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【特集】インターハイ予選を控えた宮古商に強力な支援者登場! V2の早大が訪問
【2011年6月3日】

(文・撮影=増渕由気子)




 今年8月のインターハイは岩手県八幡平市で開催される。東日本大震災の影響で、12年ぶりに開催予定だった宮古市から急きょ変更になったものの、岩手県は開催地の特権である出場2枠は確保したまま。6月4日の県予選では種市、盛岡工、宮古商の3チームが出場枠「2」をかけて激突する。

 数年もかけてインターハイの準備に取り掛かり、本番まであと半年というところでの会場変更に、関係者も無念の気持ちだろう。会場は被害を免れたが、宿泊施設の被害がひどく断念、というのが理由だ。インターハイ出場を目指している宮古商
(右写真)の校舎は高台にあるため、津波被害はなし。だが教職員や生徒たちには家屋や家族を失う人が含まれ、3月11日から約1ヶ月間は部活動どころではなかった。

 それでも、震災の約1ヶ月半後に行われたJOCジュニアオリンピックに男女ともに出場し、復興の兆しをアピール。上野堅太郎監督は「5月は遠征をたくさんこなしました」と話し、出げいこを多数こなして環境が整った場所で練習し、震災のハンディを限りなくゼロに近づける努力をしてきた。

■オリンピック選手の指導に、選手の目つきが変わった

 そんな宮古商に最大の助っ人が現れた。5月の東日本学生リーグ戦でV2を達成した早大が5月28日、宮古商のインターハイ出場を祈って部活指導支援に訪れた。太田拓弥コーチを筆頭に、5月のアジア選手権(ウズベキスタン)グレコローマン74kg級代表の田村和男(現ワセダクラブ)、4月の全日本選抜選手権フリースタイル60kg級準優勝の石田智嗣副主将(4年)、昨年の全日本学生選手権フリースタイル66kg級優勝の田中幸太郎(3年)、5月のリーグ戦でフル出場を果たし優勝の立役者となったフリースタイル55kg級の西洸大(2年)という豪華な顔ぶれで約3時間練習。インターハイ予選を控える男子生徒に加えて、女子選手や、地元のキッズたちに特別指導を行った。
(左写真=選手を指導する太田コーチ)

 上野監督は以前から「悩みは男子が草食系すぎること」と話していた。確かに開始直後は声が小さく、引っ込み思案だった。だが、1996年アトランタ五輪銅メダリストの太田コーチが直々にタックルの基本、確実にテークダウンを取る方法、バックを奪ってからの1点、2点、3点の得点方法、クリンチでの注意など、実践ですぐに使える技を披露すると、生徒たちの目は釘づけになった。

 スパーリングでは、太田コーチが茨城・霞ヶ浦の教員時代に小平清貴(現全日本コーチ)や小幡邦彦(現山梨学院大コーチ、ともに世界選手権代表)を「こうやって育てたんだ」と自負する独自の練習方法を展開。すると、部員の声が徐々に出始め、わずか数十分で道場では活気でいっぱいになった。

■新入部員が9人入り、部のムードは上昇中

 練習後、千崎卓主将は「チーム一丸となってインターハイ出場できるように頑張ります」と大きな声であいさつ。太田コーチも「予選で勝ち、今度はインターハイ直前に練習しましょう」とエールを送った。
(右写真=全日本王者・田村和男の指導)

 夢の3時間があっという間に終わっても、千崎主将の目は輝いたまま。インターハイに向けての抱負をしっかりと話してくれた。「男子の新入部員が9人入り、練習の雰囲気は良くなってきています。震災直後は練習ができなかったけれど、最近は合宿に行かせてもらって、被災地ではありますがオンオフの区切りをつけてしっかり練習できました」と仕上がりに自信を見せた。大会直前の支援指導に、「教えてもらった技がとても実践的で、場外際の攻防、相手の力を利用する技などが役に立ちました。県予選では団体優勝します!!」と力強く宣言した。

 地震と津波―。1000年に1度の大災害を乗り越えた宮古商の悲願達成なるか―。運命の勝負の時は6月4日に迫っている。



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