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【特集】被災を乗り越え、インターハイにかける…仙台育英高&東北工大高(上)
【2011年6月18日】


 3月11日に発生した発生した東北太平洋沖地震。沿岸部の津波被害が壊滅的で、その甚大な被害が大きく報じられているが、“杜(もり)の都”仙台市も震度5強〜6強の揺れに襲われ、都市機能がまひする災害をもたらした。沿岸部は津波に襲われ、死亡および行方不明は市内だけでも800人近く。県全体の死者・行方不明者は1万3000人を超える。 

 仙台市の場合、電気は3日ほどで開通したが、水道・ガスがなかなか復旧しなかった。建物の損壊もかなりあった状況ではスポーツどころではなかった。校舎が損壊した高校も多く、安全が確認されるまで校舎の使用は禁止。県内の高校レスリング部も、3月は活動休止を余儀なくされた。

 こうした中、8月2〜5日の岩手・八幡平インターハイには、学校対抗戦で仙台育英高が2年連続22度目の出場を果たし、個人戦では東北工大高が5階級、仙台育英高が3階級で出場を決めた。被災地のハンディをはねのけて上位進出を狙う。

 仙台育英高の小石純之介部長、東北工大高の川畑仁監督、そして両校の主将などだれにも共通するのが、「被災で練習できなかったハンディを、負けた時の言い訳にはしない」という姿勢。東北工大高の川畑監督は「東北人特有の粘り強さを発揮し、被災地パワーで上位入賞を目指す」と話す。

 6月14日、インターハイでの好成績を目指して仙台育英高で合同練習した
(左写真)同校と東北工大高を追った。(文=樋口郁夫)




◎仙台育英高

 学校対抗戦で2年連続22度目の出場を果たす仙台育英
(右写真)は、1952(昭和27)年創部と歴史のあるチーム。昨年の沖縄インターハイも出場しており、正確な記録は集計されていないが、インターハイ22度の出場は高校レスリング界の中でも上位にランクされる記録だろう。

 震災によって選手本人や家族に亡くなった部員はいなかった(家庭の事情で1人は退部)。しかし、復旧作業や校内の道場が使えなくなったことで3月中は部活動を中止。4月になって状況は改善されたが、道場の使用ができなかったため、東北学院大で練習させてもらったり、東京の大学へ出向くなど練習場所を求めて右往左往する日が続いた。

 その間、学校対抗戦に出場予定だった3月末の全国高校選抜大会(新潟市)が中止になった。練習できる状況でなかったため、かえってよかったのかもしれないが、全国レベルで実力を磨く機会を失った。小石部長は「全国選抜である程度の成績を残し、インターハイへ向けて頑張る予定でした。1ヶ月近くの休みで、体力面、技術面とも下がったでしょう。もったいない時間でした」と言う。

 もっとも、マイナス面ばかりではない。相澤翔主将
(左写真)は「道場が壊れ、3月はどうなるかと心配だった。全国大会に出られなかったのは残念でしたけど、レスリング以前の問題でしたね」と被災状況を説明する一方で、「学校から新しい練習場を確保してもらい、その気持ちにこたえたい」と話す。被災を経験してこそ感じた練習できる有り難み。こうした気持ちがエネルギーとなれば、インターハイでの上位入賞が現実のものとなるだろう。

 同主将は「結束力は十分にあります。あとは個々の努力。レスリングは、やった分だけ裏切らない。3位以内を目標に頑張ります」とインターハイでの健闘を誓った。

■レスリング経験のない監督だったが、OBが力強くサポート

 昨年まで監督を務めていた小石部長は、レスリング経験のない“素人監督”だ。同校は1997年にいったんは廃部となったが、2年後、ベネズエラのナショナルチームのコーチを務めたOBの阿久津英紀さんらの尽力で復活。ベネズエラ出身で同校OBのルイス・バレラさん(日大卒=1996年アトランタ五輪ベネズエラ代表)を監督に迎えて再興した。

 そのバレラさんがベネズエラの日本大使館に勤務することになって帰国。2008年にバトンを受けたのが、その年に同校に赴任した小石監督だ。スポーツ歴はないながらもレスリング部の顧問を引き受けることになった。「バレラさんとは面識ないんですよ」とのこと。やる以上は選手のために中途半端なことはできない。幸い、同校のOB、しかもまだ選手と一緒に練習できる若いOBが頻繁に顔を出してくれており、技術指導をお願いすることができた。

 また、県内の実施校が少ない分、県としての団結力があった。東北工大高や東北学院大も力を貸してくれ、何とかつないでインターハイ出場を果たす実力をつけることができた。取材にあった合同練習の日も、OBおよびOBではないがレスリングを経験していた人が4人も道場に来てくれ、選手にアドバイスを送っていた。
(右写真=インターハイ個人戦出場選手。左から96kg級・平塚勇太、84kg級・鈴木嶺太朗、66kg級・相澤翔)

 こうした協力者のおかげもあって、昨夏には素人監督ながらインターハイ出場の夢をつかむことができた。もちろん小石部長も今では選手に技術面のアドバイスを送るほどで、チームを強くしたいという情熱があればこその栄光。昨年は残念ながら初戦で北佐久農(長野)に3−4で敗れたが、小石部長は「メンバーが残っています。今年こそ上位入賞を目指したい」と話す。

■今春、日大を卒業したばかりの森龍之進監督が指揮

 そんな小石部長に今春、力強い助っ人が現れた。同校OBで、日大重量級で活躍した森龍之進さんが赴任。監督としてチームを指揮することになった。選手とスパーリングのできる指導者の存在は、大きなパワーだ。

 森監督が仙台育英のマットで汗を流していた時は、ルイス・バレラ監督が指揮していた。五輪出場から10年近くが経ち、現役を退いていたバレラ監督だが、高校生選手にとっては大きな壁。「何をやっても勝てなかった。でも、バレラ監督との練習で強くなっていった。その経験から、(自分は)選手にとっての大きな壁になります」と、厳しさの中での強化を口にする。
(左写真=選手を鍛える森監督)

 森監督は昨年の教育実習の時にも選手の指導をしており、その後も帰省の度に道場に足を運んでいた。今春の赴任とはいえ、今のチームは1年をかけて指導し手がけてきたチームという意識が強い。「新任で仕事は忙しいのですが、年齢も近いし、選手と一緒にやっていきたい。高校生は素直ですから教えやすい」と、指導のやりがいを感じ始めた様子。

 タックルに入って崩す方向が違うなど基本が間違っている選手が何人か見受けられるので、「まず基本をしっかり教えたい。そして体力ですね。」と力をこめた。(続く)



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