▲一覧ページへ戻る

 

【特集】“三本の矢”で完全復活を−。日体大が公式戦に復帰【2010年10月21日】

(文=増渕由気子)



 2010年10月14日。日本レスリング界の雄、日体大が全日本大学グレコローマン選手権(東京・駒沢体育館)に復帰参戦した。昨年9月に部員の不祥事が発覚し、無期限活動禁止の処分を受けた。今年4月からは、チーム練習は認められたものの、対外活動は9月27日まで禁止されていた。

 ついにこの日がやってきた。駒沢体育館には日体大の部旗が掲げられ、その上の応援席にはレギュラー以外の学生が整列。日体大のシングレットをまとったレギュラー選手がマットに上がるたびに、息の合った応援を繰り広げた
(右写真=駒沢体育館に戻ってきた風景)。今年の春には新入生が20名ほどが入部。約70名の現役部員が一つになった応援は、体育館の中でひときわ目立つ存在だった。

 同大会で今季二冠目を達成した拓大も部員は30名ほど。須藤元気監督も「日体大がいるといいですね」とライバルの復帰に言及。他大学の選手たちも、「日体大がいてこそ、本当の全日本学生の大会です」と口をそろえた。戻ってきた日体大の存在は大きかった。

■1年間の対外活動停止中、選手を支えたのは、事件後に発足した「桜輝会」

 セコンドには松本慎吾・新監督が座り、後方には池松和彦コーチが厳しい目で試合を見守る。2004年アテネ&2008年北京両五輪代表コンビの姿は存在感たっぷり。選手のシングレットもリニューアルされ、すべてが新しかった。

 結果は、「絶対優勝」と臨んだ74kg級の渡部友章グレコローマン主将が銀メダルで終わるなど、優勝はなし。1年間実戦から遠のいたことが影響してしまったようで、「団体優勝しかない」と宣言していた松本監督は、試合後は言葉少な。この悔しさをバネに、11月11〜12日の全日本大学選手権で巻き返しをはかることになった
(左写真=松本監督と惜しくも決勝で敗れた渡部主将)

 選手、監督たちは唇をかみ締めた大会になったが、観客席には募る思いで学生達を見つめる保護者たちの姿があった。「桜輝会」、つまり父母会の人達だ。山名隆貴総合主将の父である岳彦氏が会長となり、昨年の事件後に発足した。大会当日は会長の妻である里美さんが会旗と日体大の大学旗を掲げた。

 里美さんは発足の理由を、「事件があって、子供たちを私達も見守ろうと思ったんです。親ができることはないだろうかと考えました」と話す。月に1度ほどの会合、さらに手紙などのやりとりを行った。部員を80名ほど抱えてきた部だが、意外にも“父母会”なるものは存在しなかったという。そのため、父母が一堂に顔を合わせる機会は4年間で1度もなく、応援にきても親同士の交流はほとんどなかったそうだ。

 事件は一人の部員による単独犯行だった。事件直後、部は無期限の活動停止となり、その後の正式処分をめぐっては、賛否両論の意見が交わされた。連帯責任ありとみて「廃部」という案が挙がれば、一方で「事件に無関係の部員まで罰を下すのは処分が重過ぎる」といった意見も。「1年間の活動停止」と正式処分が下りたのは、今年の3月。それまで、部員たちは解除の時期が見えない“闇の中”を余儀なくされた。

心配されたのは、残された部員たちのメンタル面。その一番の特効薬は親達の励ましだった。

■事件を機に、選手と父母会に強い連帯感

 山名主将は「部が活動停止になって最初は落ち込んだけど、父母会の食事会で励ましてもらえ、支えられました」と振り返る。その交流のおかげで、学生と父母会同士も強い連帯感が生まれた。その連帯感は、今大会の応援にも表れている
(右写真=新たにスタートした日体大父母会の会旗)

 大会初日、父母会応援席のど真ん中に座ったのは、斎川哲克、松本隆太郎・篤史、前田翔吾らOBの保護者たち。前田選手の母・寿美枝さんは「日体大の部員は多いので、部員の名前と顔が一致しなかったんです。応援も基本的に自分の子供だけ。でも、父母会を作って学生と交流を重ねるうちに、ひとつの家族のようになりました。今では、全員が自分の子供のようです」と熱弁。今回、1年ぶりに“自分の子供”が出場する大会を見届けようと、名古屋から応援に駆けつけた。

 学生、指導者、そして父母達が“三本の矢”となり再始動した日体大。復活の第一歩を、2010年10月14日、確かに刻み込んだ。



  ▲一覧ページへ戻る