【特集】2007年世界2位を連覇しての優勝にも満足感はなし! 伝統を引き継げるか、稲葉泰弘(警視庁)【2009年2月17日】



 前日の長谷川恒平(グレコローマン55kg級)に続き、フリースタイル55kg級の稲葉泰弘(警視庁=右写真)が「ダン・コロフ国際大会」の金メダルを獲得した。3回戦(2試合目)で国内のライバル湯元進一(自衛隊)を破り、準決勝では2007年世界2位のナランバータル・バヤラー(モンゴル)をも破っての優勝。バヤラーには前週の「ヤシャ・ドク国際大会」(トルコ)でも勝っており、合宿の成果を十分に発揮した結果だった。

■世界2位に勝った喜び以上に、反省点の多い遠征

 「バヤラーに2連勝したのは自信になりますね」。北京五輪銀メダリストの松永共広が勝ったり負けたりを繰り返してきたモンゴルの強豪を2度までも破った事実は、優勝という結果以上に確固たる自信となった。湯元への勝利も大きい。全日本選手権と「ヤシャ・ドク国際大会」で連敗中。1月24日の全日本合宿中に行われた練習試合でも2連敗しており、最近は分が悪かった。「これ以上負けたくなかった」と振り返り、湯元の独走を阻止する貴重な白星でもあった。

 しかし、稲葉の表情は決して手放しの喜びようではない。バヤラーはすでに峠を越えているのか、それとも北京五輪後の再スタートに時間がかかっているのか、「力を落としているようだ」と感じた(左写真:バヤラーに2連勝した稲葉=青)

 湯元戦も「たまたま投げ(内また)が決まっただけ」と話し、勝因を問われてもなかなか答えが見つからない。「次に闘えばどうなるか分からない」と言う接戦であり、運が左右しただけと思っている様子。「もっと差をつけて勝ち、頭ひとつ抜け出すくらでないと」と気を引き締める。

 2大会を振り返っても、組み手争いはしっかりできて相手を崩すことはできても、「そこからのアタックが思うようにいかなかった」という反省がある。「もっと積極的な攻撃ができるようにならないといけない」。松永のライバルに連勝したことをもって、松永の域に達したとはつゆほど思っていない。課題とすることが多く見つかった遠征だったのである。

■4年間で大きく変わった稲葉。2012年の姿は?

 今回金メダルを取った長谷川と稲葉は、2006年の「デーブ・シュルツ国際大会」(米国)に学生選抜チームのメンバーとして参加し、ともに銀メダルを取っている(右写真:帰国時の稲葉=左=と長谷川)。違うスタイルのライバルとして、上を目指して競ってきた。現在は長谷川が全日本選手権に2連覇し、北京五輪代表権獲得に挑むなど、一歩先を走っている状況。そのライバル意識も金メダルの原動力だった。「(長谷川が金を取って)フリーでも絶対に取らなければならないと思いました」。ライバルは同じ階級の選手だけではない。

 また、一人の好成績はチーム全体に波及するもの。稲葉の優勝で、「ヤシャ・ドク国際大会」チャンピオンの湯元がこのままでは引き下がるまい。国内でも、2人の好成績に刺激された選手が、「打倒稲葉・湯元」を目指してエンジンを全開にするはず。当然、他階級の選手への刺激にもなる。

 さらに、今回のW優勝(湯元を含めてトリプル優勝)で、日本軽量級の強さを世界に示すことができたのは大きい。「JAPAN」と聞いただけで相手が勝手にびびってくれるというのも、勝負の世界では大きなウェートを占める。まだその段階までは言っていないが、積み重ねによってその状況をつくりだすことができる。まず軽量級。今のアドバンテージを生かしつつ、確固とした「日本最強」の看板をつくってほしい。

 アテネ五輪翌年の2005年冬、19歳にして全日本遠征に参加した稲葉は、先輩達に囲まれて目立たない存在だった。遠征の打ち上げもでも、未成年であるため酒はお預けだった。しかし、翌年のウズベキスタン遠征で世界王者のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)に善戦するなどして頭角を現し、昨年は世界学生王者にも輝いた。

 4年という年月は、選手を大きく変える。もちろん、日本レスリング界も大きく変わることができる。2012年の日本レスリングは、必ず変わっているはずだ!

(文・撮影=樋口郁夫)


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