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2010年世界選手権 取材日記


 異常気象が続き開催も不安視された2010年のモスクワ世界選手権。9月5日、予定通り、アエロフロート航空機で成田空港を飛び立ちました。モスクワで初めて開催される3スタイル同時開催の世界選手権。一般の記事にはならない裏話を中心に、日記風に書いてみたいと思います。(樋口郁夫)




9月5日(日) 9月6日(月) 9月7日(火) 9月8日(水) 9月9日(木)
9月10日(金) 9月11日(土) 9月12日(日)





《9月12日(日)》

 いよいよ最終日。10時の発バスに乗っているのは私とビル・メイさんだけ。朝食会場でも見かけなかったから、みんな疲れてるんだろうな。ぎりぎりまで寝て、10時半か11時まで来るのだろうと思う。ところが、皆さん、この日で帰国する女子チームとロビーでばったり会い、見送っていたようで、逆に「樋口さんがいない。寝坊しているんじゃない?」と思っていたとか。プレスルームにいてパソコンを打っていると、「なんだ、来てたんですか」だって。筆者が寝坊したら、示しがつかないでしょ。

 そのあと、地下鉄で来た東京スポーツの中村記者が恐ろしい目撃談をを話してくれた。前に立っていた人が、腰に手を当て、なぜかそわそわ。何だろうと思っていると、何かの拍子に拳銃を持っていることが判明。一瞬、震え上がったという。この国が拳銃を持っていいのかは分からないけど、警察官でもない人が拳銃を持つことが許されるとしたら、ちょっと恐ろしいですね。

国際レスリング連盟のマルティニティ会長と談笑する保高記者。世界のレスリングん界に顔は広い。
会場にはアシックスのコーナーがあった。ロシア選手のシングレットはアシックス。ロシアのマーケットを独占できるか?
共同通信・森本記者の隣には、いつの間にかロシアの美人記者がいた。

 以前、アメリカの拳銃を持っていい州に住んでいる人に話を聞いたことがありますが、「その方が犯罪は低くなりますよ」とか。確かに、周囲の誰もが拳銃を持っていると分かれば、慎重な行動になり、横暴な人間は少なくなるかもしれませんが…。普通に拳銃がある社会というのは、ちょっと信じられないですよね。中村記者が見たのは、模造拳銃とかじゃなかったのかな?

 会場は、前日から満員状態。ロシアはグレコローマンの方が人気があるんじゃなかったのかな? 土曜、日曜日ということも影響しているのだろう。というか、ロシア協会は、今のロシアはグレコローマンよりフリースタイルの方が勝てると思っていたのではないでしょうか。この大会、当初はフリースタイルが先だったけど、6月ころにグレコローマンが先になったのです。

 ロシアとしては、勝てるフリースタイルを最後の土・日に持ってきたのだと思います。事実、グレコローマンは決勝に行ったのは1階級(金1)だったのに対し、フリースタイルは6階級で決勝に進み、4階級で金メダルを撮りました。

 試合は期待の米満選手がキューバに惜敗。そのキューバが次の試合で北京五輪2位を破り、その次の試合で昨年の世界チャンピオンを破る強さ。すごいブロックだったことが分かるでしょ。米満選手は、たとえ1回戦を勝ったとしても、このブロックを勝ち抜かねば決勝に進めなかったのです。北京五輪王者もこのブロックにいて初戦敗退だったんですよ!

 しかし、こんな強いはずのキューバが、その次のロシア戦ではいいところがなく敗退。やる気がまったく感じられず、ロシアとの間に何らかの取り引きがあったのでは、と思わせる内容でした。やっぱり他力に頼ってはメダルは取れません。どんな厳しいブロックでも、自ら勝ち抜いていかなければならないということですね。

 その66kg級決勝は、インド選手が地元のロシア選手を破って優勝。同国に史上初めての金メダルをもたらしました。表彰式でインド国歌を聞いたら、今はなき蔵前国技館の会場がオーバーラップしてきました。あそこで、よく聞きましたよ、インド国歌。タイガー・ジェット・シンとアントニオ猪木の長く続いた抗争。NWFヘビー級選手権の前には必ず流れ、国歌が流れると、それまで暴れていたシンが静かになり、国旗に向けて祈りを捧げていました。日本人は少ないですが、外国の人の中には国歌や国旗に忠誠を尽くす人、多いですからね。

 日本選手は米満選手以外の2選手も1回戦で敗れ、前日に続きファイナル進出はなし。仕事は楽になって早めに終わりましたが、ちょっぴり気落ちムード。忙しくハードであっても、日本選手が勝ち進んでくれた方が、やりがいを感じるものです。

世界選手権史上、初めて鳴り響いたインドの国歌。蔵前国技館を思い出した。
120kg級表彰式前のアトラクション。21種類のセクシー・ダンスもこれで見おさめ。

 夜の部が早く終わったので、近くのイタリア料理店で打ち上げ。ホテルへ戻って寝ようとすると、保高記者と中村記者に拉致され、もう一杯ビールをつきあわされる。昨年に比べると、このブログがインパクトに欠けるとのお叱り。まあ、去年は今回ほど会場が大きくなく、行動をともにすることが多くて、2人ともけっこうネタを提供してくれたからなあ。3人で小さな宿舎に戻って、そこのロビーで書いていたりしたし。

 来年は五輪予選で、もっと多くの報道陣がきて、大規模な大会になりそう。そうなると、試合以外のネタを拾うのは、そろそろ限界かな。保高記者から「樋口さんの言動をつぶさに記事にしたら、面白くなるわよ」だって。そうか、いつも周囲を笑わせるギャグ(力が抜けるオヤジ・ギャグとのとの指摘あり)を書いていけば、もっと笑わせられる内容になるか。飲んでいるこの場でも、いつものくせで靴下を脱いで、2人から「また始まった!」なんて言われてしまったし。来年は保高記者に書かせようか。

 協会のホームページだから、私的なことを書くのはどうか、との指摘もありますが、私は本ホームページを無味乾燥のお役所の報告書にするつもりはありません。「選手の記事は読まなくても、これだけは読んでいる」というメールもいただきます。現場では、記者やカメラマンから「まだアップしないの?」と、せかされることもしばしば。

