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【特集】“レスリング・ラブ”の気持ちを持ち続け、古巣へ戻ってきた焼津ジュニア・堀江愛子コーチ【2010年10月日】

(文=樋口郁夫)



 589選手が参加した押立杯関西少年少女選手権。1985年創立と老舗(しにせ)の部類に入る焼津ジュニアの低学年選手の試合に、ひと際目立った女性セコンドの姿が。小学生時代に同クラブでレスリングをやっていた堀江愛子コーチ(右写真)。5年前くらいにコーチに就任。女性特有の優しさで選手をまとめている。

 愛知県の大学、会社を経て地元へ戻ってきた時、声をかけられた。「チビッ子時代にしかやっていませんけど、今の自分があるのはレスリングのおかげ。若いコーチがいないということでして、チームに貢献できればなあ、と思って引き受けました」。

■大切なことは、「レスリングが楽しいと思えるような指導」

 コーチになって最初に感じたことは、自分のやっていた時代より高いレベルでやっており、いろんな技が展開されていること。「指導できる技が少ないわけですから、自分自身も勉強の連続です」という。それでも、子供が好きだということもあり、大変な中にもやりがいを感じている。審判の資格も取った。選手の指導には絶対に必要だと思ったからで、「とにかくチームに貢献したいですね」という。

 指導で大切なことは「レスリングが楽しい、と思えるような指導をすること。礼儀や感謝する気持ちを忘れさせず、常に目標を持ってレスリングに打ち込めるようにすること」と言う。また、負けた選手をしかることのないようにしている。「頑張ったのに、それをダメだと言われたら、選手は行き場がなくなります」。

 もし途中で試合をあきらめたり、やる気のないファイトをした場合は? 「何らかの気持ちがあって。そうなったのでしょうから…。他のコーチが厳しいので、私はしからないようにしているんです。『それじゃあダメだ』とも言われますけど、性格的に厳しく怒ることができないんです」(左写真=試合に負けた選手を励ます堀江コーチ)

 厳しいだけなら、選手はますます落ち込むだろう。レスリングが嫌いになる場合もある。優しく包み込む中で励ます指導も必要。「選手をつぶさないようにメンタル的な部分を見てあげ、そのうえで厳しくしていけばいいんじゃないですか」と言う。キッズ・レスリングには、このバランスが必要なことは言うまでもない。

■中京女大(現至学館大)でレスリングをすることはなかったが…

 レスリングができる環境にないこともあり、中学時代は卓球、高校時代は特にスポーツをやっていなかった。それでも、レスリングが好きという気持ちはずっと持っていた。

 進んだ大学(短大)は中京女大(現至学館大)。入学前年に坂本日登美(現自衛隊)が世界V2を達成し、“世界最強のレスリング軍団”の道を歩み始めていた。昔を思い出し、体験入部という形で1ヶ月ほどレスリング部にお世話になった。「レスリングが好きでしたから」。2004年アテネ・2008年北京両五輪代表の伊調千春選手やプロレスへ行った石井千恵選手と同じ年代で、チームの遠征にも同行したという。

 しかし中高時代にレスリングから離れていた人間にとっては、ちょっと敷居が高すぎた。「レスリングが好きだったけど、気持ち的に世界一を目指すチームには入れませんでした」。残念ながらレスリング復帰はならなかった。体操部で2年間を燃えて卒業、名古屋市の会社に2年間勤務したあと、焼津市の施設のインストラクターとして地元へ。そこでやっとレスリングに携われる生活を取り戻した。

 「選手は、『レスリングが好きだ』という気持ちを忘れず、一歩ずつレベルアップして上を目指してほしいですね」。“レスリング・ラブ”の気持ちを持ってマットに戻ってきた堀江コーチの指導は、レスリングに打ち込み、愛する少年少女選手を増やしていくことだろう
(右写真=焼津ジュニアの選手たち)

 クラブは違うが、焼津市は北京五輪で銀メダルを取った松永共広選手の出身地(焼津リトルファイターズ出身=フリースタイル55kg級)。2012年ロンドン五輪にも、長谷川恒平選手(同=グレコローマン55kg級)の出場に期待がかかり、レスリング熱は高まっている。焼津市、さらには静岡県のキッズ・レスリングのさらなる発展が期待される。



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