【特集】生涯レスラーを目指す在日イラン選手の夢は、イランのような熱気ある大会の実現【2009年7月15日】

(文・撮影=保高幸子)



 レスリングをこよなく愛する人達が集まる全日本社会人選手権。7月4〜5日に埼玉・和光市体育館で行われた今年の大会に、一人のイラン人レスラーの姿があった。アフザル・ハムドザデさん(豊島区協会)、35歳。今年初めてこの大会に出場してきた。

 ハムドザデさんがレスリングを始めたのは子供の頃。といっても、日本の子供達が公園や路地で鬼ごっこをするように、イランでは子供達が至るところでレスリング遊びをしている。そこで才能を見いだされた子供がクラブに勧誘され、本格的にトレーニングを始める。ハムドザデさんも10歳の時にそのようにしてスカウトされ、クラブに入ることになった。

 住んでいたのはイランの首都テヘランよりも南のシャハリ・レイという街。スカウトされたクラブは資金が少なく、練習場は暗く小さな地下室だったという。そのボバック・レイというクラブは、2005年から07年にかけて世界選手権を3連覇したグレコローマン55kg級のハミド・スーリヤンがスカウトされて最初に入った名門クラブだ。

 ハムドザデさんはいったん競技から離れることになったが、18歳の時にレスリングを再開し、トレーニングを続けた。しかし27歳のころにまた競技を離れる。「イランでチャンピオンになりたかったけど、いろんな問題があって難しかった」。

■日本滞在4年目によみがえったレスリング熱

 来日してから4年。イランと日本の貿易関係の仕事をしながら、イランでの不動産業にも携わるビジネスマンとして活動してきた。そんな忙しい中、どうしてもまたレスリングがやりたくなった。ちょうど1年前、日本人の友人にレスリングをやりたいと相談したところ、見つけてくれたのが豊島区レスリング協会だった。日本語をまだよく知らなかったハムドザデさんは、その友人に通訳として付き添ってもらい初めての練習に参加したという。

 今では日本語も上達し自分でコミュニケーションが取れるようになった。「みんなやさしい。いい人です。週に1度の練習にはだいたい休まず参加しています。練習のあと皆で食事に行ったりもします。楽しんでいます」

 だが日本とイランのレスリングの環境の違いにも戸惑いはある。今回豊島区レスリング協会からグレコローマンに参加したのはハムドザデさん一人だけ。「グレコローマンをやる人が少ないですね。練習のときはフリースタイルの選手が相手になってくれますが…。それから、この社会人選手権も少し寂しいです。イランでやれば、この体育館に入り切らないくらいのお客さんが見にきますよ。あふれますよ。5人兄弟だったら4人はレスリングをやっているのがイランです。本当に子供の80パーセントか90パーセントがレスリングをやっているんです」。イランでのレスリングの人気ぶりの話になるとうれしそうに笑みがこぼれるハムドザデさん。

 日本でのレスリング歴1年で出場したのは、昨年の国体予選、豊島区大会、全国社会人オープンの3大会だ。「レスリングは本当に楽しい。もっと試合したいですね。今日は1試合で負けてしまった。悔しいです。死んじゃうまで大会に出続けたいです。」と笑う。他の選手の試合をビデオ撮影し研究材料にするという熱心な姿もうなずける。

 チャンピオンを目指すわけではないが、「レスリングを生涯続けたい」という言葉は、レスリングを愛すればこそでてくるのだろう。日本でも、イランのような満員御礼札止めの大会の熱気を感じられる日が来ることを、心待ちにしているハムドザデさんだ。


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