 記録、試合内容、選手の表情・コメント、写真、動画、それ以外のニュース報道のほか、こうした裏話があるホームページをつくりたい。その中から読みたい記事を読んでもらえばいい。大切にしていることは速報。今の時代、2、3日たってから試合の記事を読んでも、ピンとこないでしょう。

 私的なことといっても、世界選手権取材に関することを書いているのであって、私のまったくの私生活を書いているのではありません。批判はあっても、期待の声があるのなら、続けたいと思います。批判も、期待があればこそ。人間、何の興味も関心もないことを批判することはありません。ということで、またアジア大会(11月21〜26日、中国・広州)でよろしく。(完)




《9月11日(土)》

 きょうも、お詫びから書かせてもらいます。前日のブログで、東京スポーツや共同通信記者の仕事熱心さを書きましたが、それだけを読むと、他社の記者が熱心に仕事をしていないかのように受け取られてしまいます(そんな意味はまったくないんですが)。今回の大会には、読売新聞、朝日新聞、中日新聞、時事通信、収録で日本テレビ、あとフリーランスで2名が来ていました。

 会場に残っていなくとも、宿舎へ戻って仕事をやっている人もいますでしょう。時差5時間で午後8時ころから決勝開始というのは、新聞・通信記者にとっては朝刊締め切り前の一番厳しい状況です。皆さん、レスリングの報道のために、神経をすり減らして熱心に仕事をやってくださいました。深く感謝するとともに、誤解をまねくような記事があったことを深くお詫びします。

どの記者も疲れが出ている。試合の合間にしばしの睡眠をとる記者はだれでしょう?
なくなったと思っていた日大・赤石コーチのパネル写真は、別の場所に展示してあった!
96kg級でアゼルバイジャンが優勝すると、アゼルバイジャンの記者は大喜び!

 さて第6日を迎え、どの記者・カメラマンにも疲れが表れてきました。女子チームは、この日は男子の試合を見てレスリングの研究。その前に、この日、日本へ帰られる福田会長らと打ち上げの昼食会。私たちと同じバスで会場へ行き、近くのレストランへ向かいました。私は、試合が終わってホッとした表情の女子チームを横目に、記者入口の前で別れました。

 そのあと、福田会長に手渡したいものがあったので、電話で場所を確認してそのレストランへ。会長から「食べていけよ!」と言われ、心が動きましたが、前日の記事の整理・チェックと、試合に向けてスタンバイしなければならないので固辞し、会場へ戻りました。これも記者の宿命! この時間の優先順位は、食事よりもパソコンです。

 会場への帰り道、前田カメラマンにばったり。コスモス・ホテルを追い出されて、きのうからヒルトン・ホテルに変えたそうだ。ロシア美人を部屋に連れ込もうとしてとがめられ、暴れて追い出されたとばかり思っていたら、満室で予約が取れず、当初から前日でホテルをチェンジする予定だったとか(その真偽は不明)。

 ジュラルミンのケースを持ち、カメラマンというのは大変だと思っていたら、「きょうは長玉(超望遠レンズ)を持っていないから、軽い方です」とのこと。撮影エリアがどんな感じか分からないので、最初はでかいレンズを持っていたけど、かなり接近して撮れることが分かったので、長玉はホテルに置いてきたそうです。

 それであっても、カメラ用具一式を持っての移動は、ちょっとしたパワー・トレーニングになる。保高記者の筋肉はステロイド使用だとばかり思っていたが、もしかしたらナチュラルについたものなのかもしれない。

 試合は3選手とも早いラウンドで黒星。96kg級の磯川選手をミックスゾーン(取材エリア)でつかまえることができなかったため、全員の試合が終わったあと、報道陣でまとまってウォーミングアップ場へ。しかし、入口にスタッフがいて、記者のIDを見て、「おまえ達は入れない」とのゼスチャア。ところが…! 時事通信の和田記者にだけは、「OK!」と言って認めてくれるではないですか?

 なぜ? よくよく見ると、和田記者のIDは、入れるエリアとしてウォーミングアップ場を意味する「5」があるのです。記者のIDは、「3」(プレスセンター)と「9」(ミックスゾーン)だけなのに、なぜ和田記者のIDは「5」があるの? その疑問を解くのはあとにして、せっかく入れるのだからと、中にはいってもらい磯川選手を探してもらうことに。

 
左が筆者ほか、ふつうの記者IDカード。右が練習場に入れる和田記者の記者IDカード。 
筆者が「サルマン・ハシミコフ水」と名付けたソーダ水。
最後に記念撮影。保高kシアyの腰に、ありえない手が写っていた!

 選手席で試合を見ているとのことで、後回しになりましたが、戻ってきた和田記者に「5」がついている理由を聞くと、「さあ?」。特別に申請して認めてもらったわけではないとのこと。自分でも、今までそれが他の記者のIDと違うとは思っていなかったそうです。単純ミスかな? 東京スポーツの中村記者が「サインペンで、ここに『5』って書けば、分からないわよね」だって。いくらなんでも、印刷と手書きの違いくらいは見破られてしまうんじゃないかな?

 その中村記者、人の頭をじーと見て(と思う)、「きょうはカミがないの」だって。いくらなんでも、こんなストレートな言い方ないでしょ。飲み屋で、隣り合った人同士のちょっとした口論や、カラオケのマイクの奪い合いで、殴り合いに発展する最も多い原因となる言葉とは、「チビ」でも「デブ」でもなく、「ハ○!」らしいですよ。

 「そんな言葉、思っていても言わない方がいいよ」と思っていると、筆者の髪のことを言ったのではなく、今日は土曜日で、東京スポーツは明日の日曜日は発行なし。取材しても、紙面(かみ)がないという意味でした^^ この業界、紙面のことを「カミ」というのです。よかった! 心の優しい中村記者が、そんなストレートなこと、言うとは思っていなかったです。

  日本選手の試合が早く終わったため、記事のアップも第2セッションの終了を待たずに終了。コスモス・ホテルに泊まっている記者・カメラマンで軽く食事会を開くことにしました。午後10時半にホテルのロビーに集合。外に出ても、どこに店があるか分からず、右往左往するより、少し高いかもしれないけど、ホテル内のロシア料理店へ。1大会に一度、あるかないかの飲み会(当然、ない方がいいですよね。できるということは、日本選手が早くに負けるってことですから)。

