【取材日記】氷点下30度のシベリアを行く…レスリング全日本チーム・ロシア遠征

(文・写真=樋口郁夫)


1月27日(水) 1月28日(木) 1月29日(金) 1月30日(土) 1月31日(日)

【1月27日(水)】

 男子のロシア遠征組を見送った24時間後の27日朝11時、筆者も冬向けの重装備をして成田空港にいました。男女の全日本チームが参加する「ヤリギン国際大会」(ロシア・クラスノヤルスク)の取材です。行く3、4日前にクラスノヤルスクの天候を調べてみたら、最高気温がマイナス27度、最低気温がマイナス29度とか。

 靴は靴箱に長年眠っていたスノーシューズ。確か15年前にクラスノヤルスクで買ったものだったと思います。その時は、履いて行ったスノーシューズの底がはがれてしまい、選手からテーピングのテープをもらって巻いてしのぎ、時間を見つけてデパートまで靴を買いに行ったのでした。

 あれから15年。クラスノヤルスクはどんなふうに変わっているかと思ってアエロフロート機へ。けっこうすいていて、4人掛けの座席を一人で占拠。ぐっすり寝ていくことができました^^ さて、飛ぶこと10時間。モスクワの気温はマイナス20度というアナウンス。モスクワでこれなら、クラスノヤルスクはもっと寒いだろうと覚悟してロシアの地へ。 

氷点下20度、雪の車道の上をターミナルD(青のネオン)目指して歩きました。
 ここで国内線に乗り換えてクラスノヤルスクへ行くのですが、クラスノヤルスク行きは新しくできたターミナルDから出るのです。これまでのターミナルのすぐ隣にできて、成田で言えば、第1と第2のターミナルよりも近いところにあるのですが、つい最近できたばかりなので、戸惑っても仕方ないでしょう。

 案の定、前々日に行った女子チームは迷ってしまい、タクシーを使って移動するはめに。2台で7500ルーブル(約2万3000円)! いくら何でも、隣にあるターミナルに行くのに、この金額はないでしょう! ぼったくりだ! まあ、クラスノヤルスク行きの出発時間が迫っていて、氷点下の寒さで暗く、スーツケースもある…。初めての時はやむをえませんよね。

 そのことを聞いていたので、こちらは絶対にぼったくられないぞ、と心に誓いました。男子の出発の際に、旅行代理店ブンキョーインターナショナルのターニャ古賀さんが通りかかったアエロフロートの乗務員にいろいろ聞いてくれたこともあり、かなりの予備知識を持ってモスクワへ。空港のゲートを出ると、白タクの客引きを何人も追い払ってインフォメーションへ行き、「ターミナルD(行きのバスは?)」と聞いた。

 すると「歩いて15分くらい向こうにある」との答え。事前の調査では、空港のすぐ前から出ているとのこと。腑(ふ)に落ちずにウロウロしたが、シャトルバスが見当たらない。それならと、徒歩5分くらいで行けるモスクワ市内行きの電車(これも昨年だったかにできたものです)の駅へ向かい、そこから無料シャトルバスに乗ろうとする。

ターミナルDで食べた夜食。一人じゃ、豪勢な食事は要らないよね^^
 しかし、あいにく行ったばかりで、1時間近く待たなければならない。係員に「ワン・アワー?」と言うと、「あそこに見えるだろ。歩いても5分で行ける」との答え。寒い中だったけど、5分なら歩きましょう。手袋に毛糸の帽子、首巻き(マフラーではなくすっぽりかぶるもの)で防寒は万全。スーツケースを持っているなら、そうもいかないかもしれませんが、カメラバックとリュックという軽装だしね。

 雪の車道をトボトボと歩き、7分でDターミナルの端へ。15分で正面玄関へ。最初に聞いたインフォメーションのおばさんの「15分」というのは、歩いて行った時の時間のことだったのかな、と思った。考えてみると、「ターミナルD?」と聞いたのであって、「シャトルバス・トゥ・ターミナルD?」とは聞いていなかったのです。

 空港間はシャトルバスで移動するものという先入観があったので、こういう聞き方になったのですが、聞き方がまずかったのかもしれませんね。日本なら、第1ターミナルで「ターミナル・ツー?」と聞いたら、第2ターミナルへ行くバスの乗り場を教えますよね。まあ、これも日本人と外国人の感覚の違いなのかもしれません。いい勉強になりました。


