「五輪に出たい」…世界V4の山本聖子選手が現役復帰【2009年1月8日】



 女子59kg級などで世界選手権4度優勝の実績を持つ山本聖子選手が1月7日、東京・ナショナルトレーニングセンター(NTC)で会見し、現役復帰を宣言した(右写真)。昨年夏の北京五輪を現地で見て復帰を決意し、練習を再開してきたという。今年4月の全日本女子選手権の出場にはふれず、12月の天皇杯全日本選手権に照準を合わせて仕上げていくという、。

 同選手は1999年の世界女子選手権56kg級に初出場初優勝。その後、2000・01年にも優勝した。03年には59kg級で4度目の世界一に輝いたが、04年アテネ五輪は吉田沙保里選手(現ALSOK綜合警備保障)との闘いに敗れて出場できなかった。06年夏に現役引退を表明し、ハンドボールの永島英明選手と結婚。07年9月に第一子を出産していた。その後はレスリング中継のゲストなどに出演し、レスリングに携わっていた。

 会見には日大時代の恩師である富山英明・前日本協会強化委員長も出席。山本聖子選手の現役復帰に関して、「いよいよ来たかという感じ。昨年末に復帰したいという意向を本人から聞きました。復帰する階級だと思われる55s級にはオリンピック2連覇の吉田沙保里選手がいますが、より強くなるためにはライバルがいたほうがいいし、お互い刺激になるはず。アマチュアには引退という言葉はない。柔道の谷亮子選手もママになっても、頑張っている。山本選手にもママでもこれだけ活躍できるという姿勢をみせてほしい」と激励の言葉を贈った(左写真)

 これまでに母親で全日本チャンピオンに輝き、世界選手権に出場した選手は1996年の坂本涼子選手と1998年の山本美憂選手の2人がいる(全日本チャンピオンとしては1991年の村田智子選手がいるが、世界選手権には出場しなかった)。外国では、世界V4のパトリシア・ソーンダース(米国)、同じく世界V4のグドルン・ホイエ(ノルウェー)、アテネ五輪金メダリストのイリナ・メルレニ(ウクライナ)など珍しくはない。

 記者会見は山本がテレビ局の代表質問に答える形式で行なわれた。


 ――復帰を決めたのはいつ頃で、どんなきっかけ?

 「昨年の8月に北京オリンピックがあって、現場に行かせていただき、初めて五輪というものを見て、私もこの舞台に立ちたいと思いました」

 ――五輪のどういうシーンできっかけを?

 「北京の空港に降り立った、その時に感じて、目標を目指して練習している選手たちや会場など、様々な場面に体で感じたことを覚えています」

 ――2年間ブランクがありますが?

 「はい。でも一番の理解者は主人の永島英明です」

 ――ご主人に伝えたのはいつですか?

 「自分がやりたいのかなと気づいた時です。北京から国際電話で、『もしかしたらレスリングをやってみたいかもしれない』と伝えました」

 ――反応はどうでしたか?

 「電話の向こうですごくテンションが上がって『いいじゃん』って言ってくれた言葉を覚えています」

 ――ご家族の反応は?

 「姉(美憂)には相談とお願いをしました。私が自分がレスリングをするにあたってコーチをお願いしたいと伝えると、『一緒に頑張ろう』と言ってくれました。父(郁榮氏)はシビアですので、どういう返答かわからなかったもので、まず兄(山本“KID”徳郁)に相談したら、『いいじゃん、がんばれよ』と言ってくれました。それで父には気持ちを固めてレスリングをやりたいので、よろしくお願いしますと伝え、応援してもらっています」

 ――練習はいつから再開した?

 「8月21日からスタートしました。北京から帰国してすぐです」

 ――すぐ始めようと思った理由は?

 「やりたいと思う前に姉と会話をしたことがあって、『もしも復帰しようと思ったら、どう思う?』と聞いたら、『私は復帰しようと思った時に、躊躇(ちゅうちょ)して練習をやらなかった。結局、その時間がもったいなかった』という話を聞きました。それで、まずは走ることから始めました。主人に子供の面倒を見てもらい、午前中に走っています。練習のペースは、週に1日だけ休みをと決めて、6日間は練習しています。環境などを考えて、今はYSA(山本スポーツアカデミー)のCRAZY BEEで練習しています。父が見てくれています。スパーリングもやってます。落ち着いたら、母校の日本大学やいろいろな場所に出げいこに行きたいと考えています。所属に関してはまだ決まっていませんので、応援していただける方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします」

 ――ブランクへの不安は?

 「不安感はものすごくあります。自分のプランの中には復帰は考えてもいなかったので。現役時代は普通に100回できた腕立て伏せが10回もできなかったし、何十回もできた懸垂が1回もできなかった。でも徐々に戻ってきつつあります。自分の筋肉の衰えに不安はありますが、やってみてやれるという感じはあります」(右写真=引退前最後の試合となった2006年6月の正田絢子戦、赤が山本)

 ――母として?

 「ママとしてやるというのは、すごく大変なこと。すべてやるというのは、本当に大変なことだと思いました。でも徐々に慣れてくるものだと同時に思っています。うちは主人が亭主関白なのですが、いろいろとやってくれますし、子供は練習場にも連れていってます」

 ――復帰戦に関しては? 階級は?

 「55sでやろうと考えています。目指している大会は天皇杯(全日本選手権)です。その大会に出場するために、10月の女子オープン(全日本女子オープン選手権=静岡予定)で出場権利を獲得したいと考えています」

――55s級には吉田沙保里選手がいます。

 「私は現役時代、自分の動ける階級である55s級か59s級でやってきました。59s級だと動きも重たく感じるので、55s級だと思っています」

 ――吉田選手と連絡はとりましたか?

 「何を言っていいのか分からなかったのですが、電話してレスリングをやろうと思っているということを伝えると、『そうなんだ』という言葉から始まって、すごく感動してくれて『一緒にレスリングを盛り上げよう』と言ってくれました」

 ――自分の人生にとってどういう挑戦ですか?

 「今回始めたのは純粋にレスリングをやりたいという気持ちに正直に思った結果です。悩んだのですが、不安なこともありましたが、自分の人生で後悔したくないと思ったからこそ、レスリングをやりたいんです」

 ――オリンピックに関しては?

 「北京で初めて見た時に、あそこまで必死に自分がオリンピックを目指していたことは間違いでなかったことが分かりました。今度は自分が出てみたいと思いました」


 なお、山本聖子選手は1月9日〜11日までオーストリア合宿、12日〜17日までハンガリー合宿、18日〜31日までオーストリア合宿を行ない2月に帰国して10月開催の全日本女子オープンで12月の天皇杯の出場権利を獲得し、「天皇杯で100%の状態にもっていきたい」という。

(取材・会見撮影=三次敏之)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》