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【特集】最後の年に花開いた高校五冠王者…男子グレコローマン55kg級・梶雅晴(山梨学院大)【2010年8月28日】

(文=増渕由気子)



 全日本学生選手権(インカレ)の男子グレコローマン55s級は、山梨学院大の梶雅晴(左写真)が初優勝を遂げた。決勝の相手は、1年生ながら勝ち上がってきた青木成樹(青山学院大)。今年のJOC杯ジュニアオリンピックカップで優勝している若手のホープだ。

 第1ピリオドは青木の得意のディフェンスに阻まれて得点できずに落としたが、第2ピリオドはスタンドで翻ろうし、グラウンドではリフト技を連発。第3ピリオドもグラウンドに持ち込んで、豪快なリフトで優勝をさらった。梶は大きくガッツポーズしたが、どこか安堵といった表情。優勝後の開口一番には、「(優勝までの道のりが)遠かったです」と本音を吐露した。

■2006年の高校五冠王者! 大学進学後につまずく

 それもそのはず、4回目の出場となった最後のインカレで初優勝を飾った梶だが、高校時代の経歴を考えると、もっと早くに花咲いてもいい存在だった。兵庫・育英高3年生の時(2006年)は50s級で活躍。全国高校選抜大会、JOC杯カデット、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体で優勝し、高校五冠王者に君臨。鳴り物入りで、都内の大学に入学し、入学直後のJOC杯で優勝。50s級で世界ジュニア選手権代表にもなっている。

 順調に見えた大学生活。だが、自身との考えが合わず、大学1年の半ばで中退。地元に戻り、育英高に出入りしていたものの、本格的な練習から遠ざかっていた。「きっぱりと辞めようかな…。半年間休んで戻れるような甘いところではないし」。地元でくすぶっている梶に手を差し伸べてくれたのは高校の恩師・井上雅晴監督だった。「山梨学院大へ行ってレスリングを続けてみないか」。

 梶は「もう一度やってみよう」と決心し、山梨学院大に再入学。高校五冠王が示すように、両スタイルともに得意だった梶が選んだのはグレコローマンだった。ちょうど一つ上には倉本一真(現自衛隊)がおり、質の高い練習が積めた。

 梶は「一真さんにグレコは教えてもらいました。組み手やリフトもうまくて、一真さんのようなレスリングがやりたくなったんです」とグレコローマンに没頭し始めた。得意技は、スタンドからの攻撃だった。スタンドでは、フリースタイルの全日本トップ選手からもポイントを奪えるほど。そのスタイルから、現在は「グラウンドのリフト技」が梶の十八番だ
(右写真=優勝を決め。ガッツポーズの梶)

■全身関節弛緩症との闘いを経て、やっとつかんだ栄光

 マットに戻ることはできたが、梶への“逆風”は吹き続けていた。全身関節弛緩症に悩まされて、ひどいときは、かばんひとつ持っただけで肩が抜けてしまう状態。試合にはいつも、おびただしいテーピングを巻いて出場していた。「けがで苦しんだ時期でした」と、リハビリでひたすらインターマッスルを鍛えるなど努力を重ねた。

 昨年のインカレでは、梶にポイントが入ったのち、その後取り消されてしまうなど、不完全燃焼の試合が続いた。「審判は絶対だけど、審判にすごく怒っている自分がいたんですよ。なぜ、今の反則は取ってくれないのか、なぜ、今のはポイントではないのか。そう考えているうちに、試合が終わって負けているんです」。後輩からも「冷静で怒らなければ、梶さんはチャンピオンになれますから」と声をかけられるほど、いかに平常心で闘えるかが、梶の課題だった。

 それでも、カッとなって、「もう、辞めてやる!」と口走ることもあったが、2度目のチャンスをくれた山梨学院大のことを思うと、「次、勝って恩返ししよう」と自然と怒りは収まった。今回は、常に冷静に試合をこなせたという。

 2度目の大学入学、けがに悩まされた日々…。高校時代の五冠王の輝かしい成績に比べたら、トントン拍子には行かなかった大学時代。それでも、最後のインカレで花をさかせた。次の目標は「大学グレコ選手権と内閣(フリー)で優勝です。これ、ボリス先輩(昨年まで山梨学院大に在籍したロシア出身の120kg級の選手)との約束なんです」。きっぱりと三冠王を宣言した。



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