【1月28日(木)】

 クラスノヤルスクまでの深夜フライトは、隣にアゼルバイジャンの重量級の選手が座るという不運。体がこちらの座席にまではみ出てくるので(意地悪をしているわけではなく、体が大きいからそうなるのです)、窮屈このうえない。それでも4時間のフライトの大半を寝ることができました。どんな時でも寝ることを要求した八田イズムの精神は、記者にも引き継がれています! というより、疲れていて睡眠不足だったからなんですけどね。モスクワ発は日本時間の朝7時。起きてから24時間、本格的に寝ていないのですから、寝るのも当然でしょう。

飛行機の窓から見たクラスノヤルスク空港。雪ぼこりが舞い、見るからに寒そうだった。
川の半分近くが凍っていたエニセイ川。全面凍結も珍しくないとか。
男子フリーの1997年世界選手権の会場でもあったイワン・ヤリギン・パレス。

 機内が明るくなって、到着(9時20分)が近づいて目を覚ます。すると飛行機がゆらゆらと左右へ揺れている。ジャンボ機が御巣鷹山に落ちて以来、飛行機の安全神話を信じなくなった筆者は、正直言って怖くなった。強風のせいなのか、操縦士の技術が未熟からなのかは分からないが、かなり揺れて、時に左にある壁に頭をぶつけそうになるくらい。

 「こりゃ、まずい」って思いましたよ。窓の下を見ると、雪化粧をした森や平地が続いているので、「これなら墜落しても多少の緩衝になるかな」なんて思ったのだから、かなり本気に怖かった。しかし、尾翼を左右に揺らしながらも無事着陸に成功。機内から一斉に拍手があがった。だれもが同じようなことを考えていたのかもしれない。

 飛行機からはバスで空港ターミナルへ。大空港にあるようなブリッジなどないのです。バスまでのわずかな時間でも寒さが身にしみる。毛糸の帽子を取りだしたくなったが、それよりも先にバスに乗り込む。空港では大会役員の人が迎えてくれたが、その中の年配の一人が、こちらが日本人だと分かると、「タカダ」と言ってきた。たぶん高田裕司専務理事のことだろう。

 それとも高田道場の高田延彦のことか。ミクスド・マーシャルアーツ(総合格闘技)のことも話していたので、そちらのタカダかもしれない。ほとんどロシア語だから、よく分からない。「エメリヤーエンコ・ヒョ―ドル」と行ったら、にこり笑っていた。

 IDカードの取得などは比較的スムーズに行き、11時すぎにホテルへ。今回は日本選手団のアザーオフィシャルでの登録なので、ホテル代は組織委員会に払うとばかり思っていたが、ホテルに直接払ってくれとのこと。

 大会要項では、1泊3食つきで120ドル(約1万1000円)となっていたが、要求された料金は朝食のみで5200ルーブル(約1万6500円)。こんなバカなぼったくりはないだろうと思い、大会要項を見せたりして強く抗議。だが、やりとりしていうるうちに、3泊で5200ルーブルということが判明。

 3食つきなら3泊で210ドル(約1万9950円=約6300ルーブル)とのこと。3泊で360ドルを見込んでいたから、それよりも安く上げることができ、ほっと一安心。よかった!

 ホテルは15年前に来た時と同じインツーリスト・ホテル。かすかな記憶しか残っていないけど、ひどい部屋だったことは覚えている。シャワーは管の途中が折れていて、そこから出る赤茶びたお湯で体を洗った記憶があります。暖房もあまりきかず、夜、寒くて目をさまし、布団が落ちたな、と思ってみてみると、そうではなかったという経験もしました。さすがに改装され、部屋はまずまずきれい。シャワーはきちんとしていそう。

日本チームの通訳をしてくれたターニャさんとコーチ達。
「彼はいるの?」「日本の自衛隊員はどう?」と取材する井上謙二記者、いやコーチ!

 さて、記者という職業にいる人がチェックインして、まずやることといったら何でしょう? それはネット環境のチェックです。場合によっては部屋を変えてもらったりもしなければならないので、ベッドに寝転がったりする前に、ネットが使えるかどうかを確認するのです。

 IDカードをもらう場所で、「ホテルでインターネットは使えるか?」と確認し、使えるということでOKしたのですが(使えなかったから、日本選手とは別になるけど、クラスノヤルスク・ホテルにしてもらったかも。そこもあるかどうか分からないものの、こちらのホテルの方が大きいとのことで)、部屋のどこを探してもLAN回線はなし。

 おかしいと思って廊下へ出てみると、無線LANの機械あり。それならと無線LANを試してみると、パスワードを要求される。そこでフロントへ聞きに行くが、「?」。あんた達のホテルでしょ。

 日本チームの世話をすることになった日本語の話せるターニャさんという学生が来てくれ、通訳してもらったが、だれも知らないという。こんなバカな! 確かにロシア人というのは、自分の管轄外のことは「知らない」と言ったきり、調べてくれようとしない傾向がありますよね。社会主義が崩壊して、かなりよくなったと思ったけど、変わってない部分もある。