 だれだったか忘れたけど、ウォッカに「レッドブル」というソーダを頼んでいたので、筆者は「サルマン・ハシミコフ水か?」とひと言。この意味が分かる人は、30代後半以上のプロレス・ファンだけでしょうね。ソ連のアマレス軍団が新日本プロレスに参戦して暴れていたのが、平成元年こと1989年。平成に変わったちょっと後に生まれた車屋さんは、まだハイハイもできていない頃ですよね。「何ですか、それ?」って言うのも当然でしょう。

 会で盛り上がったのは、県民SHOW。この飲み会に参加した人を出身県別に分けると、秋田、新潟、埼玉、東京、長野、岐阜、愛知、大阪で(ビル・メイさんは米国=お母さんは青森)、日本海側は私と車屋さんだけでした(←だから何だ、と言われても、何も意味ないけどね^^;)。ビールとボルシチでエネルギーを補給し、いよいよ最終日へ。

土曜日の夜と言うこともあり、けっこう人が入った会場。



《9月10日(金)》
矢吹カメラマンの前をうろちょろするとかいうウクライナの女性コーチ。体は大きいが、顔を間近で見るとミスレスリングの面影が残っている。
フリースタイルが始まり、記者の数が増えたプレスセンター。ロシアはフリーの方が人気あるのかな?

 前日に続き、同業者から本ブログにクレーム! 「いつも最後まで残っているのは、ホームページと東京スポーツの記者」と書きましたが、共同通信の森本任記者から、自分たちはプレスセンターではなく記者席の方で夜遅くまで書いている、とのご指摘。午前0時を回って会場を出るのが普通なので、自分たちの方が遅い、とのことです。

 そうだったんですか。それは失礼しました。共同通信は全国の新聞に記事を配信する会社です。ある人が、ある県の新聞と別の県の新聞を両方読んで、同じ記事が出ていてて、「なんで同じ記事が出ているの?」と不思議に思うことがあるようですが、ともに共同通信加盟社なので、同じ記事を受け取り、紙面に載せているからです。

 これまでは新聞が主な相手。朝刊の最終締め切り(午前1時半とか2時)がすぎると、あとは急がなくてもよかったんです。でも、今はWebの時代。地方新聞の中には、深夜にホームページを更新しているところがあるみたいで、日本時間の午前4時ころに、こちらの決勝(午前2時すぎ終了)の記事がアップされている新聞社のホームページがありました(例・日本経済新聞)。

 ということは、共同通信には「締め切り」という概念が存在しなくなり、24時間働きづくめを余儀なくされるわけです。前田カメラマンは「午前2時すぎたら送りませんよ」なんて言っていたけど(写真部長! そんなことでいいの? もっとも、受ける方も寝る時間だ)、そう言えるのは今のうちだけ。新聞が衰退し、Webが主流になったら、24時間体制になり、今以上に仕事がきつくなって、給料が上がらないという状況へ(もっとも元がいいから、上がらなくても、そこいらの企業の倍以上の年収かな?)。

 新聞・通信界はどこも大変だ。前田カメラマン、がんばって深夜でも写真を送るんだぞ。

アニマル浜口夫妻ほか、浅草応援団を取材する中村記者(中央の絵)
売店で調達した記者の夕食! 外へ食べに行く時間がもったいないのです。

 この日は応援席に、おなじみの太鼓が鳴り響いている。どこまででも来てくれる浅草応援団。浜口京子選手の応援だ。きっと地球の裏側にまでも応援に来てくれるだろう。地球の裏側といえば、五輪イヤーにのみ予定されている世界女子選手権、2012年はブラジルのリオデジャネイロが手を挙げたという未確認情報あり。2016年五輪に備えての、リハーサルのリハーサルなのでしょう。

 これまで南半球で世界選手権が行われたのは、女子はなく、男子は確か1969年のアルゼンチン・マルデルプラタ大会だけだと思う。当時は、30万円近くかかり(今の貨幣価値なら150万円くらい?)、全額自己負担で行ったとかいう話を聞いたことがある。

 今度は全額自己負担と言うことはないでしょう。でも、五輪直後に世界選手権をやる意味って、あるのかな? それであっても、吉田沙保里選手は連覇記録があるから、いかざるをえないのでしょうね。そうすると、日本からも大挙して取材に行くことになるのかな。

 試合は3選手とも3位決定戦へ。試合数の多い稲葉選手などもいるので、ホームページの編集にはいろいろと時間がかかる。夕食はプレスセンターでパソコンを打ちながらのインスタント食事。5日目にして記者生活の“本領発揮”です。

 LANが一時的につながらなくなり、スタッフに聞くと、「いま、全力で直している」と、全く悪がらずに答える。これがロシア流か。しかし、温厚な筆者は怒りません。だれですか、「1大会に1度はぶち切れる記者」なんて言っている人は!

 夜は夜で、プレスセンターに日本人記者だけが残るいつもの状況へ。この日は共同通信の森本記者、応援でロンドン支局から来た正田記者ともプレスセンターで執筆。確かに午前0時に私たちが帰る時、2人はまだパソコンをたたいていました(名取運動部長、これ本当です。前田カメラマンはいなかった^^ 今までのホテルを追い出され、ホテルを変わったみたいだ)。

 でも、私はホテルへ戻ってまだ執筆作業なので、仕事中毒という点では負けません(自慢できることか!)。3日前に故障したホテル内のLANも順調で、動画のアップも、時間はかかるけど(自分の家の光ファイバーの倍はかかるみたい。動画のような重たいデータの送信になると、違いが分かる!)、何とかできます。

 そうそう、故障の翌日、ビジネスセンターに抗議に行った人が殺到したそうです。矢吹カメラマン情報によると、「恋人との連絡がとれずに破局になったら、損害賠償を請求するぞ」って抗議したアメリカ人もいたとか。訴訟社会のアメリカらしいことですけど、そんなことぐらいで破局するくらいなら、いずれ破局になるでしょう。そう思いません?

