【特集】今も現役バリバリ! 39歳・2児の母、グドルン・ホイエ(ノルウェー)に聞く【2009年8月19日】

(聞き手・撮影=樋口郁夫、通訳=ビル・メイ)



 8月13〜14日にワルシャワで行われた「ポーランド・オープン」には、1987年の第1回世界選手権に出場し、89年の第2回大会の57`級を皮切りに4度世界一に輝いたグドルン・ホイエ(ノルウェー=右写真)が出場していた(55kg級で1勝2敗=5位)。

 1970年7月13日生まれの39歳で、職業は心臓外科の医師。2度のオリンピックの出場はかなわなかったが、7歳と6歳の子を持つ今も、こうして国際大会に出場し、レスリングを“楽しんでいる”。先月には世界の強豪が集まるゴールデンGP決勝大会(アゼルバイジャン)にも出場した。

 「39歳のママさん」に、レスリングへの思いを聞いた(文中の写真は今大会)


 ――日本では、39歳の母親選手が国際大会にまで出るという例はありません。何がホイエさんをここまで駆り立てているのですか?

 「レスリングが好きだからです。辞めようと思うことも何度もありましたけど、その度に思いとどまりました。トレーニングで汗を流すことも、こうして試合に出ることも、とても好きです」

 ――仕事や育児とレスリングの両立はどうやってきましたか?

 「常に両立してきたわけではありません。仕事が忙しくなるとレスリングの練習量は減りました。子供が病気になったこともあり、常にレスリングができてきたわけではありません。若い時は納得するまで練習できないと満足しませんでした。でも、子供ができてから、そんなふうに考えるのではなく、できる範囲でやればいい、と考えるようになりました。それが長続きしている要因だと思います」

 ――年齢を重ねると、けがをすることも多くなると思います。大きなけがは?

 「2004年にひざをけがし、大変な思いをしました。それ以外はあまり大きなけがはありません。ウォーミングアップに時間をかけ、練習後の体のケアをしっかりするなど、体の維持には神経をつかっています」

■1回戦負けが続いても、「私の人生です」

 ――ノルウェーでは、母になってスポーツを続ける例が多いのですか?

 「ひとつの流行みたいにはなっています。数は少ないですけど、増えてはいます」

 ――それはホイエさんの影響ですか?

 「少しはあるかもしれませんね。母になって競技を続けたことで、取材を受けたこともありました」

 ――世界チャンピオン経験者として、出るたびに1回戦で負けるくらいなら、もう引退しよう、といった気持ちはありませんか?

 「確かに世界一に4度もなった選手として、惨めな姿は見せたくない、という気持ちはあります。でも、私の人生です。周りの人が何を言おうとも関係ありません。自分が満足する人生をおくれれば、それでいいと思っています。いま男子にはベテランズの世界選手権がありますけど、女子にはありません。39歳になってレスリングを続けて試合に出るには、こうした大会に出るしかありません。だから出るのです」

■「子供がいても、自分の夢が追える」のは、とてもいいこと

 ――日本では山本聖子選手(現姓永島)が出産を経てカムバックしました。こうしたレスリング選手が増えてほしいと思いますか?

 「いいことだと思います。レスリングだけでなく、いろんなスポーツでそうした選手が出てくるべきだと思います。北京オリンピックでは、体操で子持ちの選手が金メダルを取ったと聞いています。『子供ができたから自分の夢が終わる』ではなく、『子供がいても自分の夢が追える』のは、とてもいいことだと思います。夢はいくつになっても持つべきだと思います」

 ――それには夫の協力が必要ですよね。

 「私は、実は夫はいません(注=未婚の母、という意味らしい)。子供の父は2人目が生まれた後、ドイツに帰っていきました。それだけに大変な思いをしましたが、それでも、こうして自分のやりたいことをやっています」

 ――ロンドン・オリンピックを目指しますか?

 「(大笑い)。もちろん夢は持っています。でも仕事もあるし、何が何でも、という気持ちはありません。1年、1年、全力で闘っていき、その中でオリンピック出場のチャンスがあれば、目指したいと思います。今、ノルウェーの女子チームのコーチになりました。若い選手の指導も私の役目です。そちらの方でも頑張りたいと思っています」


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