▲一覧ページへ戻る

【特集】同姓の先輩を見習い、エースに挑むたたき上げ選手…男子グレコローマン55kg級・清水早伸(自衛隊)【2010年3月5日】

(文=樋口郁夫)  
 

 男子グレコローマン66kg級で全日本王者に輝いた清水博之(自衛隊)は、高校時代に何の実績もないところからはい上がり、日本一の栄冠を獲得した選手。努力で栄冠をつかみとったサクセス・ストーリーは賞賛すべき快挙だ。自衛隊にはもう一人、同じような境遇から栄冠を目指す「清水」がいる。

 男子グレコローマン55kg級の清水早伸(はやのぶ=
右写真)。高校時代に全国王者がなく、半年間にわたる新人自衛官の集合教育を経由しての体育学校レスリング班入りは、清水博と同じコース。清水博が滋賀・日野高時代に全国大会ベスト8が最高だったのに対し、こちらの清水は岐阜・岐南工高時代にフリースタイルで国体2位の成績がある。その分、清水博以上の場所へ行ける可能性があることになる。

■2009年に社会人2大会と“ニューヨーク”を制覇!

 昨年12月の天皇杯全日本選手権では、初戦で優勝した長谷川恒平(福一漁業)に惜敗しての初戦敗退だった。それでも、将来性を買われ、先月25日からの全日本チームのハンガリー遠征に抜てきされた。現在、グレコローマンの本場で欧州選手相手に練習を積んでおり、今週末の「ハンガリー・グランプリ」に挑む。

 「海外遠征は3度目(過去は2008年アジア・ジュニア選手権=5位、2009年NYAホリデー国際大会=優勝)。積み重ねてきたものが徐々に出せるようになったので、今回の大会が楽しみです。ゴールデン・グランプリ予選ですし、こうした中で自分の力をアピールし、(全日本のトップに)切り込んでいきたい」。初の全日本遠征参加の不安や緊張よりも、「やってやる」という気持ちの方が強そう。同姓の先輩を手本に、日本一、そして世界一がしっかり目に映っている。

 昨年の成長は目覚ましいものがあった。7月の全日本社会人選手権で優勝。社会人選抜チームに選ばれ、11月のNYACホリデー国際大会(米国)で米国選手と韓国2選手を破って優勝。帰国直後に行われた全国社会人オープン選手権でも、疲れをものともせずに優勝し、最優秀選手に贈られるJOC杯を受賞した
(左写真=決勝で闘う清水)

 国際大会を含む3大会連続優勝が飛躍の大きなパワーだったと思われるが、清水はNYACオープン大会の前に行われた地元チームとの練習試合に出場し、米国の北京五輪代表のスペンサー・マンゴに敗れた前後に自衛隊の伊藤広道監督から受けたアドバイスが大きな要因だったと振り返る。「アドバイスを守って闘ったら、いい形ができた」そうで、そのことが大会で優勝につながったという。

 優勝すれば、自信につながるのは言うまでもない。帰国直後の全国社会人オープン選手権は「勝って当然」という気持ちで臨めた。こうした気持ちを持ってマットに立てれば、成長も早い。

■初の欧州遠征でロシア・ヨーロッパのレスリングを学ぶ

 その後の天皇杯全日本選手権では、アジア王者の長谷川に実力の差を見せられてしまったものの、スコアは1−0,0−1,0−1と善戦。「長谷川選手は一本背負いがうまいので、それを警戒して闘った。(一本背負いを受けなかったので)いい内容だったと思う」と振り返る。第1ピリオドを取ったのは、自らの技でポイントを取ったのではなく、グラウンドの防御を守り切ったものだが、あの長谷川のガッツレンチを耐えられたことは自信になった(右写真:長谷川を追い込んだ清水=青)

 合宿で長谷川と練習する時には、まだまだ実力差を感じるが、「試合では、どんな強い選手でも緊張する。減量の問題もある。対して、下の選手は『負けて元々』という気持ちでぶつかっていく(から勝敗は分からない)」と、長谷川との一戦で絶対に勝つつもりでぶつかっていくことの重要性を感じた。自らは減量が3kg前後しかなく、試合では有利だとも分析している。これらの経験が次の闘いで生かされるか。

 全日本チーム抜てきの大きな要因は、3大会連続優勝以上に長谷川への善戦だろう。「認めてもらえたのはうれしい。期待にこたえなければ、という気持ちです」と言う。前述の通り、試合では実力が下の選手が勝つこともあるが、やはり地力をつけなければ世界では勝ち抜けない。ハンガリー遠征では「ヨーロッパやロシアのレスリングを知りたい。まだアメリカとアジアのレスリングしか知りませんから」と、もらったチャンスで確固たる基盤づくりを目指す。「ハンガリー・カップ」で、その成果の一端でも発揮したいところだ。

■順調だった1年目と2年目。今年は最大の難関に挑む3年目

 高校時代には全国王者になることができなかった。家庭の事情で大学進学は考えていなかったが、藤田隆康監督の「自衛隊でレスリングができる。給料をもらいながらレスリングが続けられる」というアドバイスを受け、卒業後も挑戦する気持ちになった。その際、「おまえはグレコローマン向きだ」と指摘してくれ、グレコローマンにかける気持ちになったという。

 実績がないので、いきなりのレスリング班ではなく、半年間は一般自衛官としての教育が待っていた。自衛官としての体力トレーニングはあったが、レスリングに直接つながるトレーニングではない。そこで、自由時間に部屋でレスリング流の筋力トレーニングをやるような毎日。「もどかしかったですね。半年ぶりにマットに戻ると、衰えていたのが分かりました」と言う。

 しかし、教育のおかげで全体的な体力は落ちておらず、「一気に取り返しました」。やっと好きなことができるという気持ちの問題もあったのだろう。翌2008年4月、JOC杯ジュニアオリンピックで3位に入賞し、上の選手が辞退したことでアジア・ジュニア選手権の代表へ。同年の全国社会人オープン選手権で初の優勝を経験し、2009年の飛躍へつなげていった。

 「自衛隊に入るに際し、自分なりの目標を立てていました。1年目は社会人の大会で優勝すること。2年目はニューヨークの大会で優勝すること。3年目は全日本選手権で優勝すること。1年目、2年目は予定通り達成できました。3年目が一番大きな難関ですが、順調にきたので、何としてもかなえたい目標です」
(左写真=全日本合宿で長谷川と練習する清水)

 現在のこの階級は、長谷川が大きくリードし、その後を峯村亮(神奈川大職)と平尾清晴(新潟県協会)が追っている状況と見ている。長谷川の背中はまだ遠いが、「2人(峯村、平尾)の背中は見えてきました」ときっぱり。「ここまできたら日本代表を目指します。一度切りの人生なので、大きな夢をかなえたい。気持ちよくレスリングを終わるためにも、今は、もがいて、もがいて、くらいついていきたい」。

 伸び盛りの21歳。グレコローマンのエースに成長した長谷川も、安閑としてはいられない。


  ▲一覧ページへ戻る