 これでは何のための無線LANなの。いろんな人に聞いてもらったり、フロントに備え付けてあるインターネットの案内らしき用紙(ロシア語)を訳してもらってトライしてもダメ。カリカリしていろいろトライしている最中に、日本チームが練習を終えてホテルへ戻ってきた。コーチや選手らとあいさつ。3時から監督会議なので、ネットの接続はひとまず切り上げ、コーチらと会場へ。

 女子の木名瀬監督に「モスクワ空港で(タクシー1台あたり)3000ルーブルもぼったくられたんだって?」と聞いてみる。木名瀬監督は「3000ルーブルが正規の料金だって値段表を見せてくるんです。空港職員が紹介してくれたタクシーなんですよ」と答える。空港職員らしく着飾っていただけであり、料金表も勝手に作ったものじゃないのかな。

クラスノヤルスクの街と月。この日は晴れていたので、マイナス20度くらいとか。

 ま、男子チームがスムーズにシャトルバスに乗ることができたのは、木名瀬監督がぼったくられたおかげ。感謝、感謝。男子チームは空港から出てすぐのところにあったシャトルバスに乗ることができたそうです(筆者はその乗り場を探す出すことができませんでした)。

 計量が終わってホテルへ。イライラするので、ホテルでのネット接続はあきらめ、ホテルに詰めていた大会スタッフに「近くにインターネットカフェはないか?」と聞く。「Wi−Fiは使える? そこなら案内してあげる」とのことで、徒歩1分のところにある喫茶店へ。一瞬、「インターネットカフェ」を「カフェ」と間違ったのかなと思ったが、その店で無線LANが通じているとのこと。試しにやってみたら、無事開通。

 何も注文しないわけにはいかないので、コーヒーを注文し、メールチェックやホームページのアップを実行。コーヒー代は100ルーブル(約320円)。インターネットカフェではなく、カフェで用が足りるとは初めての経験でした。

 これでやっと心が落ち着きました。ネットがつながらないと気が気でなく、体が疲れていても横になることもできないなんて……。記者の悲しい性(さが)ですね。でもインターネットが主流となっていくこれからの時代、このくらいの人間でなければ、記者としては通用しません。地球の裏側の情報がすぐに伝わってくる裏には、悲しい性を持っている記者がいることを知っておいてくださいね。


【1月29日(金)】

 朝6時40分に起床。外を見るとまだ真っ暗。緯度が高いからそうなるのかな? 寒さがいっそう感じられます。朝食会場へ行くと、すでに男子選手が食事中。しばらくすると、この日出場する女子3選手が登場。男子選手のテーブルには出された食事だけがあるのに対し、女子選手は日本から持ってきた真空パックのごはんや、カップ麺などが並んでいる。

 やっぱり女の子の方が、食べることに対してこだわりがあるのかな? まあ、男女の差というより、時代の流れか、計量が当日朝から前日計量になったことが影響しているかもしれません。男子選手も、以前は炊飯器と米を持ってくる選手は珍しくなかったですよ。確か、今の国士舘大の朝倉利夫監督はご飯でないとダメな感じで、計量のあと、おじやをおいしそうに食べていたシーンを思い出します。

朝7時でこの暗さ。ホテルの窓から見ただけで、寒さが伝わってくる。
ザラザラ紙のトイレットペーパー。日本人にはちょっときつい?
夜が明けきらない中をバスに向かう女子選手(朝7:45)

 当日の朝7時前に計量して、9時ころから試合というのが以前のルール(以前といっても1986年までのルール。もう24年も前か!)。どうしても消化のいいものとかにこだわりますよね。今の選手はご飯がなくても平気でしょうし、計量してから試合まで12時間以上もあるのだから何を食べても一緒なのでしょう。

 山名慧選手が真空パックのごはんを温めようとして、ウエートレスに「レンジ」と聞きましたが、通じません。そこで筆者がジェスチャアを交えて「グルグルグルグル…、チーン」と聞いたところ、通じました! すると、甲斐友梨選手や新海真美選手がゲラゲラと笑ってきました。そんなにおかしかったかなあ…。言葉が通じない時は、ボディランゲージに限るのです。

 部屋へ戻り、出発への準備。その前にトイレですね。空港でも感じましたが、こちらは公衆トイレがきれいとは言えず、内側の便座(大をする時に使うもの)がないものも珍しくないので、大便をして外に出るのは必須です。ホテルの部屋のトイレなら、日本人でもまだ使えます。しかし、昨日の夜は気がつかなかったのですが、トイレットペーパーが日本のもののように柔らかくなく、茶色い固い紙なんのです。

