【特集】長島兄弟の影に隠れ続けてきた“逸材”がブレークする日は?…男子フリースタイル74kg級・高橋龍太(自衛隊)【2009年7月9日】

(文・撮影=増渕由気子)



 2009年の全日本社会人選手権の男子フリースタイルの最優秀選手(MVP)は、74kg級の高橋龍太(自衛隊=右写真)が選ばれた。全国大会のタイトルは、2007年秋田国体で獲得しているが、今大会、初めてMVPを獲得したことに、「本当に? 本当にボクなんですか?」と第一報に信じられない様子。さらに取材に対して、「やっと、やっと、ボクの所に来てくれましたね」とうれしそうに目じりを下げた。

 2週間前の明治乳業杯全日本選抜選手権では“定位置”の3位に終わった。今大会では初戦から5点技を繰り出し、準決勝では全日本選抜選手権2位の鈴木崇之(警視庁)に逆転勝利をおさめ、決勝の奈良部嘉明(山梨学院大OB)戦は得意のタックルがさえ、無失点で優勝を飾ってMVPにふさわしい内容だった。

■小幡邦彦が抜けた後も、チャンスを生かせず

 長野県の強豪、上田西高出身で拓大に進学。その後自衛隊に入り6年目の夏を迎えた。高校時代から評価の高い選手だが、あまりタイトルには恵まれていない。その理由が、高校五冠王であり全日本学生選手権3連覇、そして全日本選手権V3の長島和幸(クリナップ)が同学年にいたからだ。長島とは大学3年からのライバルだが、それ以前は、長島の双子の兄・正彦(青山学院大卒)に勝てず、2位、3位が多かった。

 「高校時代からずっと(2位、3位)でした」と苦笑いを浮かべる高橋。だが、その最大のライバル、長島に最も分がいいのが高橋なのだ。勝率は若干長島のほうが上回るが、秋田国体も決勝戦で長島を下した価値ある優勝を収めている。(左写真=2005年冬には全日本チームの欧州遠征に参加した高橋。ダン・コロフ国際大会で小幡邦彦と対戦)

 2004年アテネ五輪代表の小幡邦彦(山梨学院大職)が階級をアップして抜けた後、同級は長島が東の横綱で、高橋は西の横綱のポジションでもおかしくなかった。だが実際には、大学では無冠ながら卒業後地元で教師をしながら選手を続けた萱森浩輝(新潟・新潟県央工高教)が2007年に一気にブレークして世界選手権に出場。

 その後、“タックル王子”とマスコミに騒がれた拓大の後輩、高谷惣亮(京都・網野高〜拓大)が2007年12月の全日本選手権で準優勝し、ポーランドで行われた北京五輪最終予選は不調の長島に代わって日本代表を務めるなど、若手に先を越されっぱなしだった。

■結果が出ないから引退ではなく、勝ってから辞める

 「得意技はタックルなのに、タックルを一本も出さずに負けたこともあります」と、全日本レベルの大会ではプレッシャーに押しつぶされての敗退が続いた。大舞台では結果を残せないまま、大学を卒業して6年。世界選手権の選考会でもある全日本選手権と全日本選抜選手権では、まだ決勝進出もできていない。

 「自分より若い選手が自衛隊体育学校を辞めていくことが多くなりました」。結果がすべての自衛隊だからこそ、期待に応えられない自分に焦りを感じ、何度も引退を考えた。その思いを引き留めたのは、周囲の支えだ。「自衛隊のみんなの応援、西口先生(茂樹=拓大時代の恩師)の『頑張って』という言葉を聞くと、辞めようと思う気持ちから、勝って恩返ししようと思うようになるんです」。

 自分のエゴよりも、周囲の応援で強くなれる高橋は、負けた試合にある共通点を見つけた。「自分のためにと思うとダメなんです。拓大のときは“大学のために”、今は“自衛隊のために”と思うと結果が出ることが多いです」。北京五輪を逃した高橋に、2012年ロンドン五輪のチャンスを与えてくれる自衛隊に感謝の気持ちを持つことが、高橋のモチベーションだ(右写真=決勝で勝ち、今年後半の飛躍に弾みをつけた高橋)

 高橋のタイトルを常に阻んできた長島も、社会人6年目でやっと世界選手権出場を決めた。だからこそ高橋はレスリングを辞めない。「長島の次はボク」と自分の時代が来ることを信じているから―。


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