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【特集】瀬戸際に追い詰められるも、王者の意地で3連覇達成…茨城・霞ヶ浦【2010年8月4日】

(文・撮影=池田安佑美)
 


 全国高校総体(インターハイ)学校対抗戦は、霞ヶ浦(茨城)が3年連続の21度目の優勝を遂げた。決勝戦は、霞ヶ浦としては久々に大将戦までもつれる激戦。チームスコア1−3の瀬戸際から、最後は王者の意地を見せて霞ヶ浦が薄氷の勝利を手に入れた(左写真=84kg級の松野が勝って霞ヶ浦の優勝が決定。ガッツポーズを見せた)

 昨年と一番違ったのは軽量級の力。50s級と55s級は個人戦で県予選を突破できなかった現実があり、強すぎた昨年とどうしても比べられてしまう。「霞ヶ浦に勝つなら今年」と、各チームが“打倒霞ヶ浦”を合言葉にしているのが明白だった。

 それに加えて、柱の重量級にはアクシデントが多発し、年間を通して戦力ダウンの状態が続いた。1月の関東高校選抜大会は、120s級の前川勝利が腹膜炎で離脱状態。完全復活は4月にずれ込んだ。6月には74s級の坂本悠太がケガで離脱。ともに、昨年の国体王者であり、大沢友博監督は「この状況では優勝は厳しい」と、インターハイへ向けての意気込みは慎重だった。

■66kg級までの4階級で、1勝3敗の絶体絶命!

 決勝戦の相手は秋田商(秋田)。3月の全国高校選抜大会(センバツ)の準決勝に続いての対戦で、その時は5−2で霞ヶ浦が勝っていた。だが、今回はここ数年で一番厳しい闘いだった。50s級の小宮佑介、55s級の朝比奈健人が敗れて2連敗。60s級の古谷和樹が豪快な水車落としを決めてチームスコア1−2としたが、66kg級の井出倫太郎がセンバツに続いて秋田商の主将・松田健悟にストレートで敗退。秋田商に“王手”をかけられてしまった。

 74s級の坂本悠太は、4日から始まる個人戦の減量との闘いもあり、コンディションはよくなかった。第1ピリオドはクリンチにもつれる部分もあったが、それでも勝ち、霞ヶ浦は2勝目を挙げて松野につなげた。“全国センバツ王者”松野の登場に、「霞ヶ浦優勝決定か」と思われたが、それは違った。センバツの学校対抗戦で、松野は柔道あがりの桜庭正義に1ピリオド1分9秒、豪快な投げ技からフォール負けを喫していたのだ。

 案の定、桜庭の投げが松野を苦しめた。第1ピリオドは3点技を2度受けてテクニカルフォール負け。第2ピリオドはフォールの体勢に持ち込まれて、レフェリーが(フォールと認めて)手を挙げるシーンもあった
(右写真)。ここをしのぎ、何とか4−4のビッグポイント差で奪い返すと、第3ピリオドは体力の差で2−1と突き放して逆転勝利。

 松野は顔をくしゃくしゃにしてガッツポーズを連発。120s級の前川が不戦勝の勝ち名乗りを受けて、霞ヶ浦の優勝が確定した。試合後は井出、坂本、松野が嗚咽(おえつ)をもらして号泣。「本当に、うれしいです」と声を詰まらせた。

■7月中旬、選手は「大学生と練習したい」とやる気を見せた!

 今大会霞ヶ浦が優勝したのは、霞ヶ浦の「意地」という二文字だ。新チームになってから主将が何度も変わり、井出倫太郎に落ち着いても、チームの切り盛りがうまくいかず、井出は「先生に何度も『チームがバラバラだ。お前は主将なのか? 主将の意地ないのか?』と言われた」という。自身、今大会は5戦2勝3敗で、「チームに迷惑をかけた」と反省の弁。

 だが、自身が負けても最後まで主将の仕事を全うした。勝負がかかった松野に対して「絶対に勝てるから」と声をかけて落ち着かせるなど、全力でチームをまとめようと努力した。

 森下敏清代行コーチも、「今回は(優勝できないのではという)危機感がありました」とチーム事情を話す。そして、勝因となるエピソードをこう話した。「7月の中旬、生徒たちから『大学生と練習したい』と申し出があったんです。その時期に大学への遠征は予定していませんでしたが、急きょ都内の大学生に胸を貸していただきました」。生徒たちが一致団結して自発的に遠征を希望するのは稀で、森下コーチは「勝ちたいんだな」という気持ちが伝わったという。

 タレント不在、アクシデント多発。それを乗り越えて、“タレント軍団”だった昨年のチームと同じように“優勝”の二文字をもぎ取った今年の霞ヶ浦。大沢監督の口ぐせは「高校生は気持ち」。それを象徴するような21度目の優勝シーンだった。



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