 ただでさえウォシュレットに慣れているお尻。大丈夫かな、と心配になりました。こちらの人にとっては、これが普通、いや上等なのかもしれませんね。すべて慣れなのでしょう。そういえば、最初に洋式便座を見た時、とてもできる代物(しろもの)とは思いませんでした。でも今は、洋式と和式があれば、洋式を使います。最初にウォシュレットを試した時は、「何だこれは?」と思いましたが、今はウォシュレットがないと、何かすっきりしません。変われば変わるものですね。

 さて7時45分、まだ明るくもなっていない極寒の中、バスで会場まで移動。やたら寒さを強調していますが、建物の中とか車の中にいる限りは、どうってことないんですよね。でも、バスの窓から外を見ると、この寒さの中を歩いている人も少なくありません。前日の空港でも、吹雪の中、作業をしている人もいました。もちろん、シベリアに捕虜として連行された日本人もいるわけで、どうやって生き延びたのでしょうか。

 試合会場は1997年の男子フリースタイルの世界選手権ででも使われたアリーナ。当時の世界選手権は今ほど出場選手が多くなかったので、3面マットでできましたが、今世界選手権をやるには、ちょっと狭いでしょうね。でもこの大会、55kg級などは36選手出場で、世界選手権並みの規模の大会なんですよ。3面マットで大丈夫かな、という気がしてきました。

 試合開始が近づくにつれ、ウォーミングアップ場は芋を洗うような状態。そういえば、1997年の世界選手権では、このウォーミングアップ場に東京スポーツのカメラマンが予備のカメラなどをいれたカメラバッグを置いて取材に出かけたところ、見事に盗まれたということを思い出しました。スポーツをやっている選手に悪い人間はいてほしくないけど、そうではないのです。外国では、貴重品は絶対に大勢の人が出入りする場所においておかないことですね。

2面マットの練習場。この10数分後には200人を超える選手が汗を流し、満員電車並みの混雑になりました。
3面マットの会場。出場選手数からして、スケジュールの遅れが懸念された。
出現した世界のスーパースターを、地元のマスコミがなかなか離さなかった。
 と思ったら、自分も記者席にカメラバックを置いてスケジュール表などを取りに来ていたことを思いだしました。記者席に戻ろうとすると、アリーナへの入り口にKGBのような人が立っていて、「ネット(ノー)」とか何とか言って入れてくれない。「プレス」と言うと、「あっちだ」との答え。“あっち”へ行っても、そこのスタッフが首を横に振る。

 ボディランゲージで「バッゲージが中にある。それを取りにいかせてくれ」と頼んでも、通じているのか通じていないのか、入れてくれようともしない。「一緒に来てくれれば問題ないだろ。すぐに戻る」という感じで、スタッフの腕を引っ張るが、相手にもしてくれない。いよいよ血圧が高くなってきた時、カザフスタンの記者が筆者の事情を聞いてくれ、ロシア語で交渉してくれた。しかし、ダメなものはダメだとか。

 どうやら、記者席というのは観客席と同じ入口から入るところにあり、まだオープンしていないので入れないということらしい。筆者が会場に来るのが早すぎたので、その時間はスムーズに入れたようだ。カメラバッグが気になるところ。日本チームについている通訳(きのうのターニャさんとは別)に事情を話すと、ある入口のスタッフに話してくれ、中からチーフらしい人が出てきて、「すぐに戻ってこい」という感じで入れてくれた。ブチ切れて連行されずに済み、ほっと一安心^^

 しかし、この安堵が「しまった」という気持ちに変わるのに時間はかかりませんでした。何とノートとペンをホテルに忘れてきたのです。慣れないカメラマン兼任だから、カメラに関するもの…、レンズ、、ストロボ、充電器、乾電池、外国用コンセント…などを忘れるな、と自分自身に言い聞かせたばかりに、自分の本職の商売道具を忘れてしまったのです! 困ったけど、カメラ道具を忘れるのよりは何とかなる(パソコンは持ってきました^^)。プレスセンターへ行ってペンを借り(たぶん「もらう」になるでしょう)、紙を何枚かもらってしのぐことにしました。でも、恥ずかしい失敗だね。

 試合がスタートしてしばらくすると、観客席がざわつきました。あのアレクサンダー・カレリンの登場です。何と観客席側の入り口からアリーナに入ってきました。私たち記者もその入り口から、入念にIDカードをチェックされてアリーナの一角にある記者席に行くのですが、“KGBガードマン”は、カレリンにはIDカードの提示を求めることもなく、「どうぞ」といった感じでアリーナに入れた。不公平!…なんて思うわけないですよ。カレリン様は別格ですよね。

