プロレスリング・ノアの三沢光晴社長(栃木・足利工大付高OB)が試合中の事故で死亡【2009年6月15日】



 プロレスリング・ノアの中心選手であり、社長でもあった三沢光晴選手(栃木・足利工大付高OB=右写真の右)が6月13日、広島グリーンアリーナで開催された試合中、バックドロップを受けて意識不明となり、広島大学病院に運ばれたあと死亡が確認された。46歳。

 その後、死因は頸椎(けいつい)がずれたことで中を走る神経の頸髄(けいずい)が離断した状態になる「頸髄離断」であることが警察から発表された。

 同選手は足利工大付高時代の1980年に国体フリースタイル87kg級で優勝。卒業後に全日本プロレスに入団し、1985年から2代目タイガーマスクとして活躍。その後、素顔に戻り全日本プロレスのエースとして奮闘した。

 1999年1月にジャイアント馬場社長が死去したあと、社長に就任。その後、新団体プロレスリング・ノアを設立し、社長兼選手として同団体を引っ張ってきた。最近、テレビ中継の打ち切りなどで経営が苦しくなり、体調が悪かったとも言われていた。

 日本レスリング協会ともかかわりが深く、協会が1999年12月にシドニー五輪へ向けての強化資金を集めるため各プロレス団体にお願いして「レスリング・フェステバル」を開催した時には、全日本プロレスの社長として全面協力。日本協会のプロレス委員会(総合格闘技委員会設立によって消滅)の委員に名を連ねていた。


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