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【特集】2012年ロンドン五輪出場を目指し、高塚紀行、倉本一真が自衛隊へ【2010年4月16日】

(文・撮影=増渕由気子)
 

 2006年世界選手権(中国)の男子フリースタイル60s級銅メダリストの高塚紀行(前日大コーチ)と昨年の全日本選手権男子グレコローマン60s級3位の倉本一真(山梨学院大卒)が4月14日、自衛体育学校に入校した。両者は、自衛隊の中でスポーツのエリートだけが許される新規採用体育特殊技能者として2等陸曹の階級で採用された(右写真:高塚=左=と倉本)

■学生で世界3位の栄光、そして残り1秒で逃した北京五輪という挫折を経て

 元世界3位の高塚が2012年ロンドン五輪を見据えて選んだ環境は自衛隊だった。大学3年生で世界のトップ3に入り、2007年の全日本選手権でも優勝。北京五輪代表は高塚に決まったかに見えたが、2008年アジア選手権(韓国)では決勝戦の残り1秒で逆転負けを喫し、五輪代表権を逃した。その後のチャンスも生かせず、北京五輪の代表権は最終的に全日本2位の湯元健一(現ALSOK綜合警備保障)に奪われた
(左下写真=2008年アジア選手権決勝、ラスト12秒で北京五輪を目の前に引き寄せた高塚だが…)

 「競技のことは、北京五輪までしか考えてない」ともらしたこともあったが、同年秋のCSKAカップ(ロシア)に出場して再起。翌年、本格的に再始動。2009年の全日本選手権では準優勝と、まずまずの復活を遂げた。

 大学卒業後の2年間は、仕事や日大のコーチ業などをこなしながら選手を続けていたが、成績はイマイチ。「どっちつかずになっていた」と、ロンドン五輪への道のりが見えてこない現状に気づいた。北京五輪をあとわずかの差で逃している高塚にとって、ロンドン五輪こそが試練の道のり。「オリンピックとは、人を押しのけて出るようないばらの道。競技に集中したい」と、残りの2年間はレスリング一本で勝負をかけることにした。

 自衛隊を選んだ理由は、自衛隊のコーチや選手が北京五輪前に所属の垣根を越えてバックアップをしてくれたことが大きかった。当時、自衛隊には2004年アテネ五輪銅メダルの井上謙二(現コーチ)や2007年アジア2位の大館信也が在籍していたが、アジア選手権と五輪第1次予選の日本代表が高塚に決まると、自衛隊への出げいこを快く受け入れてくれた。 「ここでロンドン五輪を目指したい」。その想いがかなっての入隊だ。

■運命づくしの自衛隊入隊

 「運命だな…」と、つぶやいた高塚。一方で、同じ言葉をもらした男がいる。幹部候補生の教育課程を修了し、本格的に体育学校の現場に戻ってきた井上謙二コーチだ。北京五輪を目指した2人は、ともに60s級の“世界3番”の肩書きを持ち、日大の先輩後輩でもある。両者は2008年の全日本選抜選手権の準決勝で激突し、後輩の高塚が勝った
(右写真)。その試合のことを高塚はしっかりと覚えている。「準決勝で謙二先輩に勝った直後、『お前が(オリンピックに)いけよ』と声をかけてもらった」。その言葉を、ロンドン五輪で実現する−。

 2大会連続五輪出場を目指した井上にとって、高塚は“引退試合”の相手となった。「高塚の入隊は本当に運命を感じます」。元ライバルであり、かわいい後輩でもある高塚のコーチングに、腕が鳴ることだろう。

 高塚を押しのけて北京五輪に出場した湯元健一は「高塚が最大のライバルだった。あいつがいたから自分も強くなれた」と、高塚の存在を認めている。その健一の弟・進一は自衛隊の所属だ。その存在については、「進一さんは、練習を見ていて本当にまじめ。そのほかの隊員の方にも言えますが、本当にいいお手本です」。ライバルの健一の弟という概念は切り離し、一先輩として、学ぶべき部分をどんどん吸収していく予定だ。

 世界で銅メダルを取ってから今年で4年が経つ。その場所は中国の広州だったが、その地では今年11月、4年に1度のアジア大会が行われる。「運命ですね。その舞台に立って今度は金メダルを取ります」。アジア大会の日本代表はまだ決まっていないが、有無も言わさず出るためには、5月の明治乳業杯全日本選抜選手権では優勝、そして小田とのプレーオフに勝つことが条件となってくる。

 「世界選手権のロシア、アジア大会の中国。両方ともボクが行きます」と高塚。最高の環境、そして井上謙二という運命的かつ最強のコーチにバックアップを受ける高塚が、2012年ロンドン五輪に向けて大きくギアを入れ替えた。

■世界学生選手権準優勝の倉本一真も入隊

 今年3月に山梨学院大を卒業したグレコローマンの倉本一真も、自衛隊で2012年ロンドン五輪を目指すことになった。2007年の全日本大学グレコローマン選手権で松本隆太郎(当時日体大)を破って優勝。2008年は世界学生選手権で銀メダルを獲得し、若手のホープとして頭角を現していた。

 一度拓大に入り、その後、山梨学院に入学しなおした経歴があるため、昨年1年間(学生5年目)は学生大会の出場はなく、国体と全日本選手権の2大会のみの活動となったが、全日本3位の結果を残している。今年の冬の遠征では2年ぶりに海外遠征に参加した。「ハンガリーカップはとても充実した遠征で、やる気が出てきた。世界のレベルも知ることができましたし」と手ごたえ十分
(左写真=柔道、ボクシングなどの新入隊員とともに。後列左端が倉本、その前が高塚)

 男子グレコローマン60kg級は現在、松本が五輪3度出場の笹本睦(ALSOK綜合警備保障)に2連勝し、政権交代を成し遂げた状況。倉本は「その政権、オレが阻止します」と自信たっぷりの様子を見せた。

 5月12日からののアジア選手権の代表にも選ばれており、全日本選抜選手権から2週間もない期間での減量という試練も待ち受けている。今年から、アジア選手権は直前の辞退のみならず、ケガなどによる計量失格もご法度だ。なぜならば、大陸選手権の出場が世界選手権に出場する条件と明文化されたからだ(注=選手の交代は可)。

 「減量は苦手な方ですが、大丈夫です。1試合1試合をしっかり勝って優勝につなげたい」と抱負を語った。


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