 カレリンは筆者の顔を覚えていてくれ、会場であいさつするとにっこ笑ってくれるので、今回もあいさつしようと思ったが、ロシアのテレビ局や記者が一斉に取り囲み、インタビューが終わらない。20分、30分…。そのうちに日本選手の試合が続けざまに始まった。ひと段落すると、主賓席の方へ行っていて、あいさつする機会なし。ちょっぴり残念。

 それにしても試合進行が遅れている。午前の部は午後1時には終わるはずなのに、午後3時になってもまだ残っている。さらに、女子51kg級の準決勝、ウクライナ−北朝鮮はチャレンジで20分以上ももめている。ウォーミングアップを完了して出番を待っている甲斐選手とカザフスタンの選手は手持ち無沙汰。いったんは「マットを変更してやる」となって、Bマットへ移動したけど、もめごとがおさまりそうだったので、「やっぱり元のマットで」となって移動。こりゃ、ひどい大会だ。これは運営サイドの問題ではなく、審判の問題だけど。


国際レスリング連盟(FILA)のマルティニティー会長のあいさつ。
ロシア国歌を合唱する中に、本HPの増渕由気子記者のそっくりさんを発見!
いったんはウクライナの勝ちとなりながら、もめる審判団。北朝鮮選手はマットを降りなかった。
 これではホテルへ戻ることができない。やはり3面マットでは無理な規模の大会になっている。午前の部と午後の部の合間が最低でも2時間あれば、クラスノヤルスクの中心部か駅まで行って、極寒の街やシベリア鉄道の一端でも写真撮影しようと考えていたけど、とてもそんな時間はなし。

 セッション間のわずかな時間にロビーの売店でパンを買い、空腹を「しのいで午後のセッションへ。開会式では、この大会の名称ともなっている故イワン・ヤリギン氏(ロシア・レスリング協会の前会長で親日家)の業績を紹介するビデオが延々と流れる。自動車事故死して間もなく13年。それでも、こんなにその業績を称えられるのだから、よほどすごい人だったのでしょうね。ちょっぴり長すぎるとは思ったけど。

 午後10時すぎ、やっと全試合が終了。比較的天気のいい日で、昼間にロビーから見えた外は太陽が見えてもいましたが、この時間の外はマイナス20度を下回っているでしょう。バスに乗り遅れて徒歩で帰ることになっては、凍え死ぬことも予想されるので、すばやく荷物をまとめていると、篠原正樹審判員が「こっちです」と迎えに来てくれた。外へ出ると、確かに寒い! 1分ならいることはできて、2分は厳しい! 3分以上になったら、体が動かなくなるかもしれない。

 ホテルですぐに夕食。こちらのウエイトレスは愛想がなくて困る。愛想がないだけならいいが、例えば「この席にフォークがない」と言ってリクエストすると、露骨に「面倒ね〜〜」といった顔をする。サービス業だろ! やたら「客だ!」と威張り散らすつもりは毛頭ないが、当然のことを言って、何でこんな態度とられなければならないの? 

 11時から執筆し、0時30分に例の喫茶店(午前1時までオープン)から記事をアップ。帰ってきて、24時間営業のスーパー(喫茶店の隣)で勝ったビールを一気に飲み、寝ようと思った時、甲斐選手の国際大会優勝を「初」と書いた間違いに気がつく。去年6月のオーストリア・オープンで優勝していたのでしたよね。喫茶店はもう閉まっているので、「明日直せばいいか」と思ったけど、気になってしまい、携帯電話のローミングという奥の手でアップすることに。

 このやり方、けっこうお金がかかるけど、間違いをそのままにしておくことは、記者として最高に恥ずかしいことなんです。気がつかずに寝てしまえばよかったけど、気がついた以上、寝ることができない^^; 眠たかったけど、やはり訂正することにしました。このあたりも、記者の悲しき性(さが)なんですね。


【1月30日(土)】

 この日も朝6時40分に起き、7時から朝食、7時45分にホテルを出発。組み合わせ表を見ると、女子の4階級の出場選手数がそれほどでもなく、前日ほど時間はかからないことを予感。日本は男子2選手、女子2選手の出場なので(きのうは男子6選手、女子3選手でした)、少しは仕事が楽になりそう。

この日も、まだ暗い朝7時45分にホテルを出発した日本チーム。
“ワダ・スペシャル”を公開した小田裕之選手。感激した!
この日は川の4分の3に氷が張っていたエニセイ川。北極海に続いている。
1階級上に出場した2006年55kg級世界王者のベリコフ(ブルガリア)。あっさり負け、午後は稲葉選手とスパーリング。

