【特集】学連委員長との二束のわらじで学生王者へ…グレコローマン74kg級・近藤弘志(日体大)【2009年9月16日】

(文・撮影=増渕由気子)



 全日本学生選手権(東京・駒沢体育館)の男子グレコローマン74s級で、東日本学生連盟委員長を務める近藤弘志(日体大=右写真)が初優勝を遂げる快挙を達成した。同学連は、春季と秋季の新人戦や東日本学生リーグ戦など、学生大会の多くを主催・主管し、運営している。委員長は1年中雑務に追われ、選手と完全な両立を成し遂げるのは、時間的、肉体的に難しいのが現状だ。

 だが、優勝を遂げた近藤はキッパリと言った。「学連に入ったから優勝できた。普通に大学で練習していただけではできなかったと思う」。

■高校時代は全国ベスト16が最高。大きな不安を抱えて日体大へ進学

 岐阜県・真正中の恩師からレスリングを勧められて、中学1年生の時からレスリングを始めた。岐南工高に進学するも、「3年生時に団体で3位に入ったのが全国大会の最高成績で、個人ではベスト16が最高」という成績に終わる。強豪・日体大の推薦入学を取りつけるも、大きな不安を抱えたままの大学進学となった。

 入学当時、同大を練習拠点にしていたOBには、全日本チームの双璧、笹本睦(ALSOK綜合警備保障)や松本慎吾(日体大教)ら世界トップ選手の名前が。近藤の同期を見ても、4年の今年、世界選手権出場を決めた前田翔吾、今年のアジア選手権代表の松本篤史、昨年の学生二冠王者の守田泰弘などそうそうたるメンバーがそろい、不安を覚えるのも無理はなかった。

 4年間、練習をやり遂げられるだろうか…。不安を払拭するため、辛い練習に必死に食らいついたが、新人戦など同年代同士の試合でも表彰台はなし。そんな中、3年次に学連に日体大代表として送られることになった。「トップ選手ではないという烙印(らくいん)を押された気分にはなりました」と、その時はショックだったそうだが、これが近藤の転機となった。

■学連に入って理解が深まった新ルール

 レスリングはルール改正が多い競技。さらに、体の曲がり具合を人為的に判断してポイントを決めるため、ルールをよく知ることが強くなる一つのポイントとなる。学生主催の大会は、学連メンバーが審判を務める。今まで又聞きだったルールを、近藤は、全日本の審判長・斉藤修氏に直接指導を受けるなどして、最新のルールを身につけていった。

 「選手の感覚と、審判の感覚は違うということが分かった」と、ルールに対する理解が深まり、不服な判定で負けることがなくなった。試合では、審判が下す反則の裁定によって勝敗がついてしまうことがあるが、「そのタイミングも分かるようになった。そろそろ注意が来るかなと思うと、『アクション!』と促されたりなど」。

 その知識や感覚を最大限に生かせたのが、今大会の決勝戦、全日本3位の実力者で第1シードの渡部友章(日体大)との一戦だった。1−1で迎えた第3ピリオド。ディフェンスに回った近藤は、渡部にリフトされてしまう。だが、「持ち上げられた時点で、足の付け根をグリップされていた。少しずらせば、足への攻撃と取ってくれるはず」ととっさに判断し、少しずつ体をずらした(左写真)。すると、審判が「(攻撃側が)足を持っている」と判断しブレーク。残り10秒を必死に守った近藤に1点が与えられ、勝負が決まった。

 「ルールを知っていたから勝てた。特にグレコローマンは、軽くではなく、しっかりと分かった方がいい。どこまでがギリギリOKで、どこからが反則になるのかが、学連に入ってから分かるようになった」。日体大での猛練習に加えて、ルールを十分に研究したからこそ、学連委員長との二束のわらじを履きながら学生チャンピオンの座に就くことができた。「やっぱり(選手として)諦めなかったのがよかった」。

■よりよい運営のために学連改革を断行

 学連でやってきたことは、ルール研究だけではない。マスコミの競技注目度が上がっているため、近年は学生の大会でも大学スポーツ新聞を中心に20名近くの取材陣が殺到するようになった。一方で、不審者による盗撮問題など規制なしでは限界の状態が続いたため、「選手を守るため」と、今大会からマスコミにビブス着用を義務付けた。

 大会会場のレイアウトも、より運営しやすいように大幅に変更。そのため、混乱もなく予定通りの運営ができた。「昨日、今日と試合で学連の仕事をしてないから…。明日からは学連一本で頑張ります。選手は今日で引退。そのつもりで試合に臨んだ」と、10月の全日本大学グレコローマン選手権の出場は後輩に譲って、自分はよりよい大会運営を行うために、学連の業務にまい進するつもりだ。(右写真=今大会入賞の日体大選手とともに)

 「いろいろ言われても、ダメなことが改善するならそれでいい」と、今後も学連改革を続行宣言した近藤。高校から一度も表彰台に上がったことがなかった“近藤委員長”が、引退試合で一花咲かせて見せた。


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