【特集】若手台頭にも焦りはなし! 3年後見据える2006年アジア大会銅メダリスト…男子フリー55kg級・田岡秀規(自衛隊)【2009年3月1日】



 全日本選抜王者の湯元進一(自衛隊)と世界学生王者の稲葉泰弘(警視庁)が、ともに2007年世界2位のモンゴル選手を破り国際大会の優勝を達成。学生二冠王者の守田泰弘(日体大)もデーブ・シュルツ国際大会で銅メダルを獲得するなど、若手が台頭し過酷な争いを予感させる男子フリースタイル55kg級。だが、2012年ロンドン五輪を狙うのは若手ばかりではない。

 北京五輪銀メダリストの松永共広選手と同期で、2006年アジア大会銅メダリストの田岡秀規(自衛隊=右写真:ドーハ・アジア大会で銅メダル獲得)が、「まだ燃え尽きてない」と現役続行を決意。若手の台頭に心を乱されることなく、「最後に(五輪出場権を)取りにいきます。最後に勝てばいいんです」と、静かな闘志を燃やしている。

■全日本選手権の2回戦敗退で闘志に火が再点火!

 腰の故障で長いブランクがありながら、2006年に松永のが城を崩し、日本代表となって世界選手権とアジア大会に出場した田岡。2007年に松永にその座を奪い返され、2008年3月のアジア選手権で松永が五輪代表権を取った段階で北京五輪出場の望みが消えた。

 「そのあとは気持ちが晴れませんでした。練習に身が入らなかったです」。引退という気持ちになれなかった一方、目標をロンドン五輪に切り替えていち早く燃える気持ちにもなれなかった。そんな状態で臨んだ6月の明治乳業杯全日本選抜選手権は、決勝で湯元進一に敗れ、後輩に自信をつけさせる結果に終わった(左写真=湯元の攻撃を受ける田岡)

 北京五輪が終わり、12月の天皇杯全日本選手権になってもモヤモヤは晴れなかった。結果は2回戦で清水聖志人(クリナップ)に敗れ、2005年全日本選抜選手権以来3年ぶりにメダル戦線から脱落。このまま消えていくかとさえ思える結果に終わった。

 だが、表彰台にすら登れなかったこの黒星で、くすぶっていた闘志に火がついた。「負けたことで、勝ちたいという気持ちが出てきました。勝って(レスリング人生を)終わりたいって思い始めました」。

 まだ燃え尽きてないと思うのは、長期間のブランクがあったことも一因のようだ。松永が短期間の故障はあってもコンスタントに全日本トップにいたのに対し、田岡はトータルすれば4、5年は第一線を離れていた。同じ28歳であっても、“エネルギーの消費”で考えれば松永と同じではない。あと4年間は燃えられるエネルギーが残っている。現役続行を決意するのは当然のことだった。

■アジア大会3位にして、「今は基礎を学ぶ時期」

 出直す気持ちになったものの、全日本のベスト4にも入れなかったため全日本チームの選手として全日本合宿に呼ばれることはない。それは当然だが、自衛隊の出げいことして全日本合宿に参加する時も、田岡が全日本選手の間に強引に割り込んで練習を求めるといったことはなく、“その他大勢”といった感じの練習だ。田岡ほどの実力と実績があれば、全日本選手を練習相手に求めても、誰も文句は言わないし不釣合いでもない。ロンドン五輪を目指すのであれば、それが当然という気もする。

 一見すると、「もっと積極的にいってもいいのでは?」と思える行動。田岡にはきちんとした考えがある。自分のレスリング技術は足りないことが多いと感じており、今は基礎から学ぶべき時期と考えているからだ(右写真=自衛隊の出げいこで全日本合宿で練習する田岡)

 「全日本合宿に参加すると、どうしても決められたメニューをこなさなければならない。それよりも、まず技術をしっかり身につけたい。自分のやるべき練習をやりたいんです」。誰も彼も全日本合宿に参加すれば強くなれるものではないが、アジア大会3位にして“まだ全日本に加わる資格がない”という気持ちを持つのも並大抵のことではない。

 だが、自衛隊の和久井始コーチもこの姿勢には同意見。「ブランクがあった分だけ、技術の習得が足りていません。まだ基礎の技術を学ばせる段階です」と言う。こうした師弟の謙虚さが、3年後にどう生きてくるか。

■湯元進一、稲葉泰弘らの快挙にも焦りはなし

 こんな田岡だけに、若手の台頭にも焦りの気持ちは全く湧いてこないという。自らが基礎を学んでいる間に、ライバルは強豪外国選手を撃破するなど世界で通用する実力を見せているが、「じゃあ、湯元や稲葉を破れば、自分もそれだけの実力があることになりますよね」と、意に介していない。湯元にボロ負けするわけではなく、すでに世界の大舞台を経験しているからこそ言える余裕なのかもしれない。

 もともと、周囲から刺激を受けて発奮するタイプではなかったという。「にぶいんですよ」と笑うが、周囲に惑わされることなく自分の道を信念にしたがって貫くのは、とても勇気がいること。年齢を重ね、栄光もどん底も経験しているがゆえの強さなのだろう。

 「焦ることはない。(五輪の)イスはひとつですから」が、これからの3年間のベース。競馬に例えるなら、第4コーナーを回るまでは致命的に離されないようにして十分にエネルギーを蓄えておき、最後に猛スパートをかける作戦。一時は松永を越えながら最後に日本代表の座を取れなかっただけに、「勝負は最後」という気持ちが強いようだ。

 幸い、自衛隊には井上謙二(現自衛隊&全日本コーチ)という格好の前例がある。井上は1999年アジア選手権に繰り上げで出場したあと、世界選手権やアジア選手権・大会の代表、さらに全日本王者もない状況から2004年アテネ五輪の代表をゲット。銅メダルを獲得した。勝負の時を見据えて、エネルギーを蓄えられるだけ蓄えていたかのような4年間だった。突っ走ることが、必ずしも最良の結果につながるものではない。勝負どころの見極めを間違ったら、最後に笑うことはできない(左写真=田岡が目標とする井上コーチ)

 松永の北京五輪銀メダル獲得のあと、若手選手の台頭で明るい展望が開けているフリースタイル最軽量級。最後にどんでん返しが起こるか−。

(文=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》