 試合が始まると、小田選手が初戦で“ワダ・スペシャル”を披露してびっくり! 最近の選手・ファンに“ワダ・スペシャル”と言ってもピンとこないかもしれないけど、国士舘大の和田貴広コーチ(1995年世界選手権フリースタイル2位)の必殺技で、1996年のアトランタ五輪前にはこれを武器に欧州3大会とアジア選手権を制覇。相手がコロコロとマット上を転がるシーンは(かけた自分も転がりますけど)、見ていて最高に気持ちがいい技なんです。世界チャンピオンだって転がしたんですよ。

 “ワダ・スペシャル”というネーミング、実は私が広げました^^ 当時の機関誌「月刊レスリング」で、最初は「またさきローリング」とか、よく訳の分からない言葉を使っていましたが、国士舘大の朝倉利夫監督が「ワダ・スペシャル」と口にしたのを聞き、そう書いたら、けっこう響きがよくて定着。アトランタ五輪前は多くのマスコミが「ワダ・スペシャル」と書いてくれました。

 国士舘大の滝山将剛部長からは私が名付け親のように言われましたが、本当の意味での名付け親は朝倉監督なんですよね。参考までに、和田コーチのもうひとつのオリジナル技「ワダ・スペシャル96」も、私が名付け親のように言われましたが…。実は、アトランタ五輪に参加したK審判員に「何かいい名前ない?」と聞いた際、彼が当時流行り出したパソコンソフト「Windows94」にならって「ワダ・スペシャル96」と口にしたので、ぱくらせてもらったのです^^; 私って、ぱくりの名人ですね。

 話はそれましたが、2000年シドニー五輪の和田コーチ(当時選手)の最後の試合以来、、シニアの試合でこの技を見たことがありませんでした(キッズの試合では見ました!)。なぜ使い手が出てこないのかな、とは思っていました。「和田コーチのような手足が長い選手じゃなければできない技なのだろう。彼のような体型で、かつ体の柔らかい選手がいないからなあ」とか思っていました。正直なところ、和田コーチとは体型が全く違う小田選手がやるとは思ってもみませんでした。

 固定観念にとらわれてはなりませんね。それにしても感激しました。だって、あの当時、和田選手が“ワダ・スペシャル”で外国選手を転がすのを見るたびに、胸がゾクゾクしたんですから。「もしかしたら組み手が違っていて、“ワダ・スペシャル”ではないかもしれない」と思い、すぐに写真を見ました。間違いなく“ワダ・スペシャル”の組み手でしたよ^^

 結果として和田選手はアトランタ五輪でメダルは取れませんでしたが、「日本レスリング、ここにあり」というイメージを世界に植え付けてくれたことが、同五輪での太田拓弥選手の銅メダル獲得につながったのだと思います。小田選手には、この難易度の高い技をこれからも何度も見せてほしいと思います。それが世界に対する日本レスリングのアピールになると思います。

 午前セッションは2時半近くに終了(それでも予定の1時間半オーバー)。ホテルへ帰って昼食、執筆、喫茶店で記事のアップとこなす。喫茶店ではクラスノヤルスクまで一緒だった(と思われる)アゼルバイジャンの選手がたむろしていた。カメラを持っていたからだろう、「撮ってくれ」とのこと。「仕方ない、撮ってやるか」と思い、撮影し、「送るからメールアドレスを教えて」とジェスチャアで伝えたが。「持っていない」」とのこと。じゃあ、何のために撮ってくれって頼んできたの? どうやって、この写真を渡すの? ポラロイドカメラじゃないんだよ。

喫茶店で記念撮影をせがまれたアゼルバイジャン選手。渡す機会があるか?
かかとの底がはがれたスノーシューズ。パカパカと音がする。
男子の竹内トレーナーと“ロシアの妖精”ナタリア・ゴルツ。
篠原審判員ととモンゴルの女子選手。

 「渡せないよ、ゴメンね」といった感じであいさつして外へ。この日は試しに会場まで歩いてみることにした。前日と同じで太陽(ただし、氷河期の太陽のように、どんよりした雲の中に太陽が見える程度。もっとも、氷河期の太陽を見たことはないけど…)が出ているし、暖かい日なんだと思う。歩いて2分後、カメラバッグから帽子を取り出す。エニセイ川の橋を渡り終わるころ(約7〜8分後)、首巻きを出し、月光仮面のように口とほほを覆う。そうしなければ寒くて仕方ない。新潟生まれの筆者だけど、やはり寒さが違う。吹雪いている日は、この日の比(しゃれているわけじゃありません)じゃないだろう。