表彰式ごとにダンスの衣装と振り付けが変わるショーアップ。けっこう楽しめる。 地球の核にまで続くかと思えるモスクワの地下鉄ホームへのエスカレーター。未来へのタイムマシンのようでもあった。 地下鉄社内で、仕事中毒の2人のツーショット。撮った内田カメラマンによると、「イラン人と中国人のカップルみたい」だって。




《9月9日(木)》

移動バスに乗った直後は、愛を語り合っていた保高記者と車屋さんですが(上)、渋滞の最中に、深い眠りに(下)。疲れが出てくるころ。
街中で栄和人・女子強化委員長(!)のポスターを見つけた。モスクワでも有名人なのかな?
本ブログにクレームをつけてきた3人のカメラマン。

  この日は、いつもにも増して渋滞がすごい。10時にホテルを出て、普通なら10時半までには会場に到着するが、まだ会場までかなりのところをノロノロ。いつもと別のルートを通り、一見して遠回りしたように思えたが…。ちょっと前のバスで行ったビル・メイさんや矢吹カメラマンのの乗ったバスよりも早く会場に着いたのだから、う回ルートが正解だった。交通事故があったらしいとの矢吹情報。

 そんなことでイライラしているところへ、カメラマンから集中攻撃を受けてしまう。まず共同通信の前田カメラマン。6日に掲載した名前の漢字が違うそうです。「辰徳」と書きましたが、「龍範」だそうです。一緒に仕事をしていた時、確か当時の巨人軍の4番打者の原辰徳(現監督)と同じ漢字、と聞いていたのだが…。「読み方がそうだ、って言ったんですよ」と前田カメラマン。「人の名前を間違えるとは、何ごとですか! わびてい、を出してください」とすごい剣幕。

 「わびてい」とは、共同通信(に限らず、すべての新聞社で使われているかな?)の社内用語で、「お詫びと訂正」の略。新聞が刷り上がる前の訂正は、単なる「訂正」だけど(これも多いと、当該部長はつるし上げを受ける)、活字になった翌日に出す訂正文のこと。仕方ない。悪いのはこちらだ。共同通信のスタイルに準じて、書きましょう。

 【訂正】6日付け本欄に掲載された共同通信の前田カメラマンの名が「辰徳」となっていましたが、「龍範」の誤りでした。お詫びして訂正します。

 追いうちは、東京スポーツの内田カメラマン。7日付けの記事の中で、カメラマンの取材エリアが限られ、「セコンドや選手が往来するので、マット上の選手をうまく撮影できない時も出てきそう。まあ、カメラマンの腕だろうな」と書きましたが、カメラを構えている前を急に出てこられていい写真が撮れなかった場合は、カメラマンの腕とは無関係、とのご指摘。どんなに腕のいいカメラマンであっても、急にカメラの前に立たれたら、ベストショットは撮れないとのことです。

 それもそうだ。そこは認識をあらためましょう。さらに追いうちは矢吹カメラマン。「ウクライナの女性コーチ、大きな体で(前75kg級の選手。階級区分変更で72kg級に落とせず引退。今は100kg近く?)、カメラを持ってうろちょろして、ファインダーに何度も入ってくるんですよ。何とか言ってください」とのこと。そんなこと、筆者に言われても困るにチカヤ。

 まあ、選手時代は浜口京子選手の“かませ犬”をやってくれたし、このウクライナの女性コーチの行動は許してやってよね。1997年世界選手権のミス・レスリングで、典型的なウクライナ美人。ね、中村亜希子記者!(と、事情を知っている人に助けを求める筆者でした)

 試合は、正田選手は残念ながら準決勝で負けてしまいましたが、吉田選手と伊調選手が順調に決勝へ。この日、車屋さんは吉田選手の担当。決勝進出を決めた吉田選手の下取材に行かせる。どこかの新聞社の記者も行くと思ったけど、どこも行かず1対1での取材へ。

ホームページのカメラマンは、カメラを向けると必ずポーズを撮ってくれる^^
イタリア料理店の男子トイレ。朝顔が高すぎて、背の低い人は背伸びするか、台が必要。(写真使用は承諾を得ています!)

 決勝まで3時間以上あるとはいえ、試合を残している選手への取材というのは簡単に済ませるのが礼儀。選手によっては、受けない人もいる。しかし吉田選手は、かつて闘ったことのある車屋さんの取材を快く受けてくれ、車屋さんが簡潔に終わらせようとすると、「もういいの?」と、もっと聞いていいわよ、という感じだったそうです。その気持ち、取材する側として最高にうれしいね。車屋さんが顔見知りだからではなく、吉田選手は取材に対してはいつもこんな感じですなんです。

 この日も前日と同じく、第1セッションと第2セッションの間がかなりあくので、因縁のカメラマン3人、保高記者、車屋さんとイタリア料理店へ。モスクワへ来て、わざわざイタリア料理店に入るのも変な話だけど、じっくり店を選ぶ時間はないので、当たり外れがなさそうな店を選びました。観光旅行で来ているのではありません。中に入ると、北京五輪の女子48kg級優勝のキャロル・ヒュン(カナダ)らレスリング関係者がうじゃうじゃ。

 ファイナルでは、吉田、伊調の両選手が順当勝ち。59kg級はモンゴル選手が同国から女子初の世界一へ。会場にいたモンゴル出身の元横綱朝青龍が大喜び。上機嫌の朝青龍は、東京スポーツの内田カメラマンのリクエストで、ファンだという吉田沙保里にもお祝いのキッス! その写真は東京スポーツの裏1面を飾ったそうですから、ぜひ見てくださいね(買い忘れた人は、東京・越中島の東京スポーツ本社まで)。

 3選手がファイナルへ進んだこともあり、仕事はいつも以上に遅くまで。車屋さんと保高記者が終わるころ(夜11時15分)、プレスルームには、いつもながらホームページのメンバーと東京スポーツの2人しか残っていませんでした。世界選手権、恒例のシーンですね^^; 中村亜希子記者がまだ執筆があるというので、編集作業の残っている筆者も残ることにしました(ふつうはホテルへ戻って続行)。ホームページのメンバーは、私を除く4人だと、ちょうどタクシー1台で済むのです。

 深夜0時、プレスルームの終了をもって退散(私はまだ編集や動画のアップが残っているので、ホテルで続き)。2005年のハンガリーの世界選手権では、私と中村記者の2人、深夜2時まで会場の記者席にいて執筆していたことを思い出しました(他にも、夜遅くまで一緒に仕事をしたり、パンを分け合ったりしたことがあるのに、中村記者とは一度もうわさを立てられたことがない。喜んでいいのか、悲しむべきか…)。

 帰りは、タクシーではなく、地下鉄を使ってみることにしました。内田カメラマンが回数券をを持っていたので、ごっちゃんし、核シェルターにもなるくらい深い地下鉄へ。地球の核に届くのでは、と思うくらい深いところを走っています。ホテル前のストアで500ccの缶ビールを買い、さあラストスパート。午前2時(日本時間午前7時)までには終わらせよう!

