【特集】大学4年生で世界へ飛び出せるか、若手最注目の守田泰弘(男子フリー55kg級=日体大)【2009年3月12日】



 2月初めのデーブ・シュルツ記念国際大会(米国)で銅メダルを獲得した男子フリースタイル55kg級の守田泰弘(日体大=左写真)。昨年は大学3年生で全日本学生選手権と全日本大学選手権で優勝し二冠王を達成し、初出場の天皇杯全日本選手権でも3位に入賞した。

 北京五輪の時に銀メダルを獲得した松永共広(ALSOK綜合警備保障)の練習パートナーとして“オリンピックの舞台”を体験したことが、守田のレスリングに大きな影響を与え、飛ぶ鳥を落とす勢いで白星を重ねた。だが、2008年の目標は「全日本選手権で優勝すること」だった守田にとっては、その目標が達成されなかったのだから、この快進撃に満足はしてない。悔しさをバネに2009年は本格的な海外進出、そして9月にデンマークで行われる世界選手権出場を目指す。

■冬場の2つの海外遠征で世界選手権のイメージがわいた

 デーブ・シュルツ国際大会では、日本チーム唯一のメダル獲得で、同世代のエースに成長したと言っていい。守田にとって、久々の海外遠征は“いい勉強”になった。負けを経験したからだ。

 北京五輪後の全日本学生選手権から12月の全日本選手権で湯元進一(自衛隊)に負けるまで、勝ち慣れていた。だが、デーブ・シュルツ国際大会で”初戦敗退”という試練。優勝が目標だっただけに1回戦敗退は精神的にショックだった。だが、合同合宿があるわけではないので、外国選手相手の経験を積むためには試合を多くこなすしか方法がない。「せっかくアメリカまで来たのに、(試合経験が積めなかったら)来た意味がない」と、すぐに照準を銅メダルに切り替えた。

 敗者復活戦の1回戦を不戦勝で勝ち上がると、残りの2試合をきん差で勝ち抜き勢いを取り戻した。3位決定戦では、フランス代表に4−0,3−0で快勝。計5試合をこなし、4カ国の選手と対戦することで、今年9月の世界選手権をイメージした戦いができた。

 学生選抜チームの遠征を終えると、2月後半から日体大の韓国遠征に参加した。グレコローマンに定評がある韓国だが、フリースタイルも弱くなく、多くを学ぶことができた。「韓国選手は練習でも捨て身の大技を出すことが多い。関節を取ったりする選手もいました」と、練習中のけがが不安だったことを振り返る。実際にけがを負った選手もいたそうだ。それでも守田は「けがしたからといっても、言い訳になりません。けがする方が悪いのですから」と話す。

■守田の強みは、けが知らずの頑丈な体

 守田の強みは“北京五輪の経験”だけではない。21歳の若さに加えて、大きなけがを一度もしていない頑丈な体を持っていることだ。「じん帯を伸ばしたことはありますけど、体にメスを入れたことはありません」と体は健康そのもの。毎日100パーセントの状態で練習を積めることから、進化する速度はハンパない。

 加えて松永と共に歩んだ北京五輪銀メダルの道のりが、相当な自信につながっている。「ずっとつきっ切りで松永さんと練習していたんですよ。たくさん学びました。松永さん以上の人がいるのか、というくらいです」。(左写真=北京五輪の10日後に行われた全日本学生選手権で優勝)

 2001年の全日本選手権で、当時日体大3年生だった松永が田南部力(警視庁)を倒して優勝すると、松永の才能を感じた一部のトップ選手が階級やスタイルを変えたほど。松永はそれほどのレベルの選手だった。松永と練習した毎日が守田にとっては衝撃的で緊張する空間だったが、そのおかげで全日本合宿での緊張感にもすぐに慣れ、日本最高峰の練習空間でも平常心を保てる強いハートができあがっている。

 全日本王者の湯元と全日本2位の稲葉泰弘(警視庁)のトップ2が冬の欧州遠征で国際大会優勝をおさめているが、その先輩たちとの差は「ちょっとしたことです」と話し、守田自身の中で課題は消化されている。

 4月から学生最後のシーズンを迎える。学生エリート選手のだれもが経験する試練として、学生の試合に加えて全日本レベルの大会をこなさねばならない。守田はどのように乗り越えるのか。減量がきついだけに簡単なことではなく、最軽量級で学生ながら世界選手権代表というのは“天才”松永も果たせなかった。実現すれば1996年の戸井田昌教(国士大)以来。13年ぶりの快挙を成し遂げられるか―。

(文・写真=増渕由気子)


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