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【年始特集】4年目の飛躍へ! JOCエリート・アカデミーの過去・現在・未来(1)【2011年1月1日】

(文=樋口郁夫)



 日本オリンピック委員会(JOC)が競技団体とのタッグで次世代の選手を発掘・育成するプロジェクト、JOCエリートアカデミーがスタートして3年近くが経ち、新年度から4年目迎える(右写真=JOCアカデミーの選手とコーチ。前列左から向田真優、古市雅子、村田夏南子、宮原優、花田彩乃、後列左から江藤正基コーチ、白井勝太、乙黒圭祐、吉村祥子コーチ)

 「石の上にも3年」という言葉がある通り、新しいことをやるにあたっては、基盤づくりだけでも3年かかると考えていい。その時期がすぎ、いよいよ飛躍の時がやってきた。この3年間の成績を振り返ると、2010年ユース五輪優勝をはじめ全国中学生選手権優勝など、基盤づくりの時期というより、十分に「飛躍した」と言えるだけの成績を残している。

 それだけに、4年目以降のさらなる飛躍に期待がかかる。初年度は男子選手が1人しかいないなど、先行き不安な一面があったのは確かだが、4年目は男女5選手ずつの計10選手になる予定。トップ選手が集まる相乗効果も予想され、一段と上昇ムードをつくり出せそうだ。4年目を迎えるJOCエリートアカデミー(以下JOCアカデミー)の過去・現在・未来を追った。


■JOCの壮大な理念とは裏腹に、選手集めに困難を極めたスタート時

 JOCが将来の五輪・世界チャンピオンの育成を目指し、ばく大な予算をかけて計画し、スタートしたJOCアカデミー。選手をナショナルチームの練習場である味の素トレーニングセンター(味の素トレセン=当時は「ナショナルトレーニングセンター」)に住まわせ、最高の設備・環境の下、最高のコーチング・スタッフによる指導を行うという画期的なプロジェクトが動き出したのは、アマチュアスポーツ界が北京五輪へ向けて燃えていた2008年4月のこと
(左写真=開校式、卓球の選手とともに)

 専門のスタッフが強化から日常生活まで管理。選手たちは親元を離れ、味の素トレセンに隣接する学校に通いつつ世界を目指す。味の素トレセンには寮母、栄養士がつき、日常生活まで面倒を見る。宿泊代、食事代、強化にかかる費用などはJOCが負担。専任コーチの給料はJOCと日本協会で負担する選手は味の素トレセンで練習する全日本チームと身近に接することができ、世界への意識が高まる…。五輪チャンピオンを育成するには最高の環境であることは間違いない。

 しかし、その壮大な計画とは裏腹に、当初の選手集めは困難を極めた。JOCというしっかりした組織であるので、胡散(うさん)臭さはなかっただろうが、キッズ選手を育ててきた指導からすれば、「海もものか山のものか分からないところに選手を預けられない」という気持ちがあって当然だろう。

■練習相手を求めて近隣の高校や大学に出げいこの日々

 菅芳松監督(日本協会事務局次長=
右写真)が当時を振り返る。「ある選手は、今までやっていたクラブで練習を続けたいと言い、ある選手は小さい頃から練習でお世話になっているチームへ行く、と言って断られた。間接的にだが、『練習相手もいなくて、強くなれるわけない』という声も聞こえてきた」。全国少年少女選手権8連覇の白井勝太(福井クラブ)が入ってくれることになったが、「一人ではどうかな、という気持ちがあった」というのが正直なところだったという。

 女子も初年度に4選手が入ったが、レスリング経験者は2人(うち一人は、事情で途中退所)。柔道は強くとも、レスリング選手としては基礎から教えなければならなかった。レスリングは、1人や数人では強くなる練習はなかなかできない。いろんなタイプの選手と闘ってこそ、本当の強さが身についていく。

 「JOCアカデミーに入れば強くなれる、世界で通じる選手に育てられる」という“殺し文句”とは裏腹に、不安を抱えたスタートだった。その言葉がレスリング界に受け入れられるためには、成績を出すしかない。

 1976年モントリオール五輪4位の実績を持つ菅監督も、時間を見つけてはレスリングシューズをはいて指導を手がける日が始まった。女子は自転車ででも行ける安部学院高が選手を受け入れてくれた。そこでは、高校生選手のほか、安部学院高の練習に加わる大学生選手や社会人選手とも練習をすることができた。唯一の男子選手だった白井勝太は、練習場所を求めて近隣の大学や高校へコーチが車で送り迎えする毎日。苦難の時代だった。

(続く)




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