【特集】レスリングと再び巡り合った元学生2位の藤元愼平が全日本社会人選手権でカムバック【2009年7月3日】

(文・撮影=増渕由気子)



 ここ数年、高校レスリング界は推薦入学なしの公立高校の力が伸びてきている。2008年の風間杯全国高校選抜大会は京都・京都八幡が高校レスリング界の雄・霞ヶ浦を破って初優勝。チームの柱・北村公平は同年、2年生で高校五冠王に輝いた。京都八幡にはキッズ・レスリングがあり、そのクラブ・チームを長年育ててきた浅井努監督(日体大卒)の悲願が達成された瞬間でもあった。

 だが、京都八幡にはもう一人、強力な助っ人がいた。それが藤元愼平(早大卒=右写真)だ。藤元は高校の教員ではなく、NTT西日本に勤める会社員。昨年から京都八幡の特別コーチとして正式にメンバーに加わり、遠征にもたびたび参加。高校生の指導をするかたわら、このたび現役復帰を決めて、7月4〜5日の全日本社会人選手権(和光市総合体育館)フリースタイル55kg級にエントリーした。

■学生で完全燃焼し、身も心も満足して引退したはずだったが……

 藤元は6歳からレスリングを始め、福岡・三井高〜早大でもレスリング部に所属。55kg級で活躍し2005年全日本学生選手権2位の実績がある一流選手だった(左写真=2005年東日本学生リーグ戦の拓大との決勝55kg級で、湯元進一=現自衛隊=と闘う藤元)

 だが、大学4年時は8月の全日本学生選手権で燃え尽き、9月以降の後半戦の出場をめぐって太田拓弥・早大コーチと対立した。太田コーチの「力があるからこそ目標を五輪に置いてほしい」との願いも届かず、「レスリングを辞めたかった」という藤元は就職が決まると、2007年1月に行われた全日本選手権出場をもってマットを降りた。

 同年の全日本選手権は、プロ格闘家の山本“KID”徳郁選手が出場して話題をさらった大会。そこに選手としてマットに立ったことは、藤元にとって本当に満足のいく幕切れであり、“完全燃焼”。幼少から始めたレスリングに別れを告げたはずだった。

 2007年春、藤元は大阪にいた。NTT西日本に配属が決まり、赴任先は大阪府枚方市樟葉。その赴任地が、きっぱりと縁を切ったはずのレスリングと藤元と再び巡り合わせることになる。樟葉は大阪と京都の県境にある街。買い物がてらに車を走らせていた藤元の目に、「八幡」という看板が飛び込んできた。京都八幡高校がある場所だ。大阪府の樟葉と京都府の八幡は自転車で10分程度の距離の隣町だったのだ。

■京都八幡高校の選手を指導しているちに、レスリングへの思いが再燃

 京都八幡高の浅井監督は部員をつれて頻繁に早大に出げいこしていたこともあり、藤元とも面識があった。「あいさつくらいはしよう」と、ゴールデンウィークが終わった頃に学校を訪れると、高校三冠王になる前の田中幸太郎(現早大)や北村公平(現3年生)の姿が。数ヶ月ぶりに見るレスリングの光景を見て藤元の心が揺れた。「辞めたかったレスリングなのに、やっぱり離れられないんだな。なんらかの形で関わり続けるんだな」。

 全国展開する超大手の企業に就職し、47都道府県のどこに赴任するかはその時の“運”。その中から、多少なりともゆかりのある京都八幡高の近くの赴任となり、レスリングに再び出合った”偶然”を、藤元は認めるしかなかった。「今ではもう、レスリングLOVEですよ」。

 それから、仕事の合間はレスリングに費やした。純粋無垢な高校生たちと練習を重ねることで、競技の楽しさを再確認。毎週、レスリング部に顔を出すことによって、2008年からは外部コーチとして学校公認の立場となった。「校長先生がとっても理解ある方で感謝しています」と言う(右写真=京都八幡高の選手を指導する藤元コーチ)選手。

 北村が「藤元コーチの支えも大きかった」と話すように、選手からの信頼も厚い。高校だけではなく、昨夏に大阪で行われた全日本学生選手権には、弟の洋平(早大)の応援に家族総出で駆けつけ、弟のサポートに回った。

■再び選手活動する目標はオリンピック!

 さらに、有休休暇を取って9月は大分国体、2009年の3月は全国高校選抜選手権にもコーチとして帯同。そんな毎日を送る藤元は、「ロンドン五輪を目指したいんです」と、自らの現役復帰を決意した。そのためにも、全日本社会人選手権で3位以内に入り、12月の全日本選手権の出場権を取りたいところだ。

 もうひとつ、藤元のモチベーションとなっているのが会社。「社員は全国に何万人といます。その中でオリンピックを目指せる一般社員は僕しかいません」と、会社とレスリングの両立にも自信満々だ。

 弟・洋平はジャニーズ事務所の人気グループ・嵐の二宮和也似だが(クリック)、藤元は幼少の頃、実際にジャニーズ事務所の書類選考に合格した経緯を持つそうだ。九州を拠点としていた家庭の事情で芸能活動が物理的に不可能だったため、それ以降の試験を辞退したが、その“ルックス”を生かして熊本では子供タレントとしてファッションモデルを務めた経験がある。それだけに、大舞台で人に見られることは大好きだ。

 社会人選手権で復帰戦を飾り、全日本選手権の大舞台でスポットライトを浴びる日は来るか―(右写真=今年4月のJOC杯で北村選手とともに)


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