【特集】東日本への意地で実力養成! 九州の大学出身選手で初の世界選手権代表を目指す坂本憲蔵(自衛隊)【2009年6月14日】



 シニアの男子レスリングは“東高西低”。東日本の大学の選手およびOBが幅をきかせ、西日本の大学の選手を探すのに苦労するのが現状だ。今年、西日本の大学出身選手で世界選手権出場を狙っている選手がいる。フリースタイル96kg級の坂本憲蔵(大分・日本文理大〜自衛隊=右写真)だ。

 昨年の全日本選手権は、準決勝で松本慎吾選手(現全日本チーム・コーチ)に負けて3位。同級優勝の松本は今回の明治乳業杯全日本選抜選手権(6月20〜21日、東京・代々木競技場第二体育館)には出場しないので、優勝者がプレーオフなしで世界選手権の代表になる。日本代表が目の前にあると言ってもいい。

■ビーチ代表としてアジア選手権に参加し、世界で闘いたい思いがつのる

 全日本選手権の順位では、2位の下屋敷圭貴(NEWS DERI)の後塵を拝しているが、組み合わせの関係で2位と3位に分かれただけであり、下屋敷に負けて下の順位になったわけではない。昨年のこの大会はきん差で敗れたものの、国体では2−1で勝利。

 全日本選手権での松本を相手にした試合結果では、下屋敷があっさりフォール負けしてしまったのに対し、坂本はポイントも取ったうえでの判定負け。「実力は五分」と感じており、松本が辞退した5月のアジア選手権(タイ・パタヤ)の代表を下屋敷に奪われたことは悔しいことだった(左写真:全日本選手権のメダリスト。左から下屋敷、松本、坂本、藤本健治)

 坂本もアジア選手権にはビーチ・レスリングの重量級の代表に選抜され、日本代表チームのメンバーに名を連ねていた。しかし「マットの上のレスリングをやってきましたから…」と、満足する日本代表でなかったことは言うまでもない。

 最終日のビーチ・レスリングの日までは日本代表選手の練習相手として汗を流した。自分が出てもおかしくない大会にスパーリング・パートナーとして参加しなくてはならないことは、屈辱的な気持ちになってもおかしくない。だが坂本は「いい経験でした」と言う。

 「アジア選手権のムードを知ることができました。優勝したイラン選手とも手合わせできました。行かなければできないことを、しっかりと経験してきました」と話し、日本代表としてこうした舞台に立とうという思いが強くなったという。

■最もマークする相手はキッズ・クラブからの同期生、磯川孝生

 そんな気持ちの高まりをもって挑む全日本選抜選手権は、下屋敷だけでなく、前年王者の磯川孝生(山口県協会)、同じ全日本3位の藤本健治(拓大)が参加し、「それぞれタイプが違うから、気が抜けない闘いが続きます」と言う。その中で一番マークするのは、2位の下屋敷ではなく、熊本クラブから日本文理大付高にかけて一緒に汗を流してきた同期の磯川だという。

 磯川は松本に初戦(2回戦)で敗れたため上位入賞できなかったが、坂本は「技術はボクより上。84kg級でやってきたスピードも持っている」と分析。これまでの対戦は全敗だそうで、気を引き締めるのも当然だろう。だが「練習量は絶対に負けていない。スタミナで勝負をかける」と言う。かつては同じチームの選手として団体戦の勝利に向かって燃えた2人。ここは非情に徹し、雌雄を決せねばなるまい。

■全日本合宿では、松本慎吾コーチに“リベンジマッチ”を挑む!

 全日本選手権でグレコローマンの選手だった松本に負けたことは、「負けてはいけない試合でした」と振り返る。大会の約1ヶ月前に日体大の練習に参加させてもらって手合わせしており、それをもとに作戦を練って臨んだ試合だったが、「圧力がすごかった」。場外へ押し出されるなどしてポイントを失い、屈してしまった。

 「(松本は)自分が高校の時から活躍していた選手。合宿で一緒になったこともあるけど、とにかくすごい選手」と思っていたので、名前で負けていたところがあったかもしれない。いずれにせよ、「この悔しさをばねに、頑張らないとなりませんね」と言う(右写真:全日本選手権で松本と闘う坂本=青)

 その気持ちは、今年1月に行われた新生全日本の最初の合宿の初日から表れた。スパーリングが始まると、真っ先に松本コーチに挑んでいった。これは松本コーチから「気持ちは分かるが、オレはグレコローマンのコーチとしてここに来ているのだから」と断られてしまったが、熱烈指導で有名な松本コーチに率先して挑むのは、相当のガッツある選手でなければできないこと。この負けん気が、今後に生かされるか。

 負けん気といえば、これまでの自分を支えてきたのが西日本の大学の選手として「東日本の大学の選手には負けたくないという気持ちでした」と振り返る。「練習相手の数は、東日本にはかなわない。でも負けたくなかった。常に東日本の大学の選手に勝つにはどうすればいいかを考えて練習した」と力をこめる。

■2004年に九州の大学から初の学生王者へ! 次の快挙は世界選手権出場!

 その意地が爆発したのが、2年生の時の2004年全日本学生選手権だ。日体大3年生の米山祥嗣、山梨学院大4年生の藤岡裕士という関東の強豪大学の団体戦レギュラー選手を破って優勝。全日本学生選手権の長い歴史の中で、九州の大学から初めて学生王者に輝く快挙を達成した。2006年の同大会では、準決勝で拓大4年の山口竜志を破り、立命館大の東誠次と史上初の西日本大学同士の決勝戦も実現。西日本の大学の存在をアピールした。

 五輪に出場した西日本の大学の選手は、山崎次男(1952年ヘルシンキ五輪=関学大OB)、市口政光(1964年東京五輪金メダリスト、他に1960年ローマ五輪=関大OB)、重岡完治(1960年ローマ五輪=関大OB)、石森宏一(1984年ロサンゼルス五輪代表、他に世界選手権2度=大体大OB)の4人。その後の五輪では生まれていないが、2002年に仙波勝敏(立命館大=フリースタイル84kg級)が、2007に鈴木崇之(立命館大〜当時警視庁=フリースタイル84kg級)が、それぞれ世界選手権に出場しており、わずかだが上昇気流がある。

 自衛隊(埼玉)に進んでも西日本の大学の選手としての意地と誇りを持ち続け、それをマットにぶつける坂本。「坂本憲蔵(けんぞう)という名前は、坂本日登美先輩(世界V6)と加藤賢三(けんぞう)先輩(北京五輪代表)を合わせた名前なんですよ。偉大な先輩に負けないように頑張りたいですね」と笑う顔が、6月20日には勝利の喜びであふれるか(左写真=決戦に向けて練習に打ち込む坂本)

(文=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》