【特集】吉田沙保里選手が“思い出の地”に立つ【2009年3月24日】



 試合には出なかったものの、北京オリンピック金メダリストの吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)がチームに同行。昨年1月、連勝記録をストップされた“思い出の地”に降り立った。

 会場に入ると、やはり昨年の思いがよみがえったというが、涙は「去年出し切ったので、出ませんでした」とのこと。「若い選手が必死にがんばっている姿を見て、あらたな勇気が湧いてきました」と言う。

 3回戦の米国の55kg級は昨年と違う選手が出てきていた。「相変わらずしつこく、ねちっこいレスリングをしている。どんどん研究されると思うけど、それで勝てる強さを身につけたい」と話し、五輪後の各国の選手の実力を見て、前進を続けなければ2012年ロンドン五輪での3連覇はできないことをあらためて感じたようだ。

 大会が始まると、ウォーミングアップの相手(右写真)やマットサイドからの応援とアドバイスのみならず、選手のために買い出しまでする奮闘ぶり。栄和人監督(中京女大教)は「買い出しの指示までしているわけではない。チームを勝たせるための行動。オリンピック・チャンピオンにそんなことまでしてもらい、選手は燃えなければならない」と奮起をうながしていた。

■昨年とうってかわって日本からの報道陣「0」に驚く地元記者

 日本のコーチ陣にとっても1年ぶりの太原の訪問だが、大会前に戸惑う出来事も。組織委員会のある女性が片言の英語で「去年、私が日本チームのマッサージをしました。また会えてうれしい」と言ってニコニコ顔。

 「え?」と驚く某コーチング・スタッフ。確かに激務の疲れをとるためホテル内にあったマッサージ店に行っていたが、身分を明かしていたわけではなく、1年2か月前に1度だけ来た客の顔を覚えているということが信じられなかった。

 「今の仕事は? いつチェンジしたの?」という問いに、「ずっと体育局で働いています」と訳の分からない答で、「大会に参加したすべてのチームをマッサージしました」とも。たった2日間の日程で全チームのコーチがそのマッサージ店に行ったの?

 何が何だか分からず、いろいろとやりとりした末、マッサージではなく「マネジメント」であることが判明。それなら各国選手団のお世話をしたということで納得。その女性スタッフも自分の間違いが分かって大笑い。ちょっと人騒がせだったが、けっこうかわいい子だったので、「ま、いいか」となってエンド。これも外国ならではのエピソード。

 大会が始まると、昨年も来たという地元の記者が「今年、日本からマスコミは来ないのか?」と聞いてきた。オリンピック前だった昨年の大会は、日本の2大通信社と大手新聞社などが大挙して取材に来ており、テレビ局を合わせると20人を超える記者やカメラマンがいて、記者席を独占していた。今年は「0」(本HPは除く)。その格差が不思議そうだった。

■成田空港閉鎖のため、北京空港の機内で約4時間待機

 大会の翌日、日本チームは朝9時に太原空港を出発。しかし、成田空港での飛行機事故のため同空港の滑走路が閉鎖され、一度は定刻通りに北京空港を飛び立ちながら、1時間後、成田への着陸許可がおりずに引き返す事態に。北京空港では機内に閉じ込められて待機となり、だれもがイライラ。こんな空気をなごませてくれたのが吉田沙保里選手。

 吉田選手を知っている人が記念撮影を頼むと快く応対。それが次々と伝わり、吉田選手のことを知らないであろう中国人の中年女性も大挙して寄ってきて遠慮なく記念写真を求め、吉田選手はそのすべてに応対(右写真)。機内には歓喜の声が次々にあがった。

 どこかの合唱団も乗っており、きれいな歌声も流れる中、北京泊も覚悟した午後8時、約4時間待機の末に再出発。成田空港には11時すぎに到着。航空会社の用意したバス等で三々五々、帰路についた。中京女大の選手は当日中に愛知に戻る予定だったが、急きょ東京駅そばのホテルに宿泊。

 昨年の連勝記録ストップと質は違うが、日本チームにとって縁起の悪い大会になりそう。来年は何が起こる?


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