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【特集】学校対抗優勝の霞ヶ浦から、3選手が個人優勝! いずれ通算10戦10勝【2010年8月8日】

(文・撮影=池田安佑美)
 


 沖縄インターハイの学校対抗戦で3連覇を達成した霞ヶ浦(茨城)は、個人戦でも74s級の坂本悠太、84s級の松野裕也、120s級の前川勝利が優勝した。昨年は、圧勝で学校対抗戦を制したものの、その後の個人戦は優勝なしと、意外な結果に終わっていた。

 「同じ轍(てつ)は踏まない」と、今年は個人戦でも霞ヶ浦の意地を見せ付けた
(右写真=学校対抗と個人戦3階級で栄冠を取らせ、胴上げされる大沢友博監督)

 「個人MVPをあげたかった」−−。84kg級で優勝した松野裕也(茨城・霞ヶ浦)に対して、霞ヶ浦高の大沢監督がこうつぶやいた。松野は学校対抗戦、個人戦と続いた厳しい闘いに競り勝ち、4日間通して10戦10勝。学校対抗戦では、チームの優勝を決める白星。個人戦の決勝では、残り30秒で0−3とリードされていた場面から4−3と逆転して劇的な優勝を遂げた。

 身長170cmで84kg級。対戦相手は、いつも10cm以上大きい相手ばかりだ。春の全国高校選抜大会で王者になり、「守られている」と感じるなど、ライバルたちからの執拗な研究もされてきた。このままでは春夏連覇は厳しいと察した大沢監督は「タックルもやらないといけない」と指導。半年間で“飛び道具”の練習もかなり積んできた。

■強すぎる霞ヶ浦の盲点! 重量級に勝負が回らず、松野は“経験不足”

 準備は万全のはずだったが、沖縄インターハイの立ち上がりは最悪だった。団体戦の初戦、八幡浜工(愛媛)の二宮龍悟に第1ピリオドを奪われた。第2ピリオドでフォールしたものの、大沢監督から「情けない」ときついお灸をすえられた。精神的に落ち込み、気持ちが切り替えられないまま臨んだ二日目。松野に、さらにピンチが襲った。

 秋田商との決勝戦。秋田商が先に3勝を挙げて、チームスコア2−3の状況で84kg級の松野に回ってきた。松野が負けたらチーム4敗目。つまり、霞ヶ浦の敗戦が決まる。秋田商は120kg級が負傷で欠場。事実上、チームスコア3−3であり、松野が“大将戦”となった。

 この大一番で、松野の頭は真っ白だった。「(チームの勝敗を決める)勝負が回ってきたのは初めての経験」。常勝チームの霞ヶ浦は、84kg級までにチームの勝利は決まらなかったのは、2年前の決勝戦以来のこと。

 第3ピリオドにもつれた勝負は、最後に松野のタックルが2度決まって2−1で勝利。個人戦の決勝も、執念のタックルが残り20秒で決まった。半年間、インターハイで勝つために取り組んだタックルが、団体、個人ともに松野に勝利をもたらしたようだ
(左写真=学校対抗、個人戦ともに意地を見せて白星を続けた松野)

 号泣し、大沢監督の元へかけよると、大沢監督は「よくやったな」と笑顔。厳しい闘いを制した松野の嬉し涙は、しばらくの間止まらなかった。

■学校対抗戦MVPの坂本は、ケガを乗り越えての優勝

 一方、霞ヶ浦のハッスルボーイ、74kg級の坂本悠太に、いつもの元気は見られなかった。豪快なタックル、強烈ないなしが見られず、1−0というスコアが多かった。試合後、「実は左手首をけがしていて、力が入らなかった」と、片手一本で闘っていたことを明かした。

 加えて減量苦も。森下敏清代行コーチが「今大会、一番の悩みは坂本の体重だった」と話すように、個人戦の計量はギリギリでパスだった。それでも優勝したのは、王者の意地。「もう誰にも負けたくないから」と坂本。10月の千葉国体では、夢だった高校三冠王をもぎ取れるか。

 120s級の前川勝利は、7月下旬の世界ジュニア選手権(ハンガリー)に出場するハードスケジュールを乗り越えての優勝だった。「油断してしまった」と、試合内容に不満な部分があるものの、JOC杯ジュニアオリンピックを含めて高校五冠王への夢をつないだ
(右写真=左が坂本、右が前川)

 高校生に敵なしの前川の次の目標は「12月の天皇杯(全日本選手権)で決勝に行くこと。(高校2年生で2位になった)荒木田先輩(進謙=当時青森・光星学院)に追いつきたい」と話した。



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