【特集】リングからマットへ復帰! キッズ指導に本腰を入れる\(^o^)/チエ(石井千恵さん)【2010年1月20日】

(文=樋口郁夫)



 既成のプロレスとは一線を画したプロレス団体「ハッスル」で、\(^o^)/チエ(バンザイチエ)というリングネームで活躍していた中京女大(今年4月から至学館大)OGの石井千恵さん(左写真)が、昨年4月の結婚引退を機に(ただし、まだ入籍はしていない)レスリング界に戻ってきた。

 プロレスラー時代にも高田道場(高田延彦代表)でキッズ選手を教えていた。今月9〜11日に東京・味の素トレーニングセンターで行われた日本協会の東地区指導者講習会に出席。正式にレスリングの世界へUターンし、「子供が好きですので、楽しい時間をすごせます。父母との交流もとても楽しいです」と充実した毎日をおくっている。

■中京女大卒業後、夢だったプロレスの世界へ

 長野・北佐久農高から中京女大へ。2003年のJOC杯ジュニアオリンピックで優勝し、同年の世界ジュニア選手権59kg級に出場して4位に入賞した。大学4年生の時(2005年)には全日本学生選手権2位、天皇杯全日本選手権3位入賞という成績を残した(ともに63kg級)。しかし、プロレスラーになるのが夢でレスリングを始めた選手。レスリング活動はここで区切りをつけ、翌2006年にプロレス入り。同年8月に1試合だけ総合格闘技をやったあと、10月に念願のプロデビューを果たした。

 「ハッスル」には、高田延彦扮する高田総裁のほか、小川直也、川田利明、ボノ(元横綱曙)、長州力、天龍、坂田亘といったプロレスラー、タレントのインリン扮するインリン様、時に狂言師の和泉元彌や元読売巨人軍のウォーレン・クロマティなども参加した団体。プロレス入り直後を「周りは憧れていた選手ばかり。現実とは思えなかった。夢があふれていて楽しい日でした」と振り返る(右写真:曙=中央=らとともに。右から2人目がバンザイチエ)

 それがリング上での全力ファイトにつながった。楽しかったからプロレスの技や駆け引きのマスターにも真剣に取り組み、それがファンの心をつかんだ。以来、同団体での貴重な戦力として活躍。持ち味はレスリングを通じて鍛えた物おじしない果敢なファイトだが、他に天然キャラも“売り”になり、つけられたニックネームが「ハッスル天然少女」。

 リング外でも大物ぶりを伝えるエピソードには事欠かなかった。自らの所属する会社(ドリームステージエンターテインメント)の事務所で榊原信行社長からの「榊原だが、○○さんを頼む」という電話を受け、「どちらの榊原様でしょうか?」と返した“伝説”を持っている。

 名古屋で試合をやった時には、リングサイドに吉田沙保里選手や伊調千春(同期)・馨姉妹らの中京女大の先輩後輩がずらりと陣取り、五輪選手の前で堂々とファイトする機会に恵まれた。中京女大の選手がオリンピックなどで活躍する姿を「誇らしかった。自分のことのようにうれしかった」という石井さんだが、プロの世界で大活躍する石井さんの姿を、逆に中京女大の選手は誇りに思っていたことだろう。

■具体的な夢を持たなければ、長続きしない…プロレスでの反省

 しかし昨今のプロレスは、人気の低迷でどの団体も何を求めて活動しているのか分からない状況になってしまっている。かつては「NWAの世界チャンピオンになる」「マジソン・スクエア・ガーデンで闘う」「あらゆる格闘家の挑戦を受けて最強を証明する」といった夢を持つことができた世界だったが、今はそれがない。

 スタートは順調だった「ハッスル」も、やっていくうちに何をファンに訴えるのかが分からなくなってしまった(昨年11月に実質的に倒産)。石井さんは「夢を持てなくなりました。(中京女大のキャッチフレーズの)夢追人でなくなってしまいました」と振り返る。

 「プロレスラーになって、何になりたい、何をやりたいという明確な目標を持っていれば、違ったものになったかもしれません。プロレスラーになりたい、だったんです。その夢が達成し、そこで行き詰ってしまたんですね」とも反省する。逆に考えれば、足を踏み入れてきた人間に夢を与えられないのが今のプロレス界ということになる。これではファンに夢を与えられるはずがない。業界が一丸となって考えていかねばならないことだろう(左写真:2005年全日本選手権63kg級で3位入賞した石井さん=右端)

 もっとも石井さんの場合は、もうひとつの理由があった。「恋をしてしまいましたから…」とはにかみながら話し、「そうなると、普通の生活をしたいって思うようになってしまうんですよね」と続けた。

 幸せいっぱいの石井さんは今、プロレスにかけていた情熱を週2、3回のキッズ・レスラーの指導に傾けている「自分でやるのと教えるのは違いますね。まして子供のレスリングは全く違います」と、難しさの中にもやりがいを感じている。

■キッズ選手に合わせた指導で、「けがなく、楽しく」

 「けがをしないことと、楽しくやらせることに力を入れています。強くなってオリンピックを目指す選手もいれば、体が弱いので強くしたいと通う選手もいる。みんな同じように強さだけを求めさせることはしません」と言う。指導者講習会に参加したのは、「子供達の指導と現在のルールをしっかり研究したかったから」。正しい指導は、正しい知識から生まれる。この姿勢からしても、石井さんのキッズ指導にかける情熱がうかがえる(右写真=指導者講習会での石井さん=左端)

 現在26歳。まだレスリングのマットで闘うことのできる年齢ではある。レスリング復帰の可能性を聞かれると、「勝ちを求めることはできないと思いますけど、社会人選手権くらいなら…」と話し、自らの練習ができる状況であるなら可能性は否定しなかった。

 やはりレスリングが好きなのだろう。そのバックボーンは中京女大の4年間か。「練習はすごく厳しかったです。監督? ハハハハ…。でも厳しいのは練習の時だけ。それ以外は楽しい4年間でした。楽しいというと、周囲からびっくりされるんですけど、寮生活などみんなと一緒にいる時間は本当に楽しかったですよ」と言う。

 日本の女子レスリングの強さを支える中京女大は、日本代表として世界にはばたく選手ばかりではない。日本一には手が届かなかったが、根っからの“レスリング大好き人間”もいて、各地で第2、第3の吉田沙保里や伊調姉妹の育成に情熱を注いでいる。レスリング界に戻ってきた石井さんの今後が期待される。


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