 さて山本聖子選手の優勝と小田選手の銀メダル、高塚選手の銅メダルという結果でこの日を終了。ここで筆者のスノーシューズににアクシデント発生! クツ底のかかとがはがれてしまったのです! このままでは、全体がはがれてしまう可能性もあります。やはり長いこと靴箱で眠っていたので、こうなってしまったのでしょう。前回(15年前)のクラスノヤルスクと同じような感じ(その時は、つま先がはがれた)。このクツは、その時にクラスノヤルスクで買い、その後、東京で雪が積もった時、3〜4度しか履いた記憶がありません。履いた回数からすれば10回もないですよ。

 物って、使っていないと、さびれてしまうものなんですね。回数ではないです。家で、タンスや押し入れの中に何年も置いてあるものがあるけど、きっと使えなくなっているでしょう。置物は別にして、そうでないものは、2年も使わなかったら、捨てるべきかもしれませんね。

 それにしても、冬のクラスノヤルスクは靴と相性が悪いようです。明日の早朝に帰るので、買う時間はなし。とりあえず応急処置をして、なんとか東京までもたせたいと思い、スーパーで接着剤でもないかと思って通訳の人に聞いてみる。「調べてみましょう」とのこと。よろしくです。

 試合はきのうよりやや早く終わり、10時前にはホテルで食事スタート。選手はミーティングがあるので、私と篠原審判員が先にレストランへ。すると私たちの席のそばに、あのナタリア・ゴルツ(ロシア)がやってきた(「あの」というのは、説明無用という意味ですよ!)。篠原審判員が2ショット写真を撮りたがっていたので、筆者がシャッターを押す。

 こんなこと書いたら、まずいか? 審判委員会のボスに「何しに行っているんだ! 降格だ!」と怒られるかな? ま、ゴルツに限ってはそんなことないでしょ。それで処分が下るなら、審判委員長も辞任しなければならなくなりますよね^^ それにしても、ゴルツは日本人から人気があることをきちんと知っている。男子の竹内博昭トレーナーも記念写真を頼んだところ、すんなりとOK。場慣れしているといった感じだ。

 私ですか? 私は撮っていません。私には、ウクライナの…。いえ、個人的な話はやめておきましょう^^

 結局、私たちのテーブルにはモンゴルの女子選手が来ました。せっかっくだから、何らかのコミュニケーションをとりたかったが、英語が全然話せない。「アサショウリュウ、ハクホウ、ハルマフジ」と言ったら、彼らの本名を教えてくれたりして、少しは会話ができた。いま、朝青龍が暴力事件で問題になっていること、知っているのかな?

 このあと、通訳の人が私の靴の補修のために強烈な接着剤を買ってきてくれました。見るからに強烈そう。なんとか東京まで持つでしょう。お世話になりました。またクラスノヤルスクに来ることがあったら、必ずお礼のお土産を持ってきますね。



【1月31日(日)】

 約2時間くらい寝て、午前4時前の起床。女子チームは11時ころの飛行機だけど、筆者は6時55分の飛行機でモスクワに戻ります(男子チームは明日)。なぜ女子チームより早い便かといいますと、9月にモスクワで行われる世界選手権の下見をしようと思ったのです。

 4時20分に迎えが来るとのこと。しかし定刻になっても誰も来ず。「少しくらいは遅れるだろう」と思い、最悪でも5時までは待とう、それでも来なかったらタクシーかな、と思い始めた4時半に迎えが来てくれました。ちょっぴり寒い乗用車で30分以上走る。大きな街ではないけど、空港はやけに遠いところにある。飛行機に乗るやいなや、深い睡眠へ。

シェルメンチボ空港まで乗り入れているアエロエクスプレス。
アエロエクスプレスの車内。最初は、ここがビジネスクラスかと思った。
選手宿舎となるコスモス・ホテル。

 モスクワ時間9時半すぎにシェルメンチボ空港に到着。時差が4時間だから、約6時間半、ぐっすり寝ていました。日本からプリントしてきたアエロエクスプレスの時刻表を調べると、10時10分発があって、その次は12時10分。空港で2時間も時間をつぶすのはもったいないので、10時10分を目指すことに。

 すぐに駅行きのシャトルバスがあればいいけど、バスは10時10分発で、これでは乗ることはできない。ならば、来る時とは逆で、駅までの道を歩くことに。ここでもタクシーの客引きがすごい。何とか規制できないものなのだろうか。

 駅には9時55分の到着。時刻を見たら10時発があって、その次は10時半発。やはり時刻というのは、その時、その時でかなり変わっているものだなと実感(インターネットで調べたのは、だれかの旅行記のサイトだったのでした)。

