【特集】古豪復活の期待を受け、全日本チームで奮戦!…男子グレコローマン84kg級・天野雅之(中大)【2010年2月16日】

(文=樋口郁夫)



 日本レスリング界が生んだ男子のオリンピック金メダリスト19人(のべ20人)を大学・チーム別に分けた場合、最も多くの金メダリストを輩出しているチームはどこでしょう…。

 正解は「中央大学」。1952年ヘルシンキ五輪で、あらゆる競技を通じて戦後初の金メダルを取った石井庄八をはじめ、笹原正三、池田三男、渡辺長武、中田茂男と、5人の五輪金メダリストがいる(他は、日大と日体大が各3人、明大と専大が各2人、国士舘大、早大〜米オクラホマ州立大、関大、自衛隊が各1人=大卒で自衛隊に進んだ選手は2人)。

 しかし1972年ミュンヘン五輪の鎌田誠と鶴田友美を最後に、五輪代表選手が途絶えてしまった。世界選手権の出場も、1975年に鎌田誠が出場したあと、2003年に諏訪間幸平が出るまで空白となり、諏訪間以降で出場した選手はいない。

■全日本チームの米国遠征に抜てきされ、気持ちは上向き

 そんな古豪から、全日本王者、そして2012年ロンドン五輪出場を目指し、全日本チームで汗を流す選手がいる。昨年9月の新潟国体と10月の全日本大学グレコローマン選手権の84kg級で優勝した天野雅之(現3年生=左写真、右下写真は全日本大学グレコ選手権=増渕由気子撮影)。2008年の世界ジュニア選手権に出場して5位に入賞。中大から久々に出た世界を目指せる逸材であり、時に全日本チームの合宿にも参加して力をつけた成長株だ。

 12月の天皇杯全日本選手権は斎川哲克(両毛ヤクルト販売)に敗れての3位だったが、将来性をかわれて1月下旬の米国遠征に抜てきされた。身長182cmの恵まれた体は、パワーがしっかりとつけば、外国選手と闘う時にもそん色はないはず。

 「全日本3位では遠征に呼ばれる立場ではないと思う。見込んでくれたコーチ陣に感謝するとともに、このチャンスを生かさなければならないと思った」と天野。米国では、合宿、団体戦「キット・カールソン・カップ」出場、デーブ・シュルツ記念国際大会出場と、数多くの練習と試合をこなすことができ、「これまでと違った気持ちで全日本チームに出ています」と、気持ちは盛り上がっている。

■今年は、中大の主将としてフリースタイルにも積極的に出場

 当面の敵は全日本王者の斎川であり、新潟国体では勝っているが全日本選手権では自分より上の2位に入った伊藤諒(自衛隊)。斎川には「体力、精神力、技術、練習量のすべてで劣っている」と、はっきりした実力差を感じている。身長が自分より9cm低い伊藤には「スタンドで下から攻めてくる圧力で劣る」と、まだ追い越したとは思っていない。しかし、「差があるからこそ、必死になって頑張れる。全日本3位で満足する気はない」と話し、追い越す気持ちは十分だ。

 もっとも、「国内で勝つことが目標ではありません」と、きっぱり言う。佐藤満強化委員長(専大教)が、ことあるごとに「世界で勝つための全日本チームだ」と言っているが、「いつの間にか、そう考えるようになっています」と話し、佐藤イズムに“洗脳”されて世界を目指す気持ちは十分。2007年の全日本選手権では、全日本チームを引っ張っていた松本慎吾・現全日本コーチと闘っているが、「(松本が引退する前に)闘えてよかった。世界トップの実力を体で経験できましたから」と振り返る。こうした言葉が出てくることが、視線が世界のトップに向いていることの何よりの証明だ。

 それゆえ、全日本大学グレコローマン選手権での優勝など“遠い過去のこと”。最終学年となる今年は、学生・大学王者などは目標でも何でもない。「当然取るもの」と言い切り、気持ちは日本代表の奪取に燃えている。一方で、「育ててくれたチームに恩返しをしたい」と、中大の新主将としてリーグ戦などのフリースタイルの試合にも積極的に出て中大復活へ向けての努力もするという。

 斎川や伊藤がグレコローマンに専念するだけに、そのあたりが気になるところだが、「松本(慎吾)さんも斎川さんも、学生時代はフリースタイルもやって優勝し、その中から強くなっています」と言う。中大の看板を背負っての闘いに挑むことは、実力アップのプラスにこそなれ、大きなマイナスになることはないだろう(左写真:全日本選手権で3位へ、右から2人目=矢吹建夫撮影)

■74kg級大学王者の中井伸一とともに古豪復活へばく進!

 中学時代までは野球の選手で、福岡・東福岡高に進んでからレスリングを始めた選手だ。キッズ時代からレスリングに取り組んだ選手が主流となっている現在の高校レスリング界では、高校入学後にレスリングを始めた選手では追いつくことは難しいと言われている。天野も「最初はきつくて嫌だった」と振り返る。

 しかし、「ある一線を越えると、レスリングの楽しさが分かってきた」と打ち込むことができた。恩師の山崎哲也監督が「あまりぎゅうぎゅうに押し込まず、きつさの中にも楽しさが見えてくるような練習をさせる人だったので、自分に合っていたと思う」とも言う。3年生のインターハイではベスト8へ。国体では2位に入賞し、健闘した高校時代だった。

 2年生の最後の頃には、いくつかの大学から声をかけられていたというが、「まだ実績になかったし、大学へ行ってまでやろうとは考えていませんでした」。それでも3年生のインターハイでベスト8などの成績を残すと、「大学でも続けよう」という気持ちへ。

 誘いがあった大学の中から、最初に声をかけてくれたことと、将来は警察官になりたい希望があり、法学部の枠を用意してくれた中大を選んだ。1988年生まれの天野は、中大の全盛期は全く知らないが、それなりの知識はあった。入ってみて、その伝統のすごさにさらに驚いたという。

 高校時代に全国王者のない選手が、“レスリング王国日本”を支えていた古豪の復活の期待を一身に背負って全日本チームで汗を流すのだから、高校時代の成績というのは、ひとつの目安にこそなれ、すべてではない。もちろん天野一人がすべてを託されては荷が重い。幸い、74kg級には全日本大学グレコローマン選手権で優勝し、今月21日からの学生選抜チームのブルガリア遠征にも選ばれた同期の中井伸一がいる。「2人で頑張って、中大を盛り上げたい」と口にし、古豪復活へ燃えている(右写真=全日本重量級合宿で北京五輪96kg級代表の加藤賢三と練習する天野)

 1989年の東日本学生リーグ戦で2位に入ったり、2003年の全日本大学グレコローマン選手権で2人の優勝選手を輩出するなど、何度か「中大復活か?」という状況はあった。残念ながら、それらが世界へ向けて結実することはなかった。今度こそ、その可能性が高まる。古豪・中大が一丸となって燃えるべき時だ!


iモード=前ページへ戻る
ニュース一覧へ戻る トップページへ戻る