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【特集】前田翔吾(ニューギン)が銀メダル獲得で日本人第1号のメダリストに【2010年5月13日】


 【ニューデリー(インド)、増渕由気子】 インド・アジア選手権が開幕。日本人メダル第1号となったのは、男子フリースタイル60s級の前田翔吾(ニューギン)だった。韓国、キルギスタンに勝って決勝に進出。イランのエスマエルポール戦は、タックルを2本決めて、試合を優位に進めていたが、1−2で敗れた。それでも銀メダルを獲得した(右写真=前田と井上謙二監督)

 今月初めのゴールデンウィークには今年の世界選手権代表を決める全日本選抜選手権が行われた。前田は2年連続の優勝を遂げるが、プレーオフで小田裕之(国士舘大)に敗れ、昨年に続く2度目の世界行きはならず。このアジア選手権は「気持ちが切り替わったのはインドに来てから」と失意の中で臨んだ。

 メンタルもそうだが、肉体的にも万全ではなかった。ピークを全日本選抜選手権に持っていったことに加えて、減量が過酷な軽量級にも関わらず中8日の間隔でリミット計量。佐藤満男子強化委員長(専大教)が「本来の動きが全然できていなかった」と話すように、試合の途中から足が止まることが多かった。

 そんな状況下で昨年の5位を上回る銀メダルは、賞賛に値するかもしれない。前田にとっては、初の大陸選手権でのメダルだ。

 だが敗北を知らせるブザーが鳴ると、マットに視線を落とし、あからさまに悔しがった。表彰式でも笑みは見せなかった。「体が全然動かなかった。でも、調子、プレッシャー、ケガなどに左右されているうちはダメだと思った。体が動かない時でも優勝しておかないと。オリンピックがかかってくる時に、こういう状態もあるだろうから。こういうことを言い訳にならないようにしたい。今日は、最後に力を出し切れなかった」と、全日本選抜選手権の連続出場を言い訳にしなかった。最後「悔しい」と口を真一文字に結んだ
(左写真=金メダルを目指して闘う前田だが…)

 前田にとって今年の“世界戦”は終わった。「半年間、また練習して、12月(の天皇杯全日本選手権)には圧倒的に勝ちたいです」と国内でのリベンジに燃えていた。


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