【特集】左肩負傷を乗り越えての価値ある銅メダル…男子フリースタイル66kg級・米満達弘(自衛隊)【2009年9月22日】

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



 痛めていた左肩の悪化が、だれの目にも明らかに映っていた。だが米満達弘(自衛隊=左写真)は、攻めて、攻めて、攻めまくった。66kg級3位決定戦の相手は北京五輪の銅メダリスト。そんな肩書に恐れる米満ではなかった。最後まで攻撃のレスリングを忘れず、米満が世界選手権初出場で銅メダルを獲得した。

 「金メダルを狙っていたので、銅メダルでは悔しい。でも、初めての世界選手権なので、よくやったと思う」。目標を金メダルと定めながらも、現実を直視した正直な感想。だからこそ、3位決定戦で勝った直後はガッツポーズが出た。

 しかし、肩が痛くて左腕がよく上がらなかった。「普通なら、もっとオーバーにやるんですけどね」と苦笑い。銅メダルで満足してはいけない。満足するような男ではないことが十分に分かっているが、せめてこの日限りは、最大級の賛辞を送りたい傷だらけの銅メダル獲得だった。

■敗者復活戦後は左肩が上がらなかった

 左肩を痛めたのは、世界選手権を目前に控えた今月の合宿中のこと。精密検査の結果、内出血の血が抜ければOKとの診断。しかし痛みはなかなか消えてくれず、試合の日を迎えた。2回戦(初戦=アルメニア)の終了間際に痛め、勝ち名乗りを受けた時には、左腕がダラーンと下がっていた。

 左肩をかばいながらの3回戦(ハンガリー)、4回戦(ロシア)。さすがに強豪のロシアには勝てなかった。「実力の差があった。組み手を組ませてもらえず、相手のペースに合わせてしまった。肩が普通でも、今の実力では勝てなかったかも」という自分に厳しい分析をしたが、肩の痛みが全く無関係ということはあるまい。

 敗者復活戦で韓国に勝った後は、レフェリーから左腕を上げられようとした瞬間、顔をしかめ腕を振りほどこうとした(右写真)。上がらないのだ。田南部力コーチ(警視庁)は「腕が伸びた時に力が入らないみたいです。タックルに入って、引きつけてしまえば大丈夫みたいですが」と、その症状を説明してくれた。

 目標の金メダルではかったが、そんな最悪のコンディション下での銅メダル獲得だから価値がある。5月のアジア選手権で2位、今回の世界選手権で3位。昨年までは、世界学生選手権での優勝はあるものの、シニアでは何の実績もない選手の世界デビューの年の成績としては、立派な成績だ。

 これだけの大舞台でも「緊張はしなかった。チャレンジ精神を出せたと思う」と言うから、その強心臓も頼もしい限り。一発でテークダウンまで持っていくタックルではないが、相手の片足をつかんでしまえば必ずといっていいほどテークダウンに持ち込める粘り強さは、今後の闘い大いに生かされそうだ。

■五輪翌年のメダル獲得は1989年以来5大会ぶり

 拓大を卒業し、レスリングに専念できる環境に身を置いたことも実力アップにつながっているだろう。「社会人になり、学生と違う気持ちでレスリングに取り組んできたのも大きいと思います。妥協できないですから」。自衛隊に入隊して半年足らずでこれだけの成績を残せたのだから、この気持ちのまま突っ走ることができれば、もっと強くなれるはずだ。

 佐藤満強化委員長(専大教)は「立派な銅メダル。でも、銅メダルで満足する選手ではない。世界チャンピオンになる下地はつくれた」と、今後に期待を寄せる。

 その言葉通り、インタビューの最後には銅メダルの喜びの声は消え、反省と向上心の言葉が続いた。「まだ闘っていない選手もたくさんいます。まだまだです」「1、2回戦では組み手がしっかり使えましたが、強い選手相手には使えず、いつものタックルでカバーせざるをえませんでした」「(ロシア戦で)相手に合わせてはダメ。どんな試合でも、自分のペースに持ち込むようにしないと」(左写真=ロシア戦の第1ピリオドは攻撃できず、0−0でクリンチの防御へ)

 日本が五輪の翌年の世界選手権でメダルを取ったのは、1989年大会以来5大会ぶり。4年間の闘いのスタートで力強い戦力ができた日本。ロンドン五輪での勝利の道が、はっきりと見えてきた。


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