午後11時15分のプレスルーム。このあと、筆者、中村記者(中央だるま)、内田カメラマンが残った。 深夜の地下鉄でKGB(!)から職務質問されている人を発見! 無賃乗車がばれたかな? 深夜のホームにたたずむ中村記者をパチリ。これなら顔出しNGの細工の必要なし!



《9月8日(水)》

  朝、普通よりは渋滞が少なく会場へ。それでも30分以上かかる。やはり会場とホテルは徒歩でいける距離がいい。2005年のブダペスト大会が懐かしい(ホテルと会場が隣接)。

朝、保高記者はプレスセンターのイスを壊してしまった!
観客席から車屋さんにアプローチしてくるロシア人(私が横にいてもですよ!)。19歳のレスリング選手だそうです。それにしても、車屋さんは人気があるね。
会場近くにあるマクドナルド。最終日までに行くことになるか?

 日本から、「ホームページに『日本テレビのニュースで放映』と出ているけど、具体的に何時? といった問い合わせが多数ある」との連絡。やっぱり、みんな生の映像を見たいんだね。でも、こちらに来ている日本テレビ・スタッフは、映像を送るまでが自分の仕事で、どの番組で使われるかまでは分からないというんですね。

 辛うじて、夜の「NEWS ZERO」で放映されるらしいとの情報。それでも、大きなニュースが入ると、とばされる可能性があるそうで、「この番組で必ず」とは断言できないそうです。

 ニュースというのは一種の“生き物”であり、大きなニュースや新しいニュースが優先。そのへんをご理解してください。あと、日本テレビを通じて、他局にも映像を分岐しているそうで、他局のニュースでも見られるそうです。

 試合は、堀内優選手が初戦で世界チャンピオンと激突。ここを勝ち抜き、坂本日登美選手も順当に勝ち上がる。金久保武大選手もグレコローマンの意地でで、この大会2個目のメダルを目指して快進撃。一度、その3選手が同時にマットに上がって試合をやることになり、カメラマンも記者も困った、困った。勝ち進んでいればこそのこと。うれしいことなんですけどね。

 女子の出場選手数が、昨日までのグレコローマンより少ないこともあり、この日は4時半に準決勝までを終了。敗者復活戦に出る日本選手はいないから、次の日本選手の7時半。保高記者、車屋さんと外へ夕食を食べに行くことにした。街中(というほど中心街ではないけど)に出るのは、モスクワに来てから初めて。車屋さんは「わー、マックがある」と、モスクワにマクドナルドがあることに感激の様子。

 でも、モスクワの地に降り立つこと15度(乗り換えだけというのを入れれば40回くらい)、アエロフロート大好きの筆者からすれば、マックは確か1995年くらいからあったと思います。

 店を探していると、クリナップの今村浩之監督とばったり。「あそこの2階がいいみたいです」と教えてもらい、そこに行ってみると、矢吹カメラマンと東京スポーツの内田カメラマン、AKSOKの大橋監督や伊調コーチ、八戸クラブの沢内代表らの姿が。みんな同じ行動をするんだね。食べ放題の店だったので、十分にエネルギーを補給する。

会場から地下鉄駅までの道。
3日目にして、やっとまともな夕食にありつけた。バイキングを選んでいるのは矢吹カメラマン。

 帰途、車屋さんが保高記者に写真写真撮影の極意を聞く。筆者が車屋さんに記事執筆のこつを教えていることと基本は同じ。「とにかく撮ることね」だって。そこで筆者は「とにかく、アゼルバイジャンは?」と聞き返す。ポカーンとする2人。「『とにかく、トルコとね』と言ったでしょ。だったら、『アゼルバイジャンは?』って聞いたわけ」と解説すると、2人ともやっと意味が分かったみたい。

 遅いんだよなーーー。でも、車屋さんはなぜか全身の力抜けたようで、今にも地面に倒れそうになっていた。なぜなんだろ?

 午後の部では、金久保選手が残念ながらメダルを逃したが、坂本選手が優勝。しかし、堀内選手が不可解な判定で敗れ、無念の銀メダル。右肩の脱きゅうさえなければ、もっと積極的に攻めることができ、勝敗は違っていたと思います。悔し涙にくれる堀内選手のインタビューの動画、見ていて痛々しかったので、アップしようかどうか迷いました。

 でも、アップすることにしました。こんな傷心の時でも、記者団にきちんと向かい合ってくれた強さを、ぜひとも報じなければならないと思ったからです。「あんなシーンを流して、かわいそう。テレビならともかく、協会のホームページが」と、批判的に思う人もいるかもしれません。

 でも、私は信念をもって流しました。“陽”だけを流す、かつての社会主義国のメディアであってはなりません。負けて悔し涙を流すのも、まごうことのない真実。その真実を伝えるべきだと思います。勝負の世界の厳しさを日本にいるちびっ子を含めた選手が見て、選手生活に役立つ何かを感じてくれるはずです。

 また、けがで満足に動けず、納得のできない判定の末の堀内選手の悔し涙をみて、「次は頑張れ」と応援してくれる人も多いと思います。そのエネルギーが、堀内選手の今後を後押ししてくれると思います。この悔しさから立ち上がることを、全国のレスリングファンに応援してもらいたい。そのために、あえて流しました。

記者席の前の列に座っていた米国人記者は、スカイプで奥さん(恋人?)と海を越えてラブコール。 ロシアのバレリーナに触発された保高記者は、バレリーナの真似をしていました。 ロシア美人をさっそくパソコンの壁紙に使っていた某記者。この記者とは、だれだ?



