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【特集】広島勢が大躍進! 金メダル2個と地元開催を飾る…全国少年少女選手権【2010年7月28日】

(文・撮影=増渕由気子)



 5年ぶりに地方開催となった今年の全国少年少女選手権。開催地は、2020年の五輪開催地立候補もありえる広島市だった。広島県のキッズ・レスリングは、「東広島ジュニアスポーツ少年団」と「広島クラブ」の2チームのみが連盟に登録している。

 昨年、広島勢は優勝なしの成績だったが、1年前に広島大会開催が決定すると、地元開催を盛り上げようと、強化を開始。その結果が実って、3年男子22kg級の原田一(広島ク=
右写真の右)と、5年男子30kg級の徳永弘樹(東広島ジュニアスポーツ少年団=同左)の2名が金メダルを獲得した。両チームともに、同じ「広島」の看板を背負って、1年間協力し合って強化してきたことが相乗効果を生んだのだろう。

 優勝した徳永は「優勝してうれしい。来年も頑張ります」と胸を張り、原田は「(自分がエントリーした)22kg級はライバルがいなかった。あたりまえの優勝です。来年は24kg級に出て優勝します」と連覇に自信を見せた。

■広島躍進の影にこの男あり! ロサンゼルス&ソウル五輪代表・向井孝博監督

 広島の老舗(しにせ)クラブは東広島ジュニアスポーツ少年団(1985年連盟登録)で、全日本2位の実績を持つ深水真司代表がチームを強くしている。後発の広島クラブ(1993年連盟登録=衣川知孝代表)はこの1年で急激に力をつけた。その原動力は、1984年ロサンゼルス&1988年ソウル両五輪代表の向井孝博監督だ
(左写真=左が向井監督、右が深水代表)

 広島県尾道市出身の向井監督は、柔道やラグビーを経験した後、自衛隊で21歳からレスリングを始めた。約1年後に全日本王者へ輝き、グレコローマン74kg級でロサンゼルス五輪、82kg級でソウル五輪に出場し、1986年アジア大会(韓国)では銀メダルを手にしたた強豪選手だった。

 ソウル五輪を機にマットを降りて自衛隊を退官したものの、数年後に復帰し、広島の企業のバックアップを受けて1993年アジア選手権で銀メダル。翌94年の広島アジア大会は5位入賞。1996年の広島国体では広島県の監督を務めるなど、まさに“ミスター広島”だ。

 地元開催にあたって、“ミスター広島”の血が騒ぎ出した。「一人でもチャンピオンを出したい」と、以前は週1回のクラブ活動だったのを、全日本大学グレコローマン選手権2位の実績を持つ山根進コーチ(日大卒)らと協力し合って週3回に増やし、強化に取り組んだ。

 「私も熱くなりましたが、親御さんたちの熱意がすごかったですね。この1年で、四日市ジュニアなどへの遠征も行きましたが、基本的に親御さんたちの希望があったからです」。多くの大会出場と遠征をこなすことによって、自然に結果はついてきた
(右写真=広島県の選手たち)

 グレコローマン出身で、さらにキッズ経験がない向井監督は、フリースタイルの研究も怠らなかった。「ビデオでかなり研究しましたね。『ノータックル ノーライフ』というスローガンを掲げて、正面タックルとローリングを中心に教えました。あくまで基本中心です」。

 広島クラブの選手たちは、どの選手も攻めの姿勢を持つ。「返し技などの、テクニックに走るより、シンプルなタックルで攻める選手は将来伸びると思います」と、向井監督は目を細める。

■グレコローマンが強ければ、フリースタイルでも強くなる! 「グレコローマンも教えたい」と向井監督

 「北京五輪では、旧ソ連の選手が差して押し出すようにしてポイントを取るところが目立ちましたね。フリースタイルでも、差しとがぶりでチャンピオンを取れるんだなと思いました。フリースタイルでも、グレコローマンの要素は大切で、練習するべきです。組んでよし、離れてよしなら最強」と、フリースタイルの勝負論を話したが、最後は「でも、グレコローマンも教えたいですね」(笑)と、グレコローマンの魂も忘れなかった。

 東広島ジュニアスポーツ少年団の深水真司代表が「いい指導者はたくさんいる。あとはジュニア層のレベルを上げるだけ」と話していたのは1年前。地元開催をきっかけに、わずかな時間で広島キッズのレベルは格段にあがったと言えるだろう。「これから伝統を作りたい」と向井監督。広島県勢の活躍に注目だ。


1993年アジア選手権で銀メダルを獲得した広島クラブの向井孝博監督。 1993年全日本大学グレコローマン選手権決勝で闘う広島クラブの山根進コーチ。 1991年全日本学生選手権決勝で、1年後に五輪代表になった花原大介を破った東広島の深水真司監督。



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