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湯元健一(ALSOK綜合警備保障)が金メダルを持って帰国【2010年3月16日】

(文・撮影=増渕由気子)
 

 ベラルーシに遠征していた男子フリースタイルの全日本チームが3月15日、成田着のアエロフロート航空で帰国した(右写真)。遠征中に参加していた「メドベジ国際大会」の60kg級で優勝した湯元健一(ALSOK綜合警備保障)らが元気な顔を見せた。

  田南部力監督(警視庁)は「ヨーロッパのレスリングを吸収できて、みんな力を出し切れた。今の時点ではよくやったと思う。1月末のヤギリン国際大会で2位になった小田(裕之=国士舘大、60kg級)は、他国にも存在が知れ渡っていた」と、充実した遠征であったことを報告したが、試合については「金メダル1つですみません」と、3人が3位決定戦で敗れたことは申し訳なさそうに話した。「オレよりも3決で負けた本人が一番悔しいはずだから」、と選手たちの今後の奮起に期待した。

■湯元が北京五輪銅メダル以来のメダル獲得

 湯元は北京五輪で銅メダルを獲得して以来の国際大会でのメダルを獲得した後、休養も兼ねたケガの治療で1年間以上、戦列を離れた。本格的な復帰戦となった昨年12月の全日本選手権では小田に敗れて3位に終わったが、本格的なシーズンインを目の前に、ギアを入れ替えてきた。「この冬は、北京五輪以来の海外遠征で、海外での試合感覚などを取り戻せた」と湯元。ナショナルチーム選手としての勘も戻ってきた。

 冬の遠征2度目の国際試合で優勝を飾れたのは、全日本選手権での敗北、2月のデーブシュルツ国際大会で表彰台を逃した反省をしっかりと調整できたことだ。2回戦で日本人対決となった小田には、第2ピリオドで不利な体勢からのクリンチを切ってものにし、リベンジ達成。決勝では米国遠征で不調だった片足タックルで勝負を決めた。

 「片足タックルの調子が悪く、米国では何度も返されてしまい、入ることを止めようかと思ったくらい」と、十八番である片足タックルが鬼門だったことを吐露した。だが、今回の遠征で「タックルに入ったとき、頭が上がっていた」と欠点を修正。さらに、返される恐怖心も乗り越えたようだ。

  「今大会の勝ちで、ホッとしていることは、これでやっと会社にいい報告ができることです」。09年4月にALSOK綜合警備保障に入社したが、直後の全日本選抜選手権はけがで欠場。9月の新潟国体は和歌山県代表としての優勝であり、12月の全日本では優勝を逃した。

 湯元はカムバックできるのか―。「父親や弟に心配されたりもした」(湯元)と周囲は心配の目で見ていたが、その不安を吹き飛ばす快勝だ。「徐々に感覚は戻ってきている」。北京五輪銅メダリストの湯元が日本代表としての存在感をアピールした遠征となった。


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