《9月7日(火)》

  朝起きると、外は小雨。寒い! 保高記者は会場の一部にある店が開いていたので、長袖の服を物色。猛暑の日本の感覚とは違った。会場に入ると、車屋さんとともに、前日の最後にフォトギャラリー・コーナーで見つけた1992年バルセロナ五輪における赤石光生・現日大コーチのパネル写真の撮影に行く。まあ、赤石コーチというより対戦相手のアルセン・ファザエフ(当時EUN)を撮った写真なんだけど、車屋さんからすれば、異国で赤石コーチが写っている写真を見つけたことは感激だったようだ。

フォトギャラリーに展示されているソ連〜ロシアの往年の名選手のパネル写真。
展示されてあった1988年ソウル五輪で優勝した時のアレクサンダー・カレリン。髪の毛がふさふさ!

 前日は夜遅く、先を急いでいてカメラを出すのが面倒くさかったので、「明日、撮ろう」とし、この日の朝の行動になった。しかし…!!!! その写真が消えているではないか! ファザエフ・ファンのだれかが夜のうちか早朝に盗んだのか? 「なぜー?」とがっかりの車屋さん。

 すべてのことは、一期一会。その時限りという場合が多いわけです。「あとで」なんて思っていたら、その機会はなくなる。思い立った時にやりましょう。明日、終わる人生かもしれないんだから、脱サラも、愛の告白も(保高記者や中村記者、あなた達に告白するという意味じゃありませんよ!)、親孝行も、すべて後回しではダメですよ。

 大会2日目ともなると、会場のルールなども分かってくるので、記者やカメラマンの動き方も慣れてくる。しかし、日本選手の最初の試合の時、遠目にカメラマンと係員とがもめているのが分かった。「ここでは撮影するな」と言われているようだ。いろいろとやりあっている。

 記者席にいた本来カメラマンの保高記者が、この状態に気づき、すぐに向かう(カメラマンIDを持っている)。彼女のこうした行動はさすがだ。報道の世界にいる人間は、報道の自由、報道に携わる人間の権利といったものに敏感でなければならない。「1大会に1度はぶち切れる」などと、ありもしないことを言われている筆者だが(3大会に1度だと思う)、ぶち切れる時は報道の権利が踏みにじられた時だけです。

 保高記者は、ロシア語の話せる旅行代理店ブンキョーインターナショナルのターニャ古賀さんを呼んで、撮影エリアが確保されていないのはおかしと猛烈抗議。国際レスリング連盟(FILA)の役員もそれに同意し、場所を確保してくれようとしたが、大会スタッフは拒否。役員同士が一触即発状態へ。どつきあいとなり、ステロイド使用でパワーのある保高記者が割って入って、やっとおさまったとの情報あり。

 なんだかんだとあり、結局、前日は認められていた中央のゾーンは撮影が禁止となり、そのうしろのVIP席から撮影することになったらしい。セコンドや選手が往来するので、マット上の選手をうまく撮影できない時も出てきそう。まあ、カメラマンの腕だろうな。

 前日は試合進行が遅れ、敗者復活戦2試合が午後7時の開会式までにできないアクシデントがあったが(そのあとのファイナルのセッションで実施し、その後にファイナルを実施)、この日は選手数が若干少ないこともあるり、5時半には第1セッションのすべてが終了。日本は松本隆太郎選手が決勝進出を決め、メダルを確保。

 この日の松本選手の執筆担当は車屋さん。「すごいですね」と日本選手の快挙がうれしそうながらも、仕事の重大さに緊張気味。ネットで松本選手のことを必死に調べている。「最初からベテラン」はいない。すべてが経験。がんばってね^^

カメラマン席を巡ってのトラブル。中央こちら向きが保高記者。
大タペストリーやポスターに使われていた女子48kg級・のラリッサ・オーザク。車屋さんは「笑っているんじゃないですか?」と言っていたが…。

 しかし、残念ながらアゼルバイジャン選手に敗れて銀メダル。記者席の同じ列に座っていたアゼルバイジャンの記者が「アゼルバイジャン、ウイン!」と言ってきたので、「ネクストイヤー、ジャパン、ウイン」と返す。すると、「オケー、オケー」との意外な返事。しかし、続けて「ロンドン、アゼルバイジャン、ウイン」だって。

 これには車屋さんがすぐに反応し、「ロンドン、ジャパン、ウイン、トゥー!」と言い返した。初めての海外取材(国内を含めての初めてだけど)にしては度胸がいい。まあ、こうした他国記者とのやりとりも、この仕事の楽しさのひとつ。車屋さんは典型的な「かわいい日本女性」なんだろうな、結構、あちこちの人から声をかけられる。

 前夜はホテルのエレベーターの中で、アルゼンチンの選手から「かわいい」とかなんとか言われて声をかけられ、「レスラー?」と声をかけられた。ジャージ姿ならともなく、「なんで分かるの?」と思ったら、耳を見たそうだ。今まで気がつかなかったが(女性の顔や体をじろじろ見る習慣がないのものでして…)、車屋さんの耳は確かに“レスラー耳”だ。

 車屋さんは、アルゼンチンと聞いて、「サッカー」と言ったら、「ノー、ノー。レスリング」との答え。いえ、「アルゼンチンはサッカーが盛んだね」という意味で聞いたの。ま、どうでもいいけど。

 試合が終わり、その車屋さんの執筆終了を待ってホテルへ。ホテルで編集し、さあアップロードとなったら、インターネットが通じない。この日の朝、2週間使い放題で1000ルーブルというカードを買ったばかりだというのに、これは困った。ホテルのフロントに、「アウト・オブ・オーダーだから、ホテルのを使わせてくれないか」と頼んだが、「(ネットは)ビジネスセンターでやっているものだから、知らない。ここ(フロント)にLANはない」と冷淡に言われた。

 困り果てた時、ビル・メイさんが別のネット回線の30分カードを持っていたことを思い出した。あと10分くらいあるとか言っていた。10分あればアップできる。申し訳なかったけど、寝入っていたメイさんを起こし、カードを借りて神様に頼みながらログインしてみると、通じた! よかった。これで、日本の朝には松本選手の記事を提供できる。

 海外取材では、こんなトラブルもあるのです。アップが遅くなっても、起こらないでね。

本HPだけが撮った(?)メダルを取った松本兄と弟のツーショット。 やはり、この人の写真を1日に1枚は載せないと…。東京スポーツの中村亜希子記者。 全試合終了後のプレスルーム。左は松本隆太郎の記事を執筆中の車屋さん。