 乗る前に電車の写真を撮ろうとしたら、車掌かだれかが、「ネット(ノー)」と言ってくる。旧ソ連じゃあるまいし、「なぜ?」というゼスチャアをすると、近寄ってきて、「今の写真を見せろ」とのこと。仕方ないから見せて、「問題ないだろ」との意思表示で抗議。

 「消せ」とは言わなかったが、ここでは撮るなという感じ。1枚でも撮れたからいいかと思って車中へ。乗り心地は東京から成田のスカイライナーや成田エクスプレスよるは数段いい。何と車中でインターネットが通じた(ただし帰りのはできませんでした。車両の問題か、座席の場所の問題かは不明)。

 約30分でベロルスカヤ駅へ到着。料金は250ルーブル(約760円)、改札口に一番近い車両のビジネス車は350ルーブル(約1100円)。改札口に人はいないので、キップを買わずとも乗れますが、終点まで停車駅はなく、必ず車内検札が来るようなので、インチキはできないでしょう。

 そこから地下鉄を乗り継いで選手宿舎となるコスモス・ホテルのあるVDNKH駅へ。途中、係員などに地図を示して場所を聞きながら(皆さん、親切でした)、何とか到着。地下鉄は
均一料金で26ルーブル(約80円)。駅の外に出ると、大きなホテルがすぐに見えました。ホームページによると、客室は1777室とのこと。これなら大会の組織委員会がすべて買い占めることはないでしょう。値段も手ごろで、ツイン1泊87ユーロ―(約1万2000円)〜。モスクワの中心部なら最低でも2万円はすることを考えれば、宿舎としては手ごろな値段だ。報道や応援の人にとっても、ちょうどいいホテルかもしれない。

ホテル内のロビー。三ツ星ホテルだが、一流ホテルのムードはあった。
試合会場と思われるアリーナ。

 2階にあった中華料理店で昼食を食べ、お茶しながら記事執筆。最近の日本では、電源の使用を断われることが多いが、ここは何の問題もなく使わせてくれた。残念ながらロビーでは無料インターネットはなし。ビジネスセンターへ行ったら、30分で145ルーブル(約450円)でWi−Fiのカードがあるとのことで、それを買ってつなげた。ホテルのホームページを見ると、室内でインターネット接続をするにも有料となっている。たぶん、このカードを買えということなのだろう。このあたりが取材で泊まる場合のネックになりそう。

 その後、ホテルからタクシーで試合会場へ向かおうと思い、正面玄関に出たが、タクシーはなし。これだけのホテルなら、正面にタクシーがつけてあってもおかしくないが…。ホテルの敷地内を100メートルくらい歩いて大通りに出ると、そこにタクシーが停まっていて、例によって客引きしてくる。今回は、この客引きに乗るしかない。試合会場が予定されている「オリンピック・スポーツ・センター」と言い、その写真を示すと、「700ルーブル(約2200円)」との答え。それを500ルーブル(約1900円)まで下げさせ、10分ちょっとで到着。

 広い! さいたまスーパーアリーナより大きいだろう。全フロアを使うのではなく、中は2つか3つののホールに分けることができ、その1スペースなのだと思う(推測です。あるいは、このあたり一帯はオリンピック公園になっているので、別の建物かもしれない)。そこから最寄りの地下鉄駅「プロスペクト・ミラ」までは徒歩15分以上はかかるので、取材道具を持っての地下鉄利用はちょっと厳しそう。途中にあったデジタルの温度表示は、マイナス6度を示していました。

 何とか下見を終えて、ベロルスカヤ駅16時30分発のシェルメンチボ空港行きのアエロエクスプレスへ乗り込む。乗る前に、車掌に「電車の写真を撮っていいか?」と聞くと、OKとのことで、「何でそんなこと聞くんだ?」との表情。さっきは年配の人だったけど、この時は若い人。年齢の差なのかな?

 17時20分に空港のロビーに到着。ちょうどフライトのチェックインが始まる時間で、女子チームを見つけ出すことができて合流。ちょっと疲れたけど、空港〜市内の鉄道に乗ってみたりで、下見の目的は十分に果たすことができ、“暖かい”東京へ向かいました。(了)

空港駅からターミナルFへの道は、まだ工事中で、メーンゲートは閉鎖中。左の工事用の出入り口を通って空港へ。 純日本女性の甲斐選手は、空港のカウンターバーでも正座して食事。 最年長の山本聖子選手が優勝賞金で化粧品をチームメートにプレゼント(新海選手が写っていませんが、もらってます)

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