【特集】打倒鶴巻にかける前年王者は、キャリア3年の成長株…男子グレコローマン74kg級・葛西直人(自衛隊)【2009年6月18日】



 五輪代表選手が決まったあとの全日本レベルの大会は、それまでのトップ選手が引退や休養したりするので、意外な選手が上位入賞を果たすことがある。昨年の明治乳業杯全日本選手権は、1階級を除いて北京五輪への闘いが終わっていた。そのせいもあり、何階級かで知名度の低い選手が優勝した。

 その筆頭がグレコローマン74kg級の葛西直人(自衛隊=右写真)だろう。レスリングのキャリアは当時2年ちょっとで、全日本社会人選手権での優勝もない選手。今年は真価が問われる大会になる。

■エリート選手へのライバル意識で急成長

 青森・五所川原高校では柔道をやっていた。地元の青森駐屯地に就職し、体育学校OBの青木篤志さん(現プロレスリング・ノア)に誘われてキッズ・レスリング教室などで汗を流した。自衛隊のレスリング大会に出場したところ、いい成績を残せ、推薦を受けて体育学校でレスリングをやることになった。

 「柔道着をつかめないことや、(グレコローマンなので)脚を使えなかったことに戸惑いました」と言うが、柔道のキャリアは3年で、根っからの柔道家ではなかったことが幸いし、比較的スムーズにレスリングにコンバートすることができた。飯室雅規、藤村義(ともに66kg級)といった全日本トップクラスの選手との差は歴然だったが、2006年全日本社会人選手権で3位に入賞、2007年全国社会人オープン選手権2位と順調に力を伸ばした。

 「けがをあまりせず、練習にきちんと参加できていたのがよかったと思います」。体力はある方ではなかったというから、目の前の練習をひとつひとつこなしていき、体力・技術とも一歩一歩階段を上がっていったのだろう。葛西を最初から見ていた宮原厚次・前監督(現体育学校第2教育課教育班長)は「特別に素質があるとは感じない普通の選手だった。素直でこつこつ頑張るタイプだった」と振り返る。

 特別に感じたのは、エリートで体育学校に入ってきた選手へのライバル意識だったという。「スカウトされて入ってきた選手には負けたくないって気持ちが前面に出ていましたね」と言う。

■鶴巻の欠場という運もあって、初の優勝が全日本選抜選手権の優勝

 チャンスが訪れたのが、昨年の全日本選抜選手権だ。北京五輪代表を惜しくも逃した同門の鶴巻宰が急きょゴールデンGP決勝大会(アゼルバイジャン)に出場することになり、欠場が決まった。鶴巻と日本代表を争った岩崎裕樹、菅太一は引退を決めたのかエントリーしていない。

 目立つ選手といえば、世界学生選手権代表の田中悠一(岡山・倉敷西中教=5位に入賞)や大学王者の倉谷修平(日体大)くらい。全日本合宿に通いで参加した時に練習したことがあり、勝てない相手ではないという感触があったという。「ふだんどおりにやれば勝てるかな」と、かすかながらも優勝を意識することができた。

 そして準決勝で倉谷を、決勝(左写真)で田中を破って優勝。五輪イヤーで強豪が抜け、唯一の強豪だった鶴巻が欠場したという理由はあっても、表彰台の一番高いところに昇るのは気持ちがよく、自信になるもの。今後の活躍が期待されるホープとなるはずだった。

 しかし、昨年12月の天皇杯全日本選手権には葛西の姿はなかった。当然、佐藤満体制下での新生全日本チームにも名を連ねていない。負傷か? 実は自衛隊の勤務で半年間の集合教育があり、レスリング班を離れていたのだ。これは体育学校の選手でもやらねばならない職務上の義務。静岡と茨城で自衛隊員としての訓練を受けてきた。せっかく上り調子の時に、さぞかし無念だったと思われるが、「五輪の年だったので、(次の五輪まで一番時間のある時なので)よかったかな」と、前向きにとらえている。

 強くなるにためには寝食を忘れてレスリングに打ち込むことも必要だが、あるレベルまでいったあとは、朝から晩までレスリングをやることだけがすべてではない。人間としての成長が必要であり、時にレスリングを離れて人間を磨くことも必要だ。「いろんな経験をしてきました」と話し、選手活動に還元できる半年だったという。

■マークする選手は鶴巻だけ。「他の選手には負けない自信があります」

 しかし今年1月、レスリング班に復帰した時は「体力が落ちていて、すぐに息が上がってしまった」そうで、半年のブランクは大きかった。全日本の合宿にも通いで参加したが、「まったくついていけず、(今後が)とても不安になりました」。

 「人間の幅を広げるいい経験だった」とは、体力が戻ったと思える今だから言えるのであり、当時は半年のブランクにかなりの不安がついてまわったようだ。しかもルールが変わり、俵返しの得意な葛西にとって、かなり苦しい闘いをしいられることになった。1分から1分30秒に伸びたスタンド戦をどう乗り切ってグラウンドの攻撃につなげるか、という難題が立ちはだかる。

 それでも、デフェンディング・チャンピオンとして目指すは優勝だ。2004年に20歳で全日本王者となった“エリート”鶴巻には、練習では「ボコボコにやられている」という。しかし試合で闘ったことはない。「(鶴巻は)減量がきついので、試合では絶対にチャンスがあると思います」と分析している。

 2012年ロンドン五輪に出場するためには、絶対に破らなければならない壁だ。「組み手をしっかり身につけることで絶対にチャンスが出てくる。今回も勝つつもりで闘いますが、3年計画で鶴巻さんを破ります」ときっぱり。

 「他にマークする選手は?」との問いには、「毎日、(この階級最強の)鶴巻さんと練習しています。他の選手には負けない自信があります」と、全日本2位、3位の選手が聞いたらカチンとくるような言葉。ブランク明け最初の大会とはいえ、前年王者としての自信からくる言葉なのだろう。

 今年は、まだ経験のない国際大会への出場へも意欲的だ。全日本選抜選手権の2週間後に行われる全日本社会人選手権(埼玉・和光市)で優勝すれば海外遠征が待っている。「勝って、外国選手と闘ってみたい。JAPANジャージを着て試合をやりたい」と気合を入れる。

 最後に、冗談口調の中にも鶴巻を挑発する言葉を口にした。鶴巻は大会後に結婚式を控えているが、よほど幸せそうに見えるのだろう、「ぶち壊してやろうと思っています!」−。ここまで言ったら後には引けない。意地の勝利が見られるか。

(文=樋口郁夫)


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