《9月6日(月)》

  朝7時45分に起床し、保高記者、車屋さんとともに朝食会場へ。斎藤審判、芦田審判ほか、女子選手などと会う。狭い空間に大勢の人がいて、なかなか食事にありつけない。何とかしてほしいものだ。同じテーブルとなった斎藤審判員の奥さんが、車屋さんと同じ秋田県出身だということで、けっこう親しみをもってくれた。秋田県は五輪選手を多く輩出している県なのだ(ちなみに私は新潟県出身です。関係ないか…)

いざ出陣のALSOK大橋正教監督。各階級の戦力分析を熱心にやっていた。
試合会場。さいたまスーパーアリーナよりも間違いなく広い体育館だ。
初対面の中村記者にあいさつ代わりにがぶり返しをかける車屋さん。保高記者がパチリ。

 10時発のバスで会場へ。渋滞さえなければ10分でいける距離だが、30分近くかかる。記者席へ行って準備をしていると、このブログの名物記者ともなった中村亜希子記者登場。保高記者が「今年も顔出しNGですか?」と聞く。その通りとのことで、「それなら、がぶり返しなら顔が見えないですよ」と言い、車屋さんにがぶり返しをかけさせて今年の最初の写真をパチリ。さて、最終日に顔出しなるか。

 その中村記者から、「きのうは樋口さんがいなくてよかった」と言われた。会場に入るのが大変で、「あっち行け、こっち行け」で大きな体育館を3周もしたんだって。「樋口さんがいたら、ブチ切れてたわよ」だって。温厚で、人と争うことを好まない人間に何を寝ぼけたことを言っているんだろ。

 会場は1980年モスクワ五輪の、たぶんバスケットボールの会場。とにかく広く、さいたまスーパーアリーナよりも広くて、フロアだけの面積なら、東京ドームよりちょっと狭いくらいかな。ただし、試合会場として使うのは3分の1くらい。カーテンで仕切り、見えないところはウォーミングアップ場などになっている。さすがのレスリング王国ロシアも、このアリーナ全体を満員にするのは無理だろうな。

 プレスセンターで準備をしていると、共同通信のカメラマンからあいさつされる。どこかで見た顔だな、と思っていると、私が1986〜88年に勤務した同社の名古屋支社時代に運転手として入社してきた前田龍範カメラマン。私が同社を退職したあと、社内の転部試験を受けて写真部に合格。全くの素人からカメラマンになり、勉強を重ねて海外取材ができるカメラマンにまで成長したようだ。

 昔はまだ“坊っちゃん”だったが、今は顔にしわもでき、いいおっさん。あの時20歳くらいで入社してきたので、もう40代の半ばか。顔も変わるわけだ。ま、頭のてっぺんが変わっても当然だよね。

 前日顔合わせをしていた矢吹カメラマンにそのことを説明すると、「そうだったんですか」と、意外なつながりに驚きの様子。前田カメラマンには、「樋口さんにはお世話になりました。しっかりと鍛えてもらいました」とでも言ってほしかったが、「いじめられましたよ。勤務時間中にもかかわらず、コブラツイストをかけてくるは、ウエスタンラりアートをやってくるわで」と、事実を、いやいや作り話を披露。昔なら卍固めでもかけるべきケースだが、ま、他社のカメラマンだし、仲良くしましょう。争いごとを嫌う筆者でした。

 試合進行では、そう大きなトラブルはなし。運営上のひどさはあるものの、いつものことだから驚きはしない。今回はモスクワ市が主催している大会で、ロシア・レスリング協会は携わっていないとか。だからレスリングのことをよく知らないスタッフばかり。最初から期待していなければ、落胆はしないものなのです。

20数年ぶりに同じ空間で仕事をすることになった共同通信の前田辰徳カメラマン。(後方に中村記者が映っていた^^;)
必死になって記事を執筆する車屋さんをパチリ。
開会式・人間の体が宙に浮くアトラクションが披露された。

 試合が終わって、どうやって帰ろうかと話し合う。会場〜ホテルの移動バスは10時が最終で、もう10時半。「タクシーかな」と話し合っていると、保高記者が「ドーピングをやっている選手のために、まだバスがあるはずです」。さすが慣れている。こちらも世界選手権の取材は多いが、そこまで気が回らなかった。

 選手出入口に行くと、確かにバスはあった。しかし、最後の選手がドーピング検査を終わるまで待っているはずで、それが何時になるか分からない。こうした時、保高記者は不思議な能力を発揮し、外国人スタッフに対しても臆することなく聞いて、事態を把握する。ドーピングルームには、まだ4人いるとのこと。もちろん、いつ終わるかは分からない。

 待つべきか、タクシーで帰るべきか。待つこと20分以上、結局、タクシーを使うことにした。この20分、どうしてくれる…ということは、日常生活でもよくあることですよね。道へ出ても、こんな時間にはなかなかタクシーなんて来ないだろうと思っていると、普通の車が止まってくれる。こちらは一般の車が“タクシー営業”をしているのです(合法か違法かは分かりません)。

 値段は交渉することもなく500ルーブル(約1500円)。こちらは、もう老眼が出ていて、暗い所では字がよく読めないので、財布の中から札束を取りだし、保高記者に「500ルーブル取ってくれ」と頼む。保高記者はさらさらと調べ、「なんで値段ごとにまとめておかないんですか」と一喝。確かに1000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブル、10ルーブルの順にまとめておけば、出す時に簡単だ。

 でも、面倒くさいからそんな順序よくは入れていないんですよね。日本では1000円札しか入っていないし…。あ、いや、たまには1万円札も入っていますよ。皆さんはどうしていますか?

