モスクワ五輪の代表選手と同じような悔しさを持っているのではないか。

 弱い子を鍛える一方で、強い選手も育ててみたい気持ちを持つ中村代表。「レスリングは能力だけではなく、努力しただけ結果が出てくるスポーツでだと思います。どんな選手でも、あきらめずに一歩一歩階段を上がらせ、最終的にはオリンピックでメダルを取る選手を育てたいですね」。三重県のレスリングを、さらに活性化させることができるか。



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