【特集】世界選手権へかける(2)…男子フリースタイル60kg級・前田翔吾(日体大)【2009年8月25日】

(文=増渕由気子)



 昨年の北京五輪で日本が表彰台に上がった男子フリースタイル60kg級。銅メダリストとなった湯元健一(ALSOK綜合警備保障)は北京五輪後、けがの治療で戦線離脱。その間、“ポスト湯元”に名乗り出たのが前田翔吾(日体大=左写真)だった。湯元と同じく大学3年で天皇杯全日本選手権を制し、今年6月の明治乳業杯全日本選抜選手権でも勝って、プレーオフなしのストレートで世界選手権初出場を決めた。

 時代は違うものの、恩師の藤本英男部長も学生の時に世界へ飛び出した名選手。「大学4年の時(1966年)は世界6位だった」と前田に何度も話すという。練習中も「前田、メダル、メダルなんだよ!!」と絶え間なく激を飛ばし、その期待の大きさをうかがわせる。そのほかにも、「色々な方に、『オレが大学4年生の時、世界で○番だった』と言われます」と前田。学生で世界選手権に出場するため、多くの人たちから注目されている。

■ばてた演技をする外国選手、攻めるスタイルの確立を目指す

 「学生で世界に行けるとは思っていなかった」そうで、代表に決まった直後は出場そのものに胸を躍らせた日々を送っていた。だが、同じ日体大で練習するグレコローマン55kg級の長谷川恒平(福一漁業)が7月のゴールデンGP決勝大会(アゼルバイジャン)で優勝したのをきっかけに、「世界で勝つことが目標なんだ」と意識が高くなった。

 今年のナショナルチームは夏季の海外遠征がなく、各所属で練習を積んでいる。4回目となった日体大の草津合宿で「いい練習ができています」と、仕上がりは順調のようだ(右写真:草津で汗を流す前田=左)

 5月のアジア選手権(タイ)では、韓国の北京五輪代表に勝つなどして5位。アジア・デビューとしては上出来だった。だが、帰国後に行われた東日本学生リーグ戦では、腰痛の影響で全日本学生選手権2位の松本桂(早大)に黒星。チームも早大に2−5で敗れ、悲願のリーグ戦優勝はならなかった。

 だが、それがきっかけとなって腰痛との付き合い方もだいぶ分かってきたようだ。その屈辱をバネに「6月の全日本選抜選手権は勝てると思っていた」とのこと。自信満々での優勝だったようだ。それでも「湯元先輩には全体的に劣っている」と辛口の自己採点。その最たるものはパワーだ。パワーはロープ登りなどを多く取り入れ、長期的なプランで強化にあたっている。

 9月の世界選手権は、「タックルなどで攻めるレスリングをしたい」と海外スタイルの確立に焦点を当てていくつもりだ。2月の欧州遠征(左下写真=ダン・コロフ国際大会で銅メダル獲得)、5月のアジア選手権を通して学んだことは、外国選手との対戦は「日本人と対戦する感覚とは別」ということ。外国選手は、ばてたふりなど演じてカウンター攻撃に来るパターンが多かったという。

■昨年9月の全日本学生王座決定戦、安澤薫(早大)戦で覚醒!

 藤本英男部長が「理詰めのレスリングができている」と話すように、前田の評価は昨年からうなぎのぼり。そのきっかけになった試合は、昨年9月の全日本学生王座決定戦の決勝、早大の安澤薫との対戦だった。

 「昔は攻めるレスリングが理解できていなかった」と、当時の前田は攻撃的ではなくカウンタータイプだった。だが、安澤に開始早々、3点タックルを取られて後がなくなった瞬間、前田は覚醒する。「行くしかないんだ!」。タックル攻めで2−1と逆転で勝利。「攻めれば勝てる」−。自分の新しいスタイルが確立した瞬間だった。

 そのスタイルで10日後の大分国体では、大澤茂樹(当時山梨学院大)に一時リードを奪う内容で飛躍の準優勝。11月の全日本大学選手権では、2回戦で脳しんとうのアクシデントに見舞われながらも、気力で勝って大学初タイトルを手に入れた。

■チームの闘いから苦渋の離脱! この犠牲を無駄にはしない

 世界選手権の日本代表という肩書きを学生時代に味わうことは名誉あることだが、今回の世界選手権は、あるものを犠牲にして挑むことになる。学生の団体戦四冠のうちのひとつ、全日本学生王座対抗戦が世界選手権の期間中になるため、欠場を余儀なくされることだ。前田はチームの四本柱のうちの1人。前田が抜けることは日体大にとっては痛手だ。「まだ胴上げも経験ないのに…。ちょっと残念」と話す。

 それだけに「結果がほしいです。ロンドン五輪に向けての第一歩としてのメダル…。優勝したいです」と気持ちを高ぶらせている。

前田翔吾(まえだ・しょうご)=日体大

 1987年5月23日、愛知県生まれ、22歳。刈谷チビッコ教室出身。愛知・星城高卒。高校時代には中京女大に通い、吉田沙保里とも練習。高校3年の2005年に、JOC杯ジュニアオリンピックで大学生も混ざった中で2位となり、アジア・ジュニア選手権で3位入賞。同年の国体で優勝。

 日体大へ進み、2006・07年の東日本学生春季新人戦でいずれも2位。しかし2008年の全日本学生選手権で3位となり、同年の国体2位を経て、全日本大学選手権で優勝。続く東日本学生秋季新人戦、全日本選手権でも初優勝を達成した。

 2009年2月に全日本チームのメンバーとして欧州遠征。ダン・コロフ国際大会(ブルガリア)で3位に入賞し、5月のアジア選手権で5位へ。170cm。

 ◎前田翔吾の最近の国際大会成績

 《2009年》

 【ヤシャ・ドク国際大会】=26選手出場
1回戦  BYE
2回戦 ●[1−2(1-0,2-2、TF0-7)]Ermatov Bahram(ウズベキスタン)

 【ダン・コロフ国際大会】3位(12選手出場)
1回戦  ○[フォール、1P0:16(F2-0)]大館信也(自衛隊)
2回戦  ●[1−2(1-1,1-4,TF0-7)]Muhammed Demir(トルコ)
敗復戦 ○[2−0(1-0,4-1)]Kisiel Radoslaw(ポーランド)
3決戦  ○[2−1(0-2,5-2,4-0)]Mattew Valenti(米国)

 【アジア選手権】5位(17選手出場)
1回戦   BYE
2回戦  ○[2−0(1-0,7-0)]Silap Chariev(トルクメニスタン)
3回戦  ○[2−1(1-0,0-1,2-0)]Kim Jong-Dae(韓国)
準決勝 ●[0−2(1-2,1-5)]Jo Tong-hyok(北朝鮮)
3決戦  ●[1−2(1-0,0-5,0-1)]Bazar Bazarguruev(キルギス)


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