 ホテルに帰って、もう11時半すぎ。近くに空いていそうな店があるので、5人で向かう。すると、東京スポーツの中村記者と内田カメラマンにばったり。会場から5分ちょっとの地下鉄で帰ってきたとか。せっかくだから一緒に食事。東京スポーツは早くも朝青龍とカレリンの取材に成功したそうです。ともに会場に来ていたことは分かっていたけど、こちらはレスリングの取材をしなければならないので、とても手が回りませんでした。読者のみなさん、ごめんなさい。

 カレリンは、東京スポーツの取材依頼に対し、「あとで」と言って、その時は拒否。でも、本当に「あとで」、たった一人で中村記者のところに来てくれたそうです。すごい紳士だよね。朝青龍も、日本では報道陣にはすごい態度をとることで有名ですが、中村記者にはとても優しく、人なつこく取材に応じてくれたそうです。

 きっと、中村記者の顔から人間性がにじみ出ていたのでしょう。こんな記者の書く東京スポーツは、真実満載の新聞です。カレリンと朝青龍のからみは、ぜひとも東京スポーツを読んでください(この記事を読んだあとでは、もう売店においてないか。その場合は東京・越中島にある本社まで買いに行ってください)。レスリングの東京スポーツをよろしく!(私は宣伝料を1円ももらっていません! 念のため)

開会式のモンゴル相撲のアトラクションを見る朝青龍(矢印。その左は福田富昭会長。 ロシアの英雄、アレクサンダー・カレリン氏に記念の肖像画が贈られた。 開会式で披露されたセクシー・ダンス。車屋さんはびっくりしていた^^





《9月5日(日)》

  スーツケースがある海外行きの場合、成田空港までどういうルートをとるか、いつも迷うところ。以前は7、8人相乗りで家の前まで迎えに来てくれるタクシーが便利だった。私の住む江東区なら成田空港まで3500円。しかし、採算がとれないようで、今はどのタクシー会社もやっていない。

 この日は日曜日で通勤ラッシュがない。朝の時間帯、スーツケースを持って電車に乗っても、肩身の狭い思いをしなくても済むので、JRを使って日暮里まで行き、京成電鉄の新しいスカイライナーに乗ってみる。途中から新線を通り、160kmのスピードで疾走するい新型特急。従来のスカイライナーから500円高くなるが、約15分早く到着する。

 しかし、席に座ると同時に睡魔に襲われる。通路側の席だったこともあって(けっこう混んでいて、窓側の席は満席)、窓からの景色を見ることもなく成田空港へ。何のために新スカイライナーを利用したのか? まあ、東京駅までタクシーで行って成田エクスプレスを使うよりは格安にはなった。

出発前の成田空港。左が記者見習いの車屋綾香さん。右筆者。
モスクワ空港は新設されたDターミナルに到着。こんなにきれいで、モスクワ空港のイメージ一新。

 空港では、この取材に見習い記者として同行する日大レスリング部4年生の車屋綾香さんが三つ指をスーツケースについて待っていてくれた^^(東京スポーツの中村亜希子記者、これが女性のたしなみなんですよ!=意味が分からない人は、昨年のブログへ)

 車屋さんは今春、いろんな新聞社を受け、スポーツニッポンに見事合格。まだ配属は決まっていないが、来春から記者として活躍する可能性が濃厚だ。プロデビューを前に、取材の現場を経験させようと来てもらうことにした。

 レスリング界からマスコミへ行く人間はこれまであまりなかった。レスリングがマスコミで大きく扱われない原因のひとつでもあったと思う。マスコミに入って分かったのだが、記者には野球、サッカー、ラグビーなどの経験者が多い。

 競技人口の割合からすれば、アメリカンフットボールも多いかな。公私混同で記事がつくられているわけではないが、やはり自分のやっていたスポーツには思い入れがあり、無意識のうちにも記事を書くプッシュをするのが普通。自然と記事量が多くなる。

 レスリングはそうした人がいなかったので、記事の量も少なかった。でも、去年は早大からスポーツ報知に受かった人もいた。マスコミに人材を送ることも、レスリングのステータスアップには大きな力になると思う。

 車屋さんには、ぜひとも記者職になってもらい、ばりばりと記事を書いてもらいたい。そのためにも、取材の基本を覚えて入社してもらいたい。日大の富山英明監督からも「ビシビシ、しごいてくれ」と頼まれている。

 唯一の不安は、記者の現場を知ることで、「こんな世界なんですか!!!!!」と恐れてしまい、内定を辞退してしまわないかということ。記者というのは、食事も、場合によっては睡眠も満足にとれず、満身創いで働かなくてはならない。締め切り直前などは“戦場”のような慌ただしさ。10分で800字(原稿用紙2枚分)くらいを書かなければならない時もあり、どの記者も殺気立っている。

アエロフロート愛好者には馴染み深いモスクワのシェルメンチボ空港第1ターミナル。もう使うこともなくなるか?
夕食で食べた鳥の丸焼き。海外では、ホテル内のレストランより、街中の方が安くておいしいものを食べられる。

 飲んべい記者もいるし、すぐにオヤジ・ギャクを口にする記者もいる。車屋さんのようにかわいい記者なら、セクハラ記者に変わるのもいるかもしれない(四六時中一緒ではないから、私も守り切れない)。いいところの家庭で育ったお嬢さんでは、驚きの連続かもしれない。ま、そうなったら、そうなったで仕方がない。現実を見せることが大事。それで去られたら、それだけのことだ。(もっとも、私の経験からすれば、レスリング界で育った人間なら、何とも思わない世界のような気がする)

 車屋さんに「ブログに顔出しても大丈夫だろ」と聞くと、「(顔だしNGは)東京スポーツの中村さんだけでしょ」だって。去年のブログを、よく読んでくれている^^

 搭乗まで時間があるので、軽く食事をすることにして、レストラン・コーナーへ。するとALSOKの大橋正教監督らとばったり。車屋さんとサイド・バイ・サイドでモスクワまで10時間のフライトに、大橋監督はうらやましそう^^ 羨望のまなざしを、ひしひしと感じた。

 モスクワはつい数週間前までは猛暑とのことだったけど、今はそうでもない。長袖のシャツ1枚でちょうどいいくらい。夜になれば寒いだろうけど。ホテルへ到着すると、うまい具合に選手やコーチ、先のリのビル・メイさんや矢吹建夫カメラマン、保高幸子記者(今回はカメラマンではなく記者)と会えて、ホームページの取材団がそろった。

 東京スポーツの中村亜希子記者や内田カメラマン、共同通信、中日新聞といった常連記者にも会って、いよいよ世界選手権という感じ。HP記者と大橋監督らとホテル近くのカバブー店で夕食を兼ねた決起集会をやり、世界選